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些細な日常

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そばとうどんのかけときつねとたぬきと月見

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そばとうどんのメニューで、かけとたぬきときつねと月見という種類がある。それぞれ、何を意味しているのか。僕が初めて気付いたのは小学校低学年の駅の立ち食い蕎麦屋だった。今も見かける店先の食券のメニューにあった。面白いと引き付けられた思い出があるけど、振り返ると詩的な表現だった。改めて意味と語源と成り立ちについて纏めておく。 目次 かけそばとかけうどんとは何か そばとうどんのかけの意味 そばとうどんのかけの語源 そばとうどんのかけの成り立ち きつねそばきつねうどんとは何か そばとうどんのきつねの意味 そばとうどんのきつねの語源 そばとうどんのきつねの成り立ち たぬきそばとたぬきうどんとは何か そばとうどんのたぬきの意味 そばとうどんのたぬきの語源 そばとうどんのたぬきの成り立ち 月見そばと月見うどんとは何か そばとうどんの月見の意味 そばとうどんの月見の語源 そばとうどんの月見の成り立ち …

細川たかしのカツラみたいな髪型はパワー民謡に似合っている

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前にどこかで見てちょっと変だと思った歌手の 細川たかし の髪型を今良く見てやっぱり変というか、相当に普通ではない感じがして、一体、何なんだろうと訝しい気持ちにならざるを得ない。 細川たかしの余りに独特過ぎる髪型の理由 細川たかし| コロムビアレコード【演歌・歌謡曲】 調べたらあぁ、そうかという感じで、巷の話題になっていて若者から注目されたらしい。確かに斬新な奇抜さが目を引く。昨今の LGBT に示される多様な人間の在り方に触れるような個性があると思うし、そういった意味では比類なくお洒落とも受け取れるだろう。しかし多くはカツラ疑惑として取り沙汰される。髪の毛が一纏めに頭に載っているだけみたいな不自然な印象を与えずにいないと感じる。 細川たかしの髪型は2016年にテレビの 徹子の部屋 に出演した際に初めて世間的に知られるようになったらしい。元々は白髪を隠すために染めるのが嫌…

春紫苑の写真と俳句: 負けたら終わりの場所がある

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地元の大きな公園で初夏の花々の写真を撮って来たので、その中から 春紫苑 の写真を俳句付きで掲載する。 公園に人の手で植えられた花咲く草木の隙間を埋めるように様々な雑草も生えている。日本の春から夏にかけて最も良く知られた雑草の一つが春紫苑だと思う。余程、都会の真ん中にでも住まないかぎり、簡単に見られる花だろう。はっきり目を向けるのは児童期の通学路だけかも知れないけれども思い出すと僕にはとても馴染み深い。 雑草も一番人気か春紫苑 教育の言葉で「何でも良いから一番を目指せ」と聞くことがある。言葉遣いとして犯罪や迷惑行為でも構わないと取られ兼ねないし、昨今のお騒がせYouTuberやバイトテロなどの仕方で、知名度を上げるのは本末転倒だし、注意が必要だけれども一理はあるのかと思う。どんな分野でも二番以下では分からない世界があって一番になることで自信を以前よりももっと強…

ジューシィ・フルーツの素晴らしく楽しいテクノロック

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YouTubeのホームに出て来た動画の歌う女性に「何だ、この妖艶な魅力は」と心を動かされて観てみたら聴き覚えのある曲だった。ずっと昔、幼い頃に聴いて「一体、誰が歌っているんだろう」と気になった記憶が微かに残っていた。初めて知ってとても嬉しかったんだけれども歌っていたのは ジューシィ・フルーツ というバンドのヴォーカルの イリア (奥野敦子)で、曲は ジェニーはご機嫌ななめ だったんだ。今聴いても全く古さを感じさせないほどに引き付けられ捲るし、他の曲にも幾つか聴き覚えがあって本当に気に入りの音楽を見付けたと感じる。 ジューシィ・フルーツのテクノロックが何よりも好きだ ジューシィ・フルーツのイリア|ステレオ音楽館| 東京12チャンネル 今まで、散々、色んな音楽を聴いて来た中で、好きなのに良い曲を見付けることが難しくて、思う存分、聴けないものとしてテクノロックが個人的に挙げ…

