クリス・ロックは黒人の綾小路きみまろみたいなお笑いのトップスターだ 結城永人 - 2022年5月20日 (金) アメリカのアカデミー賞の授賞式でのウィル・スミスのクリス・ロックへの平手打ち事件について取り上げたけれどもアメリカのお笑いのクリス・ロックを初めて知って、一体、どんな笑いを生み出して国内最大の映画賞に呼ばれるまでの人気を得たのかを調べたくなった。 アメリカの黒人の開け広げな冗談 このごろ世界には差別ばかりある 誰が最も差別的か 白人か黒人か 黒人だ なぜか知ってる 我々も黒人が嫌いだから 白人が黒人について大嫌いなものを黒人は超大嫌いだ 今黒人の問題がいっぱいある 黒人の内戦があるぞ 2つの言い分がある 黒人とニガー ニガーなんていなくなれ いつも黒人が楽しいことをしようとするとばか者のニガーがぶち壊しにする あいつらのせいでなにもできない ニガーがふち壊しにするからなにもできない ディスコは3週間以上営業を続けられない 閉店 映画が出たあと1週間映画に行けない なぜ? ニガーが画面を撃ってるから ありえない 撃たずにはいられないほどこの映画が面白い 黒人は大好きだけどニガーは大嫌い クー・クラクス・クラン(白人至上主義団体)に超招待されたい もしそうなったらここからブルックリン区まで車で銃撃をする ニガーにうんざりだ ニガーのせいでなにも持てない 大きいテレビも持てない 持てたとしても、夜中の3時に家に運ばないと 白くテレビを塗ってニガーがベビーベッドだとかんちがいすればいいのに 家の中になにもおいておけない なぜならニガーが盗みにやってくるから 隣に住んでるニガーが盗みにやってきて次の日家にきて泥棒が入ったと聞いたんだっていう お前だったのを知ってるぞ お前が何かをやっていたから 本当は何もきいていないんだろ ニガーにはもううんざりだ うんざりだ うんざりだ うんざりだ Chris Rock - Black People vs. N****** [クリス・ロックー黒人VS.ニガー]|KUG Studio クリス・ロックはアメリカの笑いで主流の漫談(Stand-up comedy)で、一躍、名を馳せて国内屈指の実力者として認められるに至った。 YouTubeで代表作のNiggas Vs. Black People(ニガ対黒人)の日本語訳があったので、どんな笑いを生み出しているかが良く分かった。 ニガは昔ながらの黒人の蔑称(nigger/ニガー、nigga/ニガは黒人によるニガーの俗語)で、現在は人権的な配慮から黒人(black people/ブラックピープルかblack person/ブラックパーソン:アメリカ人ならばAfrican-Americanとも呼ばれる)とするのが普通だ。 クリス・ロックのNiggas Vs. Blackを観ると多くの日本人にとっては真っ先に酷過ぎるとドン引きするような内容かも知れない。 つまりニガへの端的に攻撃的な姿勢、罵詈雑言に近い言葉遣いの卑しさが受け付けられないわけだ。 しかしアメリカの黒人の多くにバカ受けしているのは決して彼らが日本人の多くよりも人間的に劣るためと考えてはならない。 生活が全く異なり、社会の中で自分が置かれた個人的な状況が全く違うから言葉などの表現を杓子定規に捉えるべきではない。 何よりもアメリカの黒人は人種的な被差別者であっていつでも死に瀕しているとも過言ではないほどの苦境に立たされている現実が多くの日本人には相当に理解し難い。 だからNiggas Vs. Blackを観客のアメリカの黒人たちと同じように笑うことはできないし、嫌らしい部分を除いても何をいいたいのかが受け取れず、詰まらないと思うのが普通だと思う。 世の中の悪い目で見られるのはニガだけにしてくれという感性 Niggas Vs. Black People (Live)|Chris Rock - Topic クリス・ロックのNiggas Vs. Blackを笑うために必要なのはアメリカで差別される黒人の内面を知らなくてはならない。全員がニガとして問答無用に敵視される。肌が黒いというだけで、人間的に劣っていると見做される。今ならば人権が拡充されて社会的な地位が高い黒人もいるけど――大統領もバラク・オバマが混血ながら父親が黒人でも就任した――しかし差別者がいなくなったとはいえないことは数年前の白人の警察官に殺された黒人の犯罪者から起きた大規模なデモからも明らかだ。 