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些細な日常

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α5100とTouit 2.8/50Mの初夏の晴れた公園の花々の撮り歩きの五つの作例

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ゴールデンウィークの前半、四月三十日に良く晴れて暖かったので、地元の公園に愛用の カメラのSonyのα5100 と レンズのZeissのTouit 2.8/50M を携えて花々の写真の撮り歩きに出かけた。 目当ては何といっても山の裏道でひっそり咲いているのを見付けて 大喜びした鈴蘭 だ。 好きな花だけど、しかし白一色で小さいからピントが合わなくて動かなくても写真撮影には手強いとも知った。最初は失敗ばかりだったし、スマホやコンパクトのカメラでは被写体の輪郭を十分に取れなくて――光の少ない木陰の鈴蘭にかぎればもはややるだけ無駄の散々な境地を強いられるばかりだ――たとえ一眼レフのカメラでも露出やシャッタースピードや絞り値などをしっかり覚えて細かく調整しないと厳しかった。鈴蘭との出会いは写真家として相当に練習になった。 二年目の去年は山の裏道の鈴蘭の集落へ何度も足を運んで試…

花々のマクロ撮影は世界が変わる瞬間を色鮮やかに写真に残せるのが嬉しい

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マクロ撮影 はどんな被写体でも世界が変わる瞬間を写真に残せるのが面白いと思うけれども取り分け花々だと色鮮やかに仕上がるから今正に見方が新しく生み出されていると求められるリアリティーが増して来るようでいつも嬉しい気持ちが大きい。 ミラーレス一眼カメラのα5100 にさらに 等倍マクロレンズのTouit 2.8/58M を購入して以来、写真のマクロ撮影の作例がどんどん増えて行くばかりだ。 最初は世界が変わる瞬間に怖がっていたかも知れない 被写体を傷付けるのではないかと一つの慣れ親しんだ見方の崩壊、または逸脱に心を僅かにも苛まれずにいなかったような感じがする。しかし常日頃のイメージだけが正しいわけでは決してないはずだし、写真のマクロ撮影は被写体に隠された新しい真実をはっきり引き出せるところが良いんだと考えるほどに積極的に取り組めるようになった。 とはいえ、実際に取り組ん…

Zeissのマクロプラナーは光の流れを巧く捉えるマクロレンズだ

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菜の花が明るく咲いていた。黄色が眩しい。何輪も一斉に風に揺れていると如何にも無邪気な可愛らしさに胸を締め付けられる。自作詩の The blue で歌った光の切なさを体現した花かも知れない。すると菜の花の一輪ずつが素晴らしい瞬間なんだ。堪らなく詩的で、心から見逃せないと思う。 作例はマクロ撮影が上手く行って気持ち良い 菜の花は細長いからまさかだけれども真ん丸でほわほわのイメージが手に入った。世界が見違える。望ましい光を象徴するように詩的に纏められたと納得する。 描き込みが少し足りないけど、明るくてコントラストが低いせいみたいだからそのままにしている。写真には自然さを何よりも出したい。些細な日常だし、見た目通りの仕上がりが気に入っている。 カメラとレンズの α5100 と Touit 2.8/50M も実力を十分に出し切れたのではないか。写真の実在感は基本的に軽くならざる…

七星天道の汚れて苦労する命の営みには神の視点から平家物語の憐れみまで考えられた

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鈴蘭に七星天道が付いていた。好運な感じがする、ラッキーセブンなので。しかも赤だ。 情熱の炎の輝かしい気持ちだ 人生の期待値も上がらずにいない 。姿形も丸くて小さくて可愛いから嬉しい。 去年も見付けたけど、写真には残せなかった。ちょこちょこ動き回るから α5100 ではタッチパネルの追尾フォーカスで狙うしかない。背中にピントが合ってくれたから良かった。日陰なので、描き込みは緩くても仕様がない。 Touit 2.8/50M のマクロ撮影ならではの被写体が背景から浮かび上がるような仕上がりを得たからとても満足している。 雨が多くて鈴蘭が汚れて七星天道もそうなので 見ていると独特のイメージを認める。いうと花も虫も苦労している。 ヴァン・ゴッホの馬鈴薯を食べる人々 と被るような労働の崇高さを人間にとっては計らずも受け取ってしまうし、そして命の営みの地道な余りのリアリティーに気付かさ…

初夏の光の花々:山躑躅(朱色/赤)と鈴蘭と日陰躑躅と淀川躑躅

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ゴールデンウィークに写真撮影に出かけた。快晴で初夏の光を思う存分と味わえたようだ。 前回も快晴だった ものの今回は上回っていて写真の仕上がりはさらに明るい。嬉しいし、目覚ましい。 α5100 と Touit 2.8/50M で、結構、多めに撮ったけれども失敗作もいつになく少なかった。 山躑躅の朱色の花 山躑躅は 早く咲いていた のが枯れて他の木が満開だった。日差しを受けて光り輝く朱色の花が可愛いし、日本的な情緒を与える。錦鯉を思い出す。白と朱色の錦は良い人生を予感させる。自作詩でも 錦 を歌っていた。錦の素晴らしいイメージが光り輝くと白っぽい朱色の山躑躅には受け取られずにいない。 山躑躅の赤い花 赤い山躑躅の花も増えていた。目を引いた。心を掴まれた。写真を長々と撮っていると山道の階段を人々が歩きながら良い色だというのが聞こえて笑みが溢れた。同じではないか、気持ちは僕と。良い色…

