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愛に通じる人生も嚔からでは涙色

又来ている、嚔百連発が。症状としては花粉症みたいなものだけれども体力が落ちて創作活動も鈍る。少し経てば筋肉痛になるかも知れないくらい嚔は強い運動なんだ。百連発では本当に疲れる。調子を落とすだけでは済まされない。直ぐに治るし、寝込むほどの悲しみではないから耐えながら生きる。


嚔というと人から聞かされて密かに驚かされたことが一つだけある


かつて僕のことを癒し系男子とも捉えてくれた可愛いおばさんみたいな人だけど、丁度、嚔百連発を見ていて凄い咳をしているとも指摘されてしまった。


何のことか、さっぱり分からなくて狼狽えたものの受け取った言葉を考えながら飲み込んでみると自分では嚔をハクションとしているつもりだけど、人からはそれがしかしゴホンと咳に聞こえるんだと認められて来た。


ある頃、昔からというか、児童期から寒暖差アレルギーだろうけれども止まらない嚔で鼻水も垂らし捲って小学時代にはクラスの教室で友達の前で嚔と共に鼻水を30cmくらい垂らして恥ずかしい思いにも駆られたし――強いて囃し立てもせずに一言か二言で流してくれたなんて良い奴だったと呼びたくなる。アドベンチャーゲームで親交を結んだ彼と後にとても仲良しだったというのも良い奴の彼だけど、夜中に家に帰って来ないと僕のところに親から電話がかかって来るからいつもあの人と一緒かも知れないみたいに伝えるしかないくらいで、本人に訊けば実際にそうだったり、中学時代、素晴らしくも馬が合っているような二人だった。僕にとっては幼稚園以来の幼馴染みの一人で、良い奴の彼とは付かず、離れずみたいな間柄が多かった――せめて鼻水を長々と垂らさなくて済ませられるような嚔の仕方はないものかと探した。


考えて嚔の荒い勢いの息を鼻を通さずに口からのみ出すようにしてしまえば鼻水は比較的に抑えられると分かって好んでずっとやっていた。初めて気付いたのは二十代中盤だったか。小説をもう既に日課の如く書いていて鼻水を垂らしながらでは今でも本当に鬱陶しいし、只でさえも止まらなくてティッシュペーパーが箱ごとなくなりそうなくらいなのに嚔と共に勢い付けて増やしていては堪らないと感じたんだ。以来、嚔は口から抜いてばかり、切り抜けていた。


人から咳に聞こえると風邪を引いていると思われるし、だから病弱ともしかすると優しく扱われ易い気持ちもして嬉しいとはいえ、申し訳ないから尋ねられれば確実に嚔だと悪化して寝込んだり、または肺の酷い病気や何かではないとかりに咳でも百連発では余りに多過ぎるわけだから教えたいと思ってはいる。


可愛いおばさんみたいな人へは伝えるや逆に「えぇ、嚔なんだ」と驚き返されもしてしまったにせよ、先に聞かされて自分は咳のような嚔をしていたと気付かされてしっかり聞くように自分で調べてみても確かにと頷かれたので、咳に聞こえる嚔は個性というか、一つの生き様として受け入れる他はなくなったわけだったんだ。


考えてみれば嚔一つでも人それぞれの趣きがあって皆が皆で同じではない


ハァーックショワーンと大きくする人もいるし、クシュンと小さくする人もいる、生き様ならば自然のままで、自分らしさが露呈しているというか、些細な日常だと味わわれもする。


多少とも周りの人たちに目を向けて過ごしていたら綺麗なお姉さんが僕と同じように咳に聞こえる嚔をしていたことに感じ至った。幾つも共通点を受け取る綺麗なお姉さんだけれども嚔の仕方もそうだった。基本的にはクシュンの仲間だけれども音が篭っていてクホと鳴っているので、咳に思われてしまう。


ある人に「風邪ですか」と訊かれて「いいえ、違います」と綺麗なお姉さんが応えるとさらに「咳が多いみたいだから」といわれてもやは口を噤みながら何でそんなふうにいわれてしまうんだろうみたいな顔をしていた。


見ていて直感されたのが本人は嚔をしていた気持ちのゆえに咳と指摘された相手の気持ちが上手く掴めなかったせいではないかしら。


綺麗なお姉さんは周りへの気遣いが絶えないふうに察せられるし、いうと生き様のかぎりは苦にならなくて《自然体の為せる業》かも知れないにせよ、嚔はたぶん煩くしないように音をなるべく立てまいとして考えながら抑えるから咳に聞こえるんだと思うしかなくなる。


僕も気持ちはそうだし、そういう人は少なくない世の中のはずだけど、普通を越えてまで小さな小さな嚔ができていた綺麗なお姉さんは一人の人として見詰めてみても凄いとしかいいようがなさそうだ。


二十代前半で、何が貴方をと唸る間もなく知らしめた世界に涙を溢すことさえも儘ならなくはないほどに甚く感心させられる、よもや詩的に追求すれば。


ここまで来られるとは本当にまさかだけど、嚔百連発は嫌々ながらも素晴らしい出会いに囲まれながら生きていられれば綺麗なお姉さんにかぎらず、有り難い人たちと手に入れた愛こそ握り締めるように守り抜くべきだったんだ。


人生はどんなに悲しみが大きくても全てを明け渡しては行けないと悟らされる


たとえ不幸だとしても救いは決してないわけではないと願いたい気持ちがするのは必要な愛のためで、または夢の魔法のせいではないだろうか。


きっと乗り越えられるから待つべきこその幸せに何もかも諦め切れなどはしない。

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