自分は何もしなくても必ずニガとして見られる社会の中で、人々のイメージを押し付けられるというととんな差別でも一つの不幸の実態(自分らしく全く生きられない性格)だけれどもクリス・ロックはアメリカの黒人に関して本当の自分は他にあると教えるように黒人という真実を取り返しているわけなんだ。 何が面白いかは黒人と相対化されたニガで、自分から遠い存在としてニガを捉えることができるところで、すなわち黒人にとっては自分は現実にニガではないし、人々から無闇矢鱈に悪者扱いされる存在ではないと実感させてくれるのが素晴らしいということなんだ。 クリス・ロックのニガへの口汚さは決して黒人差別者がニガを捉えるのと同じものではない。むしろそれをパロディーとして笑い飛ばすものであってそれ自体に敵意が込められていると捉えるのは精確ではないと思う。 危ない笑い、ブラックユーモア、または自虐ネタという観点から自分への戒めとして口汚さを受け取るのももう一つの面白さだし、ニガを悪者扱いするクリス・ロックこそ黒人差別者と同等の駄目人間という要素、部分、またはオチも踏まえるとはっきり分けることは難しいし、敢えて切り離す必要もないだろう。 笑いの壷としてはパロディーの口汚さこそ中心で、苦しい生活を社会的に強いられるアメリカの不運な黒人に正真正銘の気持ち良さを与えるのがたぶん国内屈指のお笑いの人気者としての地位を確立される主因だと考える。 黒人の綾小路きみまろともいえる 【きみまろライブの楽しみ方】★超最新★綾小路きみまろ爆笑スーパーライブに密着SP<完結編>|綾小路きみまろ公式チャンネル クリス・ロックを日本のお笑いに例えるとはやはり漫談でお馴染みの綾小路きみまろだろう。 同じように国内屈指のお笑いの人気者だけど、しかし案外と理解され難い面もあり、大受けするのは中高年に略限られる。 どうしてそうなるかはネタで中高年を主に取り上げるけれども笑いの中身が中高年しか実感できものになっている。 綾小路きみまろのスタイルはクリス・ロックと遜色ない。日本人の中高年に特有の悩みや苦しみを笑いによって素晴らしく免れさせる力がある。その他の年代では同じ日本人でも分からないかも知れないにせよ、少なくとも分かる中高年にとっては大変な魅力を発揮する笑いなんだ。 どうにもならない悲しみ、一つの不運を忘れさせるというか、必要以上に落ち込まないように救い出してくれる笑いは有り難いものに違いない。 綾小路きみまろの場合は日本の中高年層が対象だけれどもクリス・ロックの場合はアメリカの黒人を対象に上手く行かない人生を励ます。 弱者救済の笑いのトップスターを理解する微笑ましさは無上だ Chris Rock - Orpheum Theatre Minneapolis by Andy Witchger / CC BY クリス・ロックも綾小路きみまろも一般的にいえば弱者救済の笑いを求めていてお笑いの必要性からすれば最高の価値があるし、正しくもお笑いのトップスターと呼ぶに相応しい良さを持っている人だと認める。 または彼らこそ真のエンターテイナーといって良いかも知れない。 黒人や中高年といった特定の立場から外れると理解するのは難しくなるけど、しかしその他を含めて普遍的に理解できると又別の面白さを受け取ることもできる。 要するに救われる弱者を知ることで自分も救われる喜びを味わう。世の中に可哀想な人が一人でもいることは人類全ての不運といって差し支えない。なのでお笑いのトップスターによって中高年でも黒人でも気持ちを癒されるのが分かると心から微笑ましいと感じる。 これは人間そのものの有り難い現実として無上の幸せではないか。 逆に喜ぶ人に喜ぶ意味では立場が違っても同じように笑うこともできるわけで、どうにも差別される黒人とは違う、あちこち衰え始めた中高年と違う、しかしながら同じ人間として同じ面白さがやって来るかも知れないという期待感を得るのは愉快だ。 何れにしても幸せには変わらないと思うし、クリス・ロックも綾小路きみまろも分からないから詰まらないと避けるのは勿体ないといいたい。 お笑いのトップスターが持つはずの弱者救済の思いは人間的に優れるのは間違いない。だから誰にとっても幸せを招き得る。分からなければ笑う人がいることだけでもせめて喜べると良いと思う。いつか速やかに笑える日が来ればきっと拒まなくて儲けたと振り返ることもできる。 コメント 新しい投稿 前の投稿
コメント