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所ジョージ/世田谷一郎の自分も別荘を所有する沖縄を守るための愉快な反戦歌

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沖縄県名護市の辺野古へのアメリカ軍の基地建設――同県内の宜野湾市普天間基地からの移設――が昨年十二月十四日の埋め立て地の土砂の投入から実地に着々と動き出している。 14 日、政府は、沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の「移設先」として、名護市辺野古の沿岸部に土砂の投入を始めた。前日13日には、沖縄県の玉城デニー知事が岩屋毅防衛相および菅義偉官房長官と面会し工事中止を求めていたが、政府側は応じなかった。新基地建設の強行的な本格開始に、憤りの声が上がっている。辺野古埋め立て開始に沖縄の憤り:県民投票で今度こそ声は届くか?投票権の剥奪を危ぶむ声 via スプートニク日本 従来、犯罪や事故が酷いままに繰り返されるのに加えて珊瑚礁を持つ国内でも有数の美しい海を失うのではないかという自然破壊の恐れから地元の住民が全く容認してないので、アメリカ軍の基地建設の計画を断行してしまった国:日本政府との敵…

無料ブログから独自ドメインへ移転して一ヵ月でアクセスは殆ど回復して来た

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Googleでのブログの一日の表示回数が千五百回を越えてクリック数が百回を越えるようになって来た。独自ドメインを導入して無料ブログから移転して一ヵ月を過ぎた段階で少なくともGoogleからのアクセスは以前と同じくらいにまで、即ち殆ど回復して来たといって良いと思う。検索パフォーマンス via Search ConsoleSearch Consoleの水色のグラフが表示回数で、青色のグラフがクリック数だけれどもブログのGoogleでの状況を確認しながらほっこり笑うのももはや吝かではない。振り返るとおよそ一週間か十日毎にずんずんブログのGoogleでのサイト評価が上がっているようだ。情報では二ヵ月後からアクセスが倍増して行く人といわれるサイトの独自ドメインへの移転/アドレス変更なので、最も注目される状況はもう少し先だけれども途中経過として一旦は落ちながら又回復するのは一ヵ月後らしいから普通に想…

最も欲しいクリスマスプレゼントはやはり何といってもブログのアクセスの今年

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Brown Pine Christmas Decoration [CC0], via NegativeSpaceブログを開設して十二月十五日で一年が過ぎた。Googleのサイト年齢によるサイト評価の底上げをずっと期待し続けて来たし、一気に一日千人くらいに跳ね上がって欲しいアクセスだった。記事数は六百件を越えている。十分にあり得るのではないか。またはそれぞれが一日一人を確保しながら五百人越えでも目下の一日百五十人から比べれば有り難いばかりだろう。特に変わらないので、認めるのものろのろの成長でしかない。強いられる牛歩にいつまで笑えるのか。しかしまだ分からない。前回のブログは五月の下旬に開設して翌年の六月の初旬からやっとアクセスが伸びた。一年と数週間程でGoogleでのサイト評価が一変しないとはかぎらない。一ヵ月で一人だったのが五人にまで跳ね上がった。サイト運営に失敗していてアクセスそのものは…

ノーベル文学賞のクロード・シモンも本を出版できないフランスのエスプリで本物の文学はどこへ行ったか

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フランスで面白い実験が行われて有名作家のかつてノーベル文学賞まで貰った小説の俊英のクロード・シモンの作品の抜粋を国内の様々な出版社へ送り付けるも本にするのを悉く断られてしまった。ボル氏によると、ある編集者は「一文一文が果てしなく長く、読者を完全に突き放している」と感想を述べたという。ノーベル賞作家の作品送ってみたら…全出版社がボツに ファンが「実験」 via AFPBB News笑うのはクロード・シモンがフランスの小説家だった。二十世紀中盤に流行っていた文学潮流で、ヌーヴォーロマン(新しい小説)の代表格、またはアンチロマン(反小説)の最有力として専らアラン・ロブ=グリエと共に並び称されるような存在だったそうだ。一般人ならば未だしも本の出版社が自国のノーベル文学賞の有名作家の作品を知らないと暴き出されてしまったのをどう受け取るべきか。Prix Nobel Claude Simon via …