タモリの友達不要論は一人の時間を大切にしながら常識を越えて林修も同感する

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かつて 笑っていいとも! (テレビ)のテレホンショッキングのコーナーで次から次へとゲストに頼んで友達の輪を何人分も広げ続けた タモリ が実はトレードマークのサングラスで人々から表情が隠されるように内心で正反対の友達不要論を唱えていたと分かった。 林修 が本人から笑っていいとも!のリハーサルで「友達はいらない。諸悪の根源である」と聞かされていて二人で話し合える本番のじっくり話し太郎のコーナーで一つの名言として真相を確かめると「これは言った覚えがある」と教えて貰えたんだ。 タモリは小学校や幼稚園で良く歌われる童謡の「ともだち100人できるかな」( 一年生になったら )の歌詞が受け付けられない気持ちがして「何が誇りなんだ! 友達の数が多いと人生が豊かになるなんてとんでもない勘違いだ」と自分なりの友達不要論を練り上げるに至ったらしい。 当の童謡の題名の「一年生になったら」から…

山口達也の強制猥褻事件へのTOKIOの謝罪会見から認め直した松岡昌宏のとてもお洒落な生き方

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TOKIO の 山口達也 の女子高生への強制猥褻事件が発覚した。酒の飲み過ぎに苦しんで、一ヵ月程、病院に入院していた後で、治療のための断酒が解けて嬉しくてか、又飲んで酔っ払いながら家に知り合いの女子高生を電話で「遊びにおいでよ」と呼び寄せた二人のうちの一人に抱き付いてキスしたらしい。 山口達也の謝罪会見|直撃LIVE グッディ!| フジテレビ 朝、起きると家には自分の他に誰もいなくて何も知らなかったようだけれだれども数日後か暫くして刑事が訪ねて来て当局へ連行されて取り調べを受けながらついに逮捕されるに至ったとされる。 山口達也 強制わいせつ容疑に対するTOKIO全メンバーと被害者親権者様コメント、弁護士説明文 山口達也は被害者の家族と示談を取り付けて警察への被害届を取り下げられたところで、謝罪会見を一人で開いた。所属するジャニーズ事務所には伝えていて被害者の家族と…

久保田早紀は異邦人しか売れずに五年で本名の久米小百合に戻ってキリスト教の音楽宣教師として歌い直していた

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今聴いても本当に素晴らしいと思う日本の古い歌謡曲の一つに 久保田早紀 の 異邦人 が挙げられる。発売日が1979年10月1日だから四半世紀を軽く過ぎた。思い出すと児童期にテレビから良く流れていて気を引かれたし、耳に残った。歌詞の冒頭が「子供たち」なのが身近だったせいかも知れない。改めて調べると副題がシルクロードのテーマと付けられていたけれども中近東アジアの異国情緒の溢れる音作りが特徴的だったのは確かに覚えている。ユーラシア大陸の東西へ亘って幾つもの国や地域を越えながら長い旅路に就くという感じが幼心にも先々の人生に重ね合わされたのが懐かしい。 デビュー曲の異邦人が売れた久保田早紀 久保田早紀|夜のヒットスタジオ| フジテレビ 残念というか、こんな良い曲を作るならば他にももっと久保田早紀の歌を聴きたいと思ったのに待ち構えながら何もなかったようで、寂しかった。 まさか 異邦…

キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と解散した理由は契約満了だった

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忘れかけていた昔ながらの大きな謎の一つが又解かれたようだ。又といいながら他に何も思い起こせない気持ちは不思議でしかないにせよ、とにかく キャンディーズ が解散した理由が明るみに出て来たのは嬉しいかぎりで、児童期から分からなくて良く考えて過ごしたものだと四十年近く経っては感慨深さまでも受け取ってしまう。 年がバレる(四十年近く前が児童期だから四十代後半ではないか)のはさておき、本当に好きだったというか、リアルタイムでは茫漠としておよそ覚束ないかぎりのアイドルグループでしかないのが僕にとってのキャンディーズに抱かれたイメージだったけれどもいつも可愛いみたいな感じがして幾かでも引き付けられていたのは事実だった。 キャンディーズ/8時だョ!全員集合| TBS もしかすると生まれて初めて気に留まったアイドルグループとすると人生で相当に意味ありげな気持ちもして来なくはない…

