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些細な日常

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α5100とTouit 2.8/50Mの初夏の晴れた公園の花々の撮り歩きの五つの作例

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ゴールデンウィークの前半、四月三十日に良く晴れて暖かったので、地元の公園に愛用の カメラのSonyのα5100 と レンズのZeissのTouit 2.8/50M を携えて花々の写真の撮り歩きに出かけた。 目当ては何といっても山の裏道でひっそり咲いているのを見付けて 大喜びした鈴蘭 だ。 好きな花だけど、しかし白一色で小さいからピントが合わなくて動かなくても写真撮影には手強いとも知った。最初は失敗ばかりだったし、スマホやコンパクトのカメラでは被写体の輪郭を十分に取れなくて――光の少ない木陰の鈴蘭にかぎればもはややるだけ無駄の散々な境地を強いられるばかりだ――たとえ一眼レフのカメラでも露出やシャッタースピードや絞り値などをしっかり覚えて細かく調整しないと厳しかった。鈴蘭との出会いは写真家として相当に練習になった。 二年目の去年は山の裏道の鈴蘭の集落へ何度も足を運んで試…

ピーテル・ブリューゲルの雪中の狩人と連作月暦画として残された他の四作品の芸術

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十五世紀のブラバント公国(現在のベルギーとオランダを部分的に含んでいた)の画家、 ピーテル・ブリューゲル (同名の息子の画家と区別して父ブリューゲルとも呼ばれる)の名作の一つ、 雪中の狩人 には二十一世紀の現在でも廃れずにオリンピックの種目にも採用されている人気の冬のスポーツが三つ描かれている。 ピーテル・ブリューゲルの 雪中の旅人 には人々が冬のスポーツに興じる様子が幾つも細々と遠くに描かれているのが郷愁を誘われる The Hunters in the Snow by Peter Bruegel the Elder / Public domain 分かり易いのが三つで、アイススケートとアイスホッケーとカーリングなんだ。他には一人乗りの橇を引っ張っているのがリュージュやスケルトンに通じたり、狩人の猟銃がバイアスロンの射撃を思い起こさせたりする。昔から変わらず、皆が盛…

葛飾北斎の神奈川沖浪裏の知る思いと高齢化社会の人生

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江戸時代の日本の浮世絵師を代表する存在の一人、 葛飾北斎 の富士山を題材とした優れた名作の 富嶽三十六景 の中で最も印象深い一枚の浮世絵(木版画)が 神奈川沖浪裏 だと感じる。 葛飾北斎が七十歳くらいで描いた 神奈川県沖波裏 Behind the Great Wave at Kanagawa by Hokusai Katsushika / Public domain 一度、見たら容易に忘れないというと些細な日常で発覚したのは二回目の気持ちで、古代エジプトの至宝: ツタンカーメンの黄金のマスク 以来の美しさへの著しく謎めいた驚きなんだ。 それぞれを比較すると作品の素材が違うし、創作のジャンルも同じではないのは明らかで、共通するのが何といっても芸術的な衝撃の一言に尽きる。 葛飾北斎の 神奈川沖浪裏 は瞬く間に目を引くツタンカーメンの黄金のマスクの余りに鮮やか過ぎるほどの色彩感覚を持た…

ルイス・キャロルの最後のアリス・リデルの肖像写真の不思議なカメラの向け方に思うイギリス文学と詩的な感性

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写真家としての ルイス・キャロル を発見して 乞食娘のアリス・リデル が非常に素晴らしくて飛び抜けて良いと感じたけれどもそれに次いで記憶に残るのが椅子に腰掛けた アリス・リデル の肖像写真で、ルイス・キャロルがアリス・リデルを撮影した中では最後の一枚といわれている。 如何にも不思議なアリス・リデルの写真の構図 The Last Sitting by Lewis Carroll / Public domain 右上から微妙に見下ろしたカメラの向け方が小説の 不思議の国のアリス を彷彿とさせるくらい如何にも不思議だと感じさせられてしまう。 ルイス・キャロルは数学者で普段は理知的だったのとは対照的にそうした日常生活の安定性を真っ逆さまに揺るがすほどの遊び心を持っていたと ナンセンスな小説 の愉快な書き方から分かる。 イギリス文学だと ローレンス・スターン の トリストラム・シャンディ が全て…

