日曜日の夕方にテレビで笑点をゆっくり観られるような生活が良いかも知れない 結城永人 - 2016年11月30日 (水) 少年期と真逆なので、物凄く驚いたけど、日曜日の夕方にテレビで笑点なんか観ていたら暇だったし、退屈だったという記憶がある、とにかく。全然、遊んでない。遊びながら休日を終わらせられなかった悔しさと共に座布団が飛んだり、積み上がったりする様子を観ていたはずだった、番組では例えば。端的には笑い切れなかったのではないか。 数年前に和むと新しく思って笑点とは何かが気になり出していて又観てみると本当に日曜日の夕方にゆっくり過ごしているならば素敵だと認めて少年期には全くあり得なかっただけに自分の変わり様にも向き合わされざるを得なかった。 二十四歳の冬から作家・詩人が天職だと時間に追われる生活になってしまった。それこそ不思議の国のアリス(小説)の兎がぴったりかも知れないし、いつも時間がなくて急ぎながら暮らしているわけなんだ。 結局、天職は遠ざかると生きてないと焦る。眠りも遮られて予定よりも早く起きてしまって健康を損うので、注意するけれども本当に難しくてどうにもこうにも辛いばかりだった。 目が弱る、取り分け。ドライアイが酷くなったのは収まったにせよ、状態は決して万全とはいえない。老化も大きいはずだけど――二十代、三十代では何ともなかったのは確かだ――スマホ/タブレットの画面を、長時間、見続けることは避けられないので、作家・詩人の職業病として捉えながら用心して生きるしかない。 ちょっと前に笑点のメンバーが入れ替わったので、知っておきたい感じもした。 司会の桂歌丸が高齢で無理になって誰が引き継ぐのかが興味を引かれた 僕には三遊亭円楽(六代目)が適任ではないかと感じられた。落語家として最盛期を迎えているように見受けられるし、タイミングが合っていて運に恵まれて笑点を絶好調で盛り上げる可能性が高かった。皆を纏める司会としての能力もしっかりありそうだから、十中八九、三遊亭円楽で決まりみたいな印象は強かった。 知るや伸び盛りの春風亭昇太だった。しかし意外だったのは笑点への在籍が短くて比較的に新しいメンバーだった。 児童期から観ていて当時の司会は三波伸介で、可成、気に入っていた。桂歌丸が伸び盛りだったせいか、振り返れば笑いの切れや冴えが凄まじくて三波伸介との絡みが絶妙に面白かった。個人的には笑点というと三波伸介と桂歌丸のイメージで記憶に強く刻まれてしまっている。 それから三遊亭円楽(五代目)に変わって長く続いていた。観ていて桂歌丸はどうなるかと心配だったけれども以前よりは詰まらなかったかも知れない。スピード感が下がっていたために冴えが多くて切れは薄いみたいな由々しさも出て来てしまっていた、やはり。司会者のせいとはかぎらないし、彼自身の笑いへの捉え方が反映していたのかも知れない。名人芸に近付いていたようで、落語の名調子こそ印象深かった。美しい語り口を良く聞かせてくれていた。なので流石なのは間違いなかった。 三遊亭円楽が何年も司会を誰にも譲らずに笑点の顔みたいになったと思う 僕は天職を見付けて忙しくてテレビ自体をどんどん見なくなったし、当の笑点も番組よりは林家喜久蔵の喜久蔵ラーメンとか林家こん平と三遊亭小遊三のらくご卓球クラブなんて外側から気を引かれるくらいだった。 メンバーも林家こん平が抜けたり、若手が入って来ていて桂歌丸が司会になったのもつい最近の出来事だったと思い返される。 春風亭昇太が調べると桂歌丸から後任として指名されたらしい。 初めて観て面白かった。在籍の長い他のメンバーを差し置いて司会者になってしまったことが笑いの種にされていたり、三遊亭円楽が有望なのに落とされたのは桂歌丸との絡みからすれば憎めなさが味わわれる。彼は春風亭昇太よりも桂歌丸に負けたに等しい。指名されなかったせいなので、この辺りの可笑しみには格別なものがあると思う。滑稽の一言に尽きるだろう。 日々の生活でも悲しみの原因が目の前にあるとはかぎらないと学ばせる 和むし、考えると笑点に家庭的なイメージが膨らんでいるからゆっくり過ごせもするわけだ。皆の憎めなさが大きい。連帯感が有り難くも胸に染みた。避けたい涙も笑いと共に昇華するかぎり、もはや気持ちそのものが晴れやかになる。 年がら年中、作家活動では体力が保てなくなってしまったし、休みながらやるしかない状況で、週に一度、日曜日の夕方くらいは止めなくては駄目だと思うし、抜けない疲れを殊更に増やさなければ好調も長続きしてきっと良いかも知れない。 つとに注意しながら十分には果たせなくて不味いけれどもテレビで笑点を観ながらはっきり感じたので、頑張ってでも休むべきというか、健康を損っては将来も虚しい望みだから益々と反省される。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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