久留米躑躅の情熱の炎が燃え上がるような真っ赤な花に

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久留米躑躅が真っ赤で印象的だった。情熱の炎が燃え上がるようにまるで生きる喜びを鼓舞している。見ていて元気が出るし、輝かしい気持ちを味わう。将来への希望を受け取らせるかぎり、久留米躑躅は素晴らしいとしか呼べないだろう。今此処で花盛りの期待感は人生も確かに同じだ。 小学六年生の真っ赤な思い出 毎日、真っ赤な服を着て学校に通っていた。暫くして担任の先生に派手だから止めろといわれて驚いたものの従うしかなかった。自分でもいつも真っ赤な服ばかりで良いのかと訝っていたけど、しかしながら止めてみると本当に寂しかった。気持ちが萎えるようだった、以前よりも。真っ赤な服は気持ちが花盛りだったとすると着ないのは人生に暗雲がたれ込めそうではないか。不吉だったし、本当の自分を出せなくなるのでは将来も酷く感じたので、丸っ切り、避けてしまうのも忍びなかった 真っ赤な服は本当の自分を初め…

動物に癒されるのはなぜかは詩的なんだ

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イメージが純粋だから頼もしく見えてしかも自分と似ていれば通じ合う気持ちも力強いはずだと思うわけで、動物にはいつも癒されてばかりいるけれどもいってみれば詩的だからもっとずっと感動して良かったのではないか、振り返ると嘆きたいくらいなぜかを知らずに過ごしていたし、個人的には年も取ってしまっていた。 何といっても動物好きだった子供時代の思い出は尽きない Mountain Cottontail on Seedskadee NWR by USFWS Mountain-Prairie / CC BY 児童期に動物が大好きで、家で飼育したのも数多くてかりに数え上げようとすると考えただけで全ては無理ではないかと心配になってしまいもする。 ペットショップで買ったり、誰かに貰ったりするだけではなくて自分で外を歩いていて自然に見付けた動物は何でも家に連れて帰って飼うという子供だっ…

いつもフランダースの犬の清らかな心には感動を覚える

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児童期にアニメで観て大好きだった フランダースの犬 ( ウィーダ )は本当に素晴らしい作品だった。人間の心の清らかさが主人公のネロからはっきり受け取られた。 他の作品では意外と珍しくなくてテレビの時代劇のドラマで母親が亡くなって父親が病気で寝た切りで子供はどうやって生きて行くのかと思わせる場面が良く描かれている。江戸時代の貧しい庶民生活の典型的なイメージだけれども政治的に立て直せないせいだとすると世界中の難民と変わらないから極めてリアルな悲しみを伴って味わわれずにもいない。 ネロも全く同じだ。両親がいなくて祖父のジェハンに代わりに養われていたものの病気というか、高齢で望んだような形では殆ど財産もないし、育てることは儘ならない状況に陥っている。なので子供はどうやって生きて行くのかと思わされて仕様がないわけだ。 清らかな心はフランダースの犬では何よりも絵に象徴されて…

日曜日の夕方にテレビで笑点をゆっくり観られるような生活が良いかも知れない

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少年期と真逆なので、物凄く驚いたけど、日曜日の夕方にテレビで 笑点 なんか観ていたら暇だったし、退屈だったという記憶がある、とにかく。全然、遊んでない。遊びながら休日を終わらせられなかった悔しさと共に座布団が飛んだり、積み上がったりする様子を観ていたはずだった、番組では例えば。端的には笑い切れなかったのではないか。 数年前に和むと新しく思って笑点とは何かが気になり出していて又観てみると本当に日曜日の夕方にゆっくり過ごしているならば素敵だと認めて少年期には全くあり得なかっただけに自分の変わり様にも向き合わされざるを得なかった。 二十四歳の冬から作家・詩人が天職だと時間に追われる生活に変わった それこそ 不思議の国のアリス (小説)の兎がぴったりかも知れないし、いつも時間がなくて急ぎながら暮らしているわけなんだ。 結局、天職は遠ざかると生きてないと焦る。眠りも遮られて…

愛に通じる人生も嚔からでは涙色

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又来ている、嚔百連発が。症状としては花粉症みたいなものだけれども体力が落ちて創作活動も鈍る。少し経てば筋肉痛になるかも知れないくらい嚔は強い運動なんだ。百連発では本当に疲れる。調子を落とすだけでは済まされない。直ぐに治るし、寝込むほどの悲しみではないから耐えながら生きる。 嚔というと人から聞かされて密かに驚かされたことが一つだけある A girl sneezing by Gustavo Fring / Pexels かつて僕のことを 癒し系男子 とも捉えてくれた可愛いおばさんみたいな人だけど、丁度、嚔百連発を見ていて凄い咳をしているとも指摘されてしまった。 何のことか、さっぱり分からなくて狼狽えたものの受け取った言葉を考えながら飲み込んでみると自分では嚔をハクションとしているつもりだけど、人からはそれがしかしゴホンと咳に聞こえるんだと認められて来た。 ある頃、昔…