鈴蘭の蕾に待ち遠しい初夏へのカメラ考察

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森へ行くと鈴蘭が蕾を覗かせていた。四日前の 写真撮影 で立ち寄ったら茎だけだったから早いと驚いた。もう直ぐに満開だろう。初夏の息吹きを感じる。鈴蘭の花が待ち遠しくも写真に収めるならば来週一杯こそ最高に違いない。再来週以降も暫くは枯れないにせよ、雨風で汚れたり、蜘蛛の巣が張ったりするので、真っ白なままを端的には狙い難そうではないか。 しかしやはり本当に厳しいのはピント合わせだ、カメラにおいて 鈴蘭の蕾を撮りながら一年振りに思い知らされる現実だった。天気は快晴で、シャッタースピードも四桁の1/1000sだから手振れの心配はなかったのに仕上がりに気乗りしないのは描き込みなんだ。似た花のスノーフレイクは四日前の写真撮影でもまずまずだったけれども鈴蘭は小さい分だけ写りが悪くなってしまう。白一色の花でコントラストも低いかぎり、カメラはフルサイズのセンサーでなければ描き…

写真の被写体に合った構図による臨場感

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クリオネの記事 を仕上げるのに写真を引用しようと Wikimedia Commons をチェックしていたら数も少ないし、気に入ったのがなかった。 あちこち探し回っていてOpenCage(閉鎖)というサイトが動物の写真を クリエイティブコモンズ の商用可で提供していてクリオネの写真で幾つか気に入ったのが見付かったので、使わせて貰って非常に助かったんだ。 管理人はDaiju AzumaといってGoogle+もやっていた。 Chamaeleo calyptratus by Daiju Azuma / CC BY-SA 写真はサイトと同じようにクリエイティブコモンズの商用可で使って構わないみたいだ。見ると画質がGoogle+(サービス終了)ではさらに上がっているようだから嬉しかった。 写りが本当に良いと思う。被写体が分かり易くてしかも背景に甚だ溶け込んでいるから自然さが際立っ…

久し振りに目高を撮影したらカメラのシャッタースピードがやはり大事だと感じた

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被写体振れを連発して何枚も駄目にしたし、魚などの動き回る動物にはカメラのシャッタースピードを上げなければ望み通りの写真は手に入らなかった。 撮影は追尾フォーカスを使ってやっている α5100 はタッチパネルでできるから非常に簡単なんだ。 ただし水槽だと距離感によってレンズが大きく迷ってしまうから注意しなければならなかった。どのくらいでスムーズに目高にピントが合うかを事前に覚えておかないと良い場面を逃してばかりで終わってしまうという。 構図も決めてかかるわけには行かなかった 写真に残せるだけで有り難いと考えながらそれ以外の全ては編集で仕上げる気持ちで撮影するべきだったんだ。 二匹の 目高 が並んで泳いでいる姿が凄く可愛いからブログにも載せたかった。 作例は納得できる。イメージにピッタリだから本当に嬉しい。日中の窓辺で天気も良くて光が十分に取り込めたので、透明感まで生き生…

写真の構図は画面の縁との関係が非常に大きいと感じるようになった

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写真は僅かなずれでも印象が変わる。取り立てて気付かなくて不快感まで行かないとしても作品の効果は、全然、違うのではないか。 長く見られるような写真ならば微妙なところも合わせてなくてはならなさそうだ。 写真の仕上がりの一つの基準が画面の縁にあると思う。被写体がどのように切れているか、または収まっているかで味わい深さが変わって来る。 被写体と画面の縁とのバランスを探りながら撮影ではカメラを向けなくてはならないし、気に入った構図の写真が現場で手に入らなければ編集のアプリでトリミングに精を出さなくてはならないわけだ。 パッと見て分からなくて良い。しかし纏まりの良さが細かいほどに写真の芸術性も上がるとすると手抜きはできなくなる。 昔は何となしにやっていた。今は写真の上下左右の四辺を全て注意深く確認しないと気が済まないという。 写真の構図の精度が上がって来ている。いうと鮮烈…

庭石菖の川の流れのような生きる喜び

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小山の裾にある大きめの公園で、春の桜も終わり、初夏の躑躅も過ぎて目ぼしいような花は咲いてなかった。しかし遊歩道沿いに小さな花が数多く咲いているのが心惹かれる。楽しげだ、何といっても。歩きながら目を向けずにはいられない。 調べてみると 庭石菖 だった α5100 と Touit 2.8/50M で撮影すると雑草に囲まれても見映えがする。そのままで本当に良いと思われる。撮りたいものこそしっかり撮れているせいだろう。どんな構図でも鑑賞に耐える写真になるようで、表現上の苦労がずっと減るんだ。 自然の美しさにおいては 背景とのバランスが大事 なはずだけど、イメージを構図で固めなくても被写体の明らかな描き込みでカバーしてくれる。小さな花が背景に埋もれて雑草でしかなくなるのは納得できないわけで、さらに考えを進めて写真を完成まで持って行くのも容易いのではないか。 生きる喜びの庭石菖の集…

