ピーテル・ブリューゲルの雪中の狩人と連作月暦画として残された他の四作品の芸術 結城永人 - 2018年3月4日 (日) 十五世紀のブラバント公国(現在のベルギーとオランダを部分的に含んでいた)の画家、ピーテル・ブリューゲル(同名の息子の画家と区別して父ブリューゲルとも呼ばれる)の名作の一つ、雪中の狩人には二十一世紀の現在でも廃れずにオリンピックの種目にも採用されている人気の冬のスポーツが三つ描かれている。 ピーテル・ブリューゲルの雪中の旅人には人々が冬のスポーツに興じる様子が幾つも細々と遠くに描かれているのが郷愁を誘われる The Hunters in the Snow by Peter Bruegel the Elder / Public domain 分かり易いのが三つで、アイススケートとアイスホッケーとカーリングなんだ。他には一人乗りの橇を引っ張っているのがリュージュやスケルトンに通じたり、狩人の猟銃がバイアスロンの射撃を思い起こさせたりする。昔から変わらず、皆が盛り上がっているのが微笑ましい。 スポーツに興じる人々は何れも冬の寒さを際立たせるためか、絵には暗い色調を纏いながらな壮大な風景に溶け込むように表現されていて可愛らしく受け留める。 雪中の狩人はピーテル・ブリューゲルの作風を良く示している代表作で、他の作品でも似たような構図が取られる場合が多い。一見して自然と社会の融和を感じるところが非常に新しいし、科学技術の発展によって地球の環境破壊が危ぶまれるほどに懐かしくも本当に優れた人々の生活とは何かを教えてくれる。 絵の主役の狩人は画面の左下に猟犬と共に猟銃を担いで描かれている。全体からさほど目立たない印象なので、不思議な気持ちにさせると驚く。何がモチーフなのかの視点が定まり難い。画面の半分以上が雪山から斜めに見下ろされた町並みに占められている。狩人とは又別の人々の生活こそ大きな印象を与えるんだ。細々と遠く描かれているのが郷愁を誘っているかのようで、瞬く間に味わい深い。 苔生した緑(モスグリーン)が池に張った氷を特徴的に写し出している。何人も集まって思い思いの冬のスポーツに興じていて寒さに怯えず、如何にも楽しいらしい風情を持っている。食料を求めて働いている三人の狩人などの一部の人たちの衣食住に関わる状況と物凄く対照的な印象を与える。しかし全てが一つに和合を果たしている絵だとすると必ずしも皆を分け隔てられた気持ちで見るべきではないかも知れない。今を生きる点では誰も変わらないし、命を燃え上がらせた瞬間に覚知された魂そのもの、すなわち霊的な存在から逆理的に感じ取られた木炭のような黒が皆に使われている。不意に肉体が何かの燃え残りだと思わせるほどの精神の芸術の色使いが凄い。 神への厚い信仰心/敬虔な生き方を抜きにしてはあり得ないかも知れないけど、ただし極めて詩的な仕上がりの真実に厳粛な香が漂っている絵のスタイルは個性的だろう。人々のライフスタイルを超越したイメージを定着している画面が本当に素晴らしく美しくてピーテル・ブリューゲルが偉大な画家だと納得させる所以だと僕は考える。 ピーテル・ブリューゲルの雪中の狩人は1565年の作品で、結婚してアントワープ(アントウェルペン)からブリッセルに移り住んでから完成した。四年後に四十歳前後で亡くなる(生年不明)から晩年だった。 雪中の狩人は当時のブリッセルなどのフランダース(フランドル)地方で伝統的だった連作月暦画として他の五作品と合わせて構想された 月暦画そのものは一年の十二ヵ月の人々の暮らしを寓意的に表現するスタイルなので、もしかすると十二作品が完成したけれども記録では六作品しか分かってない。 ピーテル・ブリューゲルは連作月暦画を二ヵ月毎の六作品に纏めたとすると一つが消失してしまったために現存するのは雪中の狩人以外は四作品だけに止まっている。 ピーテル・ブリューゲルの連作月暦画の六作品 連作月暦画①暗い日:早春/二月と三月 The Gloomy Day by Peter Bruegel the Elder / Public domain 連作月暦画②(消失作品):春夫/四月と五月 所在不明 連作月暦画③干し草の収穫:夏/六月と七月 The Hay Harvest by Peter Bruegel the Elder / Public domain 連作月暦画④穀物の収穫:秋/八月と九月 The Harvesters by Peter Bruegel the Elder / Public domain 連作月暦画⑤牛群の帰り:晩秋/十月と十一月 The Return of the Herd by Peter Bruegel the Elder / Public domain 連作月暦画⑥雪中の狩人:冬/十二月と一月 上記掲載 アントワープの商人のニコラス・ヨンゲリンクの依頼からピーテル・ブリューゲルが連作月暦画の制作に着手して一年で少なくとも六作品を仕上げて売り渡された。屋敷の壁に飾られていたらしい。ニコラス・ヨンゲリンクは地元の富豪だったけど、しかし1566年に破産したために一万六千ギルダーの借金の担保として供されていた連作月暦画を含めた手持ちの絵がアントワープの市に没収されたようだ。さらに1594年にアントワープの市がオーストリア大公のエルンスト・フォン・エスターライヒに献上したんだ。丁度、スペイン領ネーデルラント総督としてブリッセルに滞在していてピーテル・ブリューゲルの絵を知って甚く気に入って集め出していたためかも知れない。エルンスト・フォン・エスターライヒは翌年に亡くなったけれども死後に残されたピーテル・ブリューゲルの幾つもの絵がオーストリアの現今のウィーン美術史美術館のブリューゲルコレクションの基礎になっているといわれる。 ピーテル・ブリューゲルは農村での人々の暮らしを題材にする絵が多くて「農民画家」と呼ばれたり、絵の対象を細部まで緻密に描き込んでいるために生きた時代が良く分かって歴史的、民族的な資料を残したと重宝されたりする芸術家としての二つの大きな特徴が連作月暦画にははっきり出ているから見ていても興味や関心が尽きないほどに良いと思う。 現存する五作品は何れも晩年に完成したから振り返っては画家の人生の一つの集大成の趣きを持って胸に迫る部分もとても大きくて瞠目させるべき魅力的な絵なのは間違いない。 参考サイトピーテル・ブリューゲル雪中の狩人 コメント 新しい投稿 前の投稿
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