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些細な日常

思い遣りを買われてこそ果たすべき約束も数知れない

すき焼きで椎茸を見ながら祖母を思い出した。父方の祖母で椎茸を煎じたお茶を飲んでいた。糖尿病だった。そして高血圧もあった。椎茸はとても良さそうだ。調べてみれば蛋白質やビタミン、ミネラルといった栄養素と食物繊維もさることながら特有のレンチナンの抗癌作用やコレステロールの調節による動脈硬化の抑制も期待されるらしい。健康に適しているのではないか。僕が知ってから一年も経たずに祖母は亡くなったけれども糖尿病や高血圧と診断されながら二十年近く暮らしていたわけなので、療養としては椎茸の力ももちろん無視できないだろう。僕も好きな食品の一つで、すき焼きならばどこにあるのかといつも探してしまう。

祖母は僕のことを茸が好きだといっていた

幼少期に味噌汁のたぶん具で茸を話題にしたのかも知れない。茸は木の子という響きがあるので、可愛らしいと感じた記憶がある。幼少期は常々と可愛らしいものを気に入っていて因みに味噌汁の具だと麩が最も気に入っていた。これは母親がいう、僕が麩が好きだと。味噌汁に丸くてふにゃふにゃにしたものが入っていたので、何なのかと尋ねたら母親が麩だと教えてくれた。それから、暫くの間、スーパーへ買い物に付いて行くと味噌汁の具を麩にして欲しいと母親にせがみながら麩ばかり食べるようになった。

茸は本当に木の子と捉えると今でも可愛らしいと感じる。占地のように傘が小さめのものが主だけれども椎茸のように傘が大きめのものでも自分が虫とかもっと小さな生き物になったつもりで、別の視点から捉えてみると雨傘だったり、家だったりと受け留められてそういうふうに小さな生き物の小さな雨傘や小さな家と考えると茸の傘が大きくても小さいのと同じくらい可愛らしいわけなんだ。幼少期ならば占地のような茸だけが気に入っていたはずだけれども詩人として想像力を駆使するや椎茸のような茸でも変わらなかったという。傘の大小に関わりなく、木の子の茸は正しく気に入っている。

祖母はインスリンの注射を日課で打っていた

血糖値を測る器具も持っていて僕も、一度、試しにやってみたら、手の親指に針を刺して少し血が出るのを調べる、90くらいで、低いと祖母にいわれた。二十六歳だった。聞きながら糖尿病の祖母が可哀想になったものだ。声が悩ましげで、何だろうというか、振り返ってみると食事制限とか運動を増やすなんて生活が縛られるし、もちろんインスリン注射を含めて薬などの治療そのものも決して好まれはしないだろう。調子が悪くなると入院して見舞いに行ったらベッドの下から醤油や塩が乗った器を取り出して病院の食事に「味がない」といいなから自分の調味料をかけて食べていた。本人は入院するのも慣れていたせいか、悪びれもしない様子だった。しかし病院の食事の治療としての効果はなくなると思わずにはいられなかった。僕は栄養が取れれば味は二の次だけれども味に真っ先に拘泥る人だからこそ食べ過ぎて糖尿病になったり、塩分を多く取って高血圧になったりするのかも知れない、逆にいえば。どちらも遺伝的な要素はあるので、僕も殊更と注意したい。血糖値も血圧いつまでも若いままとはかぎらないし、先手を打って考えておくには越さない。

二十六歳の春に祖母に付いて生活していた

白内障の手術後に眼鏡を買いに行って茶色の地味なものを選んであげたら後から紫色の派手なものに取り替えられて参ったり、スーパーへ買い物に出かけると手押し車が荷物で重くても手放さないから大変ではないかと思ったら歩行器だから当たり前だと気付かされたり、色々と学ぶことも多かった。しかし最も大きかったのは人柄の良さでお金を貰ったことか、僕が祖母に。年金で暮らしていたわけなんだけれどもなるべく減らさないように僕が生活費で使っていて祖母に小遣いで幾らかあげるといわれた分も断ったら人柄が良いからあげるんだみたく再びいわれたという。僕が小遣いは要らないとした思い遣りが祖母には非常に大切に考えられていたわけなので、初めて知って心が和らいだ。今までずっとそのように生きて来たに違いないと改めて感じもした。素敵だった。人の思い遣りを非常に大切に考えられる生き方、是非とも見習うべきだ。尊敬に値する。すなわち無償の愛は取り逃がしてはならない。

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