クロザピンで治療抵抗性統合失調症から回復した軽度の知的障害者

姪の四回目の外泊があってついに普通だと感じた。治療抵抗性統合失調症のクロザピンの投与から九ヶ月くらい経っている。待ちに待った瞬間とも過言ではない。何しろ、明るい印象で、接しながら違和感は殆ど受け取らずに済んでしまっていた。言動そのものは変わらないのに普通でもはや病気ではないと、精神科への入院以来、初めて気付かされずにいないのはなぜか。全ての反応が速くなっている。以前と比べて僅かながらでも生きる喜びが増したようだ。物事の捉え方に支障が全くないのが健康を思わせるし、病んだ精神でもなく、普通だと感じさせる状態に結び付いているに違いない。今はもう軽度の知的障害者が、一人、いるだけだといって良い、姪と会っても目の前には。精神科ではグループホームへの入居をちょっと前から考えていたけれども実際に幾つか見に行くような流れに変わって来ている。退院する日は順調に近付いているし、クロザピンで治療抵抗性統合失調…

ルイス・キャロルの最後のアリス・リデルの肖像写真の不思議なカメラの向け方に思うイギリス文学と詩的な感性

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The Last Sitting by Lewis Carroll [Public domain], via The Metropolitan Museum写真家としてのルイス・キャロルを発見して乞食娘のアリス・リデルが非常に素晴らしくて飛び抜けて良いと感じたけれどもそれに次いで記憶に残るのが椅子に腰掛けたアリス・リデルの肖像写真で、ルイス・キャロルがアリス・リデルを撮影した中では最後の一枚といわれている。右上から微妙に見下ろしたカメラの向け方が小説の不思議の国のアリスを彷彿とさせるくらい如何にも不思議だと感じさせられてしまう。ルイス・キャロルは数学者で普段は理知的だったのとは対照的にそうした日常生活の安定性を真っ逆さまに揺るがすほどの遊び心を持っていたとナンセンスな小説の愉快な書き方から分かる。イギリス文学だとローレンス・スターンのトリストラム・シャンディが全ての小説の始まりではないか…

竹内結子のInstagramは素敵な雰囲気のままでずっと消さないで欲しい

竹内結子がInstagramを開設した。観に行ったら写真は二枚しか載ってなかった。芸能人というか、分けても大人気のスター俳優だから写真を数え切れないくらい持っていて百枚くらいいきなりどばっと載せているのかも知れないと少しだけ密かに期待したのとは正反対の結果だった。本当に開設したばかりという初々しいばかりの竹内結子のInstagramの様子だった。写真は開設して早々と載せたのが最低限の一枚ではなかっただけでも偉いみたいな印象を与えた。不思議な感じがする。普通の人と、全然、変わらない。泣けて来る、考えると。またはソーシャルメディアやウェブサイトのインターネットの活動に慣れてないのではないか。写真の仕上がりは流石に何百万円のカメラを使っているはずだし――撮影したのは本人とはかぎらない――世間一般では大金持ちか、カメラのマニアしか手が届かない水準の非常に優れた画質だと唸るにせよ、パッと見ると分か…

明るい笑い声もオドラデクを思わせるうちはまだ安定しない精神だ

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姪が入院中の精神科の病院から家に二回目の外泊に来た。前回よりも随分と元気で安心した。疲れが減った。病院から外へ出ることが殆どなくて家に来るのも十年振りで、前回は相当に疲れていたらしい。病院に戻ってから一週間くらい寝込んでいたと聞かされた。大変な疲れによってまるで倒れるように動けなくなったに違いない。二回目の来訪では微妙な変化でしかないけれども明るい笑い声に真実味が増して生きる喜びの兆候が膨らんだのが非常に嬉しい。全体的な気分としてはどうもカフカの「オドラデク」を思わされて小説的には面白いけれども人生的には厳しいと悩まされざるを得ない。それは、屋根裏部屋や建物の階段部や廊下や玄関などに転々としてとどまる。ときどき、何カ月ものあいだ姿が見られない。きっと別な家々へ移っていったためなのだ。けれども、やがてかならず私たちの家へもどってくる。ときどき、私たちがドアから出るとき、これが下の階段の手す…

