庭石菖の川の流れのような生きる喜び 結城永人 - 2016年5月15日 (日) 小山の裾にある大きめの公園で、春の桜も終わり、初夏の躑躅も過ぎて目ぼしいような花は咲いてなかった。しかし遊歩道沿いに小さな花が数多く咲いているのが心惹かれる。楽しげだ、何といっても。歩きながら目を向けずにはいられない。 調べてみると庭石菖だった α5100とTouit 2.8/50Mで撮影すると雑草に囲まれても見映えがする。そのままで本当に良いと思われる。撮りたいものこそしっかり撮れているせいだろう。どんな構図でも鑑賞に耐える写真になるようで、表現上の苦労がずっと減るんだ。 自然の美しさにおいては背景とのバランスが大事なはずだけど、イメージを構図で固めなくても被写体の明らかな描き込みでカバーしてくれる。小さな花が背景に埋もれて雑草でしかなくなるのは納得できないわけで、さらに考えを進めて写真を完成まで持って行くのも容易いのではないか。 生きる喜びの庭石菖の集落 作例は左下から右上へと川の流れのように、または銀河と似付かわしく詩を打ち出してみている。木漏れ日の光と影で自然の美しさが満喫されたし、必要なかぎりの言葉が受け取られたためで、小さな花だけれども庭石菖の集落によって生きる喜びを示したかった。知るほどに手放し得ない。 思い返せば確かにも祈りに甘く満ち足りていた。 関連ページ庭石菖のsimple is bestに咲いた花 コメント 新しい投稿 前の投稿
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