山に自生している椿の素晴らしさ

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惹かれる大犬の陰嚢と写真の構図

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山の地面に 大犬の陰嚢 がまるで春の呼び声のように広がっていた。 本当に惹かれる大犬の陰嚢 小さな青い花が思い思いの様子で、数多く群れ咲いているのが自由を感じさせてくれる。 群れ咲くや心惹く大犬陰嚢 思わず、俳句も詠みたくなるけど、しかし写真には以前からどう収めるべきかが悩まされた。一眼カメラだと流石に速やかに表現できた。自分では素晴らしいと思う。イメージに相当に合っているのではないか。 作例は一枚目から三枚目へと撮影距離が伸びている。 α5100 と SELP1650 で、どの間隔でも納得される。最も厄介なのは遠めだと大犬の陰嚢の花が小さくて、結構、分かり難いんだ。作例の一枚目はわーっと広がっている感じが出せたので、かつてないくらい良かった。カメラの性能としては十分だと改めて認める。 大犬の陰嚢は写真の構図も大変だ 何といっても雑草と共に生えている。落ち葉に埋もれかけ…

カメラのシャッターは軽く押すとブレ難くてイメージを確実に捉えられるだろう

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写真撮影はカメラを真っ直ぐ合わせてブレずにシャッターを押すことが基本中の基本ではないか。前者は画面の枠に被写体を揃える。画面の枠と被写体の間隔を全体的に捉えながら写真に世界が収まるようなカメラの持ち方や動かし方を覚えておく必要がある。後者は最小限の力でやるべきか。押し方が軽ければきっとカメラもブレ難いはずだ。二つを纏めると気持ちを込めて構図を作りながらもシャッターチャンスに力まないということが写真を好ましく撮るためには大切に違いない。 作例はSonyのマルチコネクトコンポ( CMT-BT60 )で、四角のものをバッチリ表現したかった 右上に少し寄ってそうか。編集アプリのトリミングの枠で確かめてみるとやはり真ん中には入ってなかった。本当に大変だ。ただし創作活動では珍しくない。作品と気持ちが完全に一致するかどうかで、文章ならば相応しい言葉が見付からないとか絵な…

α5100と単焦点の標準レンズ/SEL35F18で夕食のとりかつを写真に収めた

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写真撮影で、こういう斜め上から近寄った構図を食事のメニューで以前からやりたかったけれども気が進まなかったのはカメラのせいだったんだろう。しかし求め通りの良い感じに仕上がったようだ。 α5100 に初めて SEL35F18 を使って戸惑いもあった 慣れ親しんだスマホやサイバーショットよりも明らかに画角が狭い。とはいえ、画面比を3:2にしていて35mmの焦点距離が合っていると思ってズームレンズでも同じくらいのところを多用している。 試しに写真を撮り出すといきなり真ん中が赤くなってどうなるかと焦ってしまった。万一、不良品だったら悲しい。 Xperia Z3 のカメラが最初のうちは不調ながら使い続けているや調子が上がったことがあり、そんなふうになればとやっていたら暫くして安定して来てくれた。ピントも合い難いというか、被写体の状況で一般的なものかも知れないけど、 キットのズー…

写真は一瞬で切り取られた世界の詩だ

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Forevermore( ブログへ移転 )に漸く写真のコンテンツを追加した。僕の創作活動としては大きなものの一つなので、もちろん最初から置くことは考えていたし、とても嬉しいと思っている。 ポエジーが主体の写真を掲載して行きたい Photo|Forevermore 以前から写真は構図を大事にしてやって来て最近は編集の知識も増えて来ているので、二つの要素をフルに活かして載せて行きたい。 方法としてはブログやSNSや素材の写真でも変わらないけど、しかしメインのホームページは詩と表現をテーマとしているわけだからポエジー(詩情)を主体としてやるべきだろう。 これは詩以外の全ての創作活動にもいえることで、それぞれに特異性はあるにせよ、ポエジーを明らかにしなくては永遠の詩人としての自分らしさが損われ兼ねない。 手振れの恐怖症から解放されて頼もしい今 写真というと個人的には小学時代…