身近での父親の本当に生きた詩

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児童期に父親が一円玉や五円玉を大きめの硝子瓶に溜め込んで箪笥の上に置いていたことがある。本人の口から理由を聞いた例はなかったけれども母親がいうには《いつか大きな価値を生む》みたいな気持ちだったらしい。何だろうと思ったものだ。 振り返ると詩だった、しかも生活に役立つ本物の歌だったのではないかしら。 肝心なのは大きめの硝子瓶に溜め込まれた一円玉や五円玉の希望だと感じるんだ。小さな幸せを寄せ集めると大きな幸せになり変わる。または化けるといっても良いだろう。 絵本の スイミー ( レオ・レオニ )を思い起こさせる。小さな魚が数多く集まって大きな一匹の魚に見せて泳ぐ。すると同じように大きな一匹の魚のどうしようもない強敵でも退けることができて食い殺されずに済んでしまう。勇気と団結力に胸痺れるほどの名作だったのは間違いないはすで、とても気に入っていたし、今でももちろん何一つ変…

既視感(デジャヴ)の思い出

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たしか九歳の頃だった。クラスの教壇の方から反対側の大きな黒板を目にしながらいつか見たことがあると一度だけ感じた。 黒板落書き by ゆめみ愛 見慣れた黒板だったはずだ、およそ。しかし一度だけ黒板の辺りの景色が透明感を持って浮き上がるように瑞々しく味わわれてしまった。何だろうと考えると直ぐにも消えて元通りの状態に変わっていた。 初めてのはずが前にも見たことがあると思う 以降、偶に同じような経験はあった。忘れた頃にやって来るみたいな間隔で生じていた。またかと考えるけど、受け取れば驚きつつも直ぐに消えて行くんだ。強いて調べもしなくて分からないまま、過ごさざるを得なかった。知ってみたいとも思わなかったというか。 既視感(デジャヴ)と呼ばれる経験だった Miki Matsubara (松原みき) - ガンモ・ドキッ!|Miki matsubara 松原みき 最初は分からな…

クリィーミーマミで息吹きも新たに

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小学校の高学年か、アニメの 魔法の天使クリィミーマミ が大好きだった。金曜日の夕方にTV放映されていたと思うんだけれども急いで帰宅して観逃したくない気持ちだった。本当に自分でも珍しくてなぜこんなにまで引き付けられるのかが訝しかったりもした。 クリィミーマミ新作ムックが発売決定‼️| クリィーミーマミ公式 さほど細かくは覚えてないにせよ、物語では変身後のマミがスター歌手として人々に持て囃されているにも拘わらず、僕には変身前のマミこそ可愛いと思われたので、パーカーのフードに二匹の小さな猫が入っていたり、気になる存在ともいう、そうしたギャップみたいなものはとても印象に残っているんだ。 巷でも根強い人気を誇っているようで MMD動画 クリィミーマミ「デリケートに好きして V2」|サイバーにゃんのちゃんねる MMD デリケートに好きして クリーミーマミ MMD動画 クリィミー…

小林一茶の懐かしい俳句

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僕にとって俳句は馴染み深いものがある。というのは幼稚園で良くやっていた。気付いてみると仏教の幼稚園だったので、御釈迦様との関わり合いが多かったし、その流れで俳句といっても 小林一茶 ばかりなんだけども仏教徒だった彼の作品が授業に取り入れられていたんだろう。記憶に残っているのはどれも子供でも分かるような、そして動物を題材としながら面白味も損わない俳句だった。 励ましが素晴らしい 痩蛙まけるな一茶是に有 小林一茶の 七番日記 弱いものを救済する精神がとても共感される。困っている人に手を差し伸べる。人だけではなくて他の生き物でも地球環境でも全てにおいてやらなくては気が済まないけれども「痩蛙」は象徴的に響く。詩としては正義の味方だろう。正義の味方は本当は弱いものなんだ。なぜなら一人で敵に立ち向かわなくてはならないからで、素晴らしく思うのはやはり「一茶」が付いている。正義…