切迫する死の感覚の著しい無力感の笑い

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もしかすると良いのかも知れない。無力感を著しく覚えながら生きている。今が変わる。幸せを受け取るためにもう何も行う必要がなくなったせいだと思いたい。しかしあり得ない望みなのも確かで。呪われているのか、二十年以上も叶わない夢があり、絶望の淵も本当は磨り減って悲鳴のような泣き言も洩らさないとはかぎらなかったほどに荒くれている。元気でいられたのは嬉しいにせよ、良い加減にして欲しい地獄と振り返って再び前を向いて歩き出そうとする心にとっては足場を失って落ちてしまいそうだ。絶望の淵もない状態で、どうやって存在を保ち続けられるだろう。心は認めてない、新しい自分をまだ十分に。悲しむべき生活しか世界に許されないにも拘わらず、一体、どのようにして地獄の外で暮らせるというのか。祈りの先で神は目を閉じて黙っていた。自力で突破するしかなさそうだから頼るべき方法は思考だけみたいな境地だ今正にどうしようもないままに存在…

ロバートの秋山は最終的にはそこにいるだけでお笑いとして面白いわけだったんだ

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ロバートの秋山というと小煩い母親のコントを良く覚えていた。面白いと思ったけれども又新しく気付いた。のんある気分のテレビCMでドラマ仕立ての真面目な役作りにくすくす笑ってしまって如何にも珍しかった。個性的だと考えると人々の隙を付くように笑わせるスタイルがロバートの秋山のお笑いとしての持ち味だったんだ。ロバート秋山、広末涼子の専属マネージャーに サントリーノンアルコール飲料『のんある気分』新CM「楽屋編」「オリエン編」 via oriconロバートの秋山が広末涼子の専属マネージャーという設定なんだ。広末涼子がのんある気分のイメージ・キャラクターで、ロバートの秋山が専属マネージャーとしてちゃんとできるかどうかを取り仕切っている。小煩い母親と結局は同じだけど、改めて注目される人間味としては相手と自分の立場が逆転している。母と子の関係ならば子が成長して母を追い越した後ではないか。手掛けるタレントが…

たいかすに父親の穏やかな記憶

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かつて父親が食事に出しながらたいかすといって笑っていた。僕は知らなかったので、語感だけで鯛の滓ではないかとそれならば食えるはずもなさそうながら思い浮かべざるを得なかった。結構、良く目にしていたし、父親も好んで出しているようだったけど、味は決して悪くなかったので、たいかすが本当に鯛の滓で良いのかどうかは悩ましくて不可解だった。もしも食えるならば安物の鯛を意味するはずだった。日頃から何度も口に運ぶという生活も相当に貧しいと考えられるほどに不憫だった。父親が笑っていたからしかし全ては覆されもした。子供に予め悪いと分かっている食事を出しながら喜ぶような性格ではなかったのではないか。むしろ本当に良いものだけを食べさせるという気持ちがいつも強かったはずなんだ。鯛の滓が安物の鯛で食事に不味く出しながら笑っている父親ならば本当に冗談にもならないと思ったし、分かり難くて参った。調べてみるとたいかすは鯛の粕…

