久留米躑躅の情熱の炎が燃え上がるような真っ赤な花に 結城永人 - 2017年5月16日 (火) 久留米躑躅が真っ赤で印象的だった。情熱の炎が燃え上がるようにまるで生きる喜びを鼓舞している。見ていて元気が出るし、輝かしい気持ちを味わう。将来への希望を受け取らせるかぎり、久留米躑躅は素晴らしいとしか呼べないだろう。今此処で花盛りの期待感は人生も確かに同じだ。 小学六年生の真っ赤な思い出 毎日、真っ赤な服を着て学校に通っていた。暫くして担任の先生に派手だから止めろといわれて驚いたものの従うしかなかった。自分でもいつも真っ赤な服ばかりで良いのかと訝っていたけど、しかしながら止めてみると本当に寂しかった。気持ちが萎えるようだった、以前よりも。真っ赤な服は気持ちが花盛りだったとすると着ないのは人生に暗雲がたれ込めそうではないか。不吉だったし、本当の自分を出せなくなるのでは将来も酷く感じたので、丸っ切り、避けてしまうのも忍びなかった 真っ赤な服は本当の自分を初めて社会的に見出だした経験だった。計らずもファッションで人々に本音をアピールしていたわけで、燃える情熱ならば幸福だったと考えてしまう。小学六年生の一時期が素晴らしい世界そのものだった。 なぜかはきっと恋のせいだろう 好きな人がいた、同じクラスに。片思いだったけれども嬉しくて嬉しくて真っ赤な服を着ていたと振り返る。本当に可愛い気持ちがしてメロメロだったようだ。出会った衝撃がとても大きかったゆえに、全身、赤ずくめのファッションで生きるしかなかったに違いない。自分の気持ちに嘘は吐けなかったと認めるんだ。 久留米躑躅の真っ赤な花は素晴らしい世界が本当の自分と切り放せないと教えてくれる。輝かしい気持ちが大事だ、いつでもどこでも前向きに努力するために。将来への希望がなければ人生は虚しいだけだろう。諦めて死ぬな。夢見ると良いと笑えるうちに情熱の炎を絶やしてはならない。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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