人に嫌われて辛いのにまだ生きるために

胡瓜の味噌漬けに少しだけ塩を塗したような情感のまるで詩が恋しくなって来る。自分を出したから良くないにしては思い出と反りが合わない。やはり相手が悪かったのだろうか。考えると思い出には先程と同じで含まれないから食ってかかられる僕は自分の言動の中に原因を求めずにはいられないんだ。辛くて生きているのもうんざりだというまでもなく分かってくれる存在だけが嫌うなんて気持ちから世間的に遠く引き上げて行くのが見えた。僕にとっては嫌われるなんて地獄から救い出されるに殆ど近く及ぼしたはずだったに違いない瞬間が訪れていてまだ生きるために必要なんだと認められるばかりだった。笑え、笑え、笑え。
笑え、笑え、笑え。
笑え、笑え、笑え。
笑え、笑え、笑え。詩はいつも遅れているのか、時間があれば作曲しておきたい笑えの行進曲よりも。だから詰まらないけれども嫌わない人々と嫌われない僕との感じ取られる順序を入れ換えてしまったん…

日曜日の夕方にテレビで笑点をゆっくり観られるような生活が良いかも知れない

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少年期と真逆なので、物凄く驚いたけど、日曜日の夕方にテレビで笑点なんか観ていたら暇だったし、退屈だったという記憶がある、とにかく。全然、遊んでない。遊びながら休日を終わらせられなかった悔しさと共に座布団が飛んだり、積み上がったりする様子を観ていたはずだった、番組では例えば。端的には笑い切れなかったのではないか。数年前に和むと新しく思って笑点とは何かが気になり出していて又観てみると本当に日曜日の夕方にゆっくり過ごしているならば素敵だと認めて少年期には全くあり得なかっただけに自分の変わり様にも向き合わされざるを得なかった。二十四歳の冬から作家・詩人が天職だと時間に追われる生活になってしまった。それこそ不思議の国のアリス(小説)の兎がぴったりかも知れないし、いつも時間がなくて急ぎながら暮らしているわけなんだ。結局、天職は遠ざかると生きてないと焦る。眠りも遮られて予定よりも早く起きてしまって健康…

COWCOWの正直な芸で裏表のない笑い

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COWCOW名作コント「こういう人知りません?」 via 吉本興業チャンネル
お笑いというとCOWCOWが好きだ。ちょっと前にあたりまえ体操でブレイクしたのは嬉しかったし、ファン歴は長い。十年くらい経つのかも知れない。
名前も、全然、知らないままで、コンビだから左と右で区別するしかないけど、とにかく左の人が物凄く面白い。
気の良さが生きている。いうと人の良さではないから、結構、珍しいのではないか。
身の周りでもゲームセンターの契約社員くらいしか思い浮かばない。一回だけかも知れないけど、僕がボケを噛ますみたいな態度を取ったら物凄く喜んでウキウキした接し方に急に変わったんだ。笑いを通じて仲良くなれるというふうな感覚を持っているのではないかと認められた。
COWCOWの左の人もやはり同じだろう。人と人とが仲良く過ごすための笑いを追求しているように見えてしまう。きっと右の人も同じで、コンビとして成り立って…

綺麗なお姉さんとの共通点を探る

かつて自分と思うことが似てそうだと感じる人がいた。二十代の女性だったけれどもある人から「綺麗なお姉さん」と呼ばれていた。とてもしっくり来る。顔も性格も良くて聞きながら納得頻りだった。
僕が身近にいて共通点として如実に受け留めたのは常日頃と笑いを求めてないのではないか。同志が見付かったみたいに綺麗なお姉さんには殊更と引き付けられた。
いうと笑わずに過ごして良いと思うのは幸せのためで、他には強いて手を伸ばさないんだ。
青春期を振り返って天使的な人が僕のために笑ってくれなかったと気付いたせいだ。僕が笑わせようとするといつも別口で切り返される。笑うのは僕だからみたいな感じで、こちらからは意図されないかぎりでしかなかった。
自作のトレジャーが天使的な人の笑顔をモチーフにして作詩しているけど、もちろん全ては僕の仕向けたものではない。 狙い通りには笑顔を見せて貰えなかったので、結果としてそれが果たされたのは神…