鈴蘭の蕾に待ち遠しい初夏へのカメラ考察

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森へ行くと鈴蘭が蕾を覗かせていた。四日前の 写真撮影 で立ち寄ったら茎だけだったから早いと驚いた。もう直ぐに満開だろう。初夏の息吹きを感じる。鈴蘭の花が待ち遠しくも写真に収めるならば来週一杯こそ最高に違いない。再来週以降も暫くは枯れないにせよ、雨風で汚れたり、蜘蛛の巣が張ったりするので、真っ白なままを端的には狙い難そうではないか。 しかしやはり本当に厳しいのはピント合わせだ、カメラにおいて 鈴蘭の蕾を撮りながら一年振りに思い知らされる現実だった。天気は快晴で、シャッタースピードも四桁の1/1000sだから手振れの心配はなかったのに仕上がりに気乗りしないのは描き込みなんだ。似た花のスノーフレイクは四日前の写真撮影でもまずまずだったけれども鈴蘭は小さい分だけ写りが悪くなってしまう。白一色の花でコントラストも低いかぎり、カメラはフルサイズのセンサーでなければ描き…

公園での晩春の花々の写真撮影

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久し振りに写真の撮り歩きに公園へ出かけた。カメラとレンズは α5100 と Touit 2.8/50M だ。レンズは手振れ補正が付いてなくて辛いし、大分、写真を撮ったからもうそろそろというか、偶には交換しても良さそうだけれども止められない。何しろ、仕上がりの透明感が清々しくて気に入っている。 昨年、 鈴蘭を見付けた穴場 を目指した。ピントが合わなくて非常に苦しんだし、枯れかけてもいたので、もう一度、早めに行ってそして頑張ってみたかった。大好きな花なので、悔いは少しも残したくない。 しかし鈴蘭は一つも咲いてなかった。周りに生えていたはずの雑草もなくなっていて市役所で刈り取られたかも知れないので、本当にショックを受けずにはいなかった。地面を詳しく調べてみると細長い茎が幾つも伸びていたから五月に入れば大丈夫かも知れないとも感じた。 今春は寒い日が続いていたし、咲くのが遅れ…

観葉植物の写真を透過光で撮る

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雪も降って冷え込みも、可成、厳しい一月中旬、しかしながら今日は晴れて室内への光の流れがいつになく良かった。 日差しの角度が好ましくて写真日和とも過言ではない感じがしてしまった。 窓辺の観葉植物の葉っぱに光が透過されて幻想的な世界が浮かび上がって来たんだ。 カメラも α5100 と Touit 2.8/50M で室内ではシャッタースピードが上がらなくていつも苦しんでばかりなのに楽勝だった。上手く行けば1/1000sも越えるくらいだから十二分の明るさだろう。 珍しく絞った、レンズを幾らか。カメラの面白さを久々に味わった。屋外で撮影してないし、近頃は室内で開放絞りばかり使わざるを得なかったので、明るさを減らさないためにレンズは全く絞れないという不自由さから解き放たれて嬉しい気持ちがした、本当に。 ピント内が少しぼやけているようだけど、しかし良いのかも知れない。屋外の太陽の…

久し振りに目高を撮影したらカメラのシャッタースピードがやはり大事だと感じた

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被写体振れを連発して何枚も駄目にしたし、魚などの動き回る動物にはカメラのシャッタースピードを上げなければ望み通りの写真は手に入らなかった。 撮影は追尾フォーカスを使ってやっている α5100 はタッチパネルでできるから非常に簡単なんだ。 ただし水槽だと距離感によってレンズが大きく迷ってしまうから注意しなければならなかった。どのくらいでスムーズに目高にピントが合うかを事前に覚えておかないと良い場面を逃してばかりで終わってしまうという。 構図も決めてかかるわけには行かなかった 写真に残せるだけで有り難いと考えながらそれ以外の全ては編集で仕上げる気持ちで撮影するべきだったんだ。 二匹の 目高 が並んで泳いでいる姿が凄く可愛いからブログにも載せたかった。 作例は納得できる。イメージにピッタリだから本当に嬉しい。日中の窓辺で天気も良くて光が十分に取り込めたので、透明感まで生き生…

青い紫陽花の花言葉には手の届かないイメージを感じる

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紫陽花 が満開になっている。 α5100 と Touit 2.8/50M 、ミラーレス一眼とマクロレンズで初めて挑んだ。しかし本当にふわふわして可愛く撮れたと思う。 青い紫陽花の花言葉を調べてみると「冷淡、無情、高慢、辛抱強い愛情、あなたは美しいが冷淡だ」と見付かった。人を寄せ付けない魅力があるのか。高嶺の花のようで、手の届かないイメージを感じる。取り付き難い。しかし芸術的には美しさそのものともいえるだろう。憧れの的に相応しいわけなんだ。 知り合いの若い女性の言葉を思い出す 乙女的な人が急に訊いて来たんだけれども彼女が僕のそばに自分がいると可愛いから緊張するのではないかといっていたから実際はどうなのかと確かめたがったんだ。僕は稍悩んだ末に「大丈夫ですよ」と本音で応えた。すると乙女的な人は彼女に教えに又直ぐに戻って行った。 可愛い人に緊張するとしたら大丈夫では可愛い人…

紫陽花のもう直ぐにでも咲きかけた蕾

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日増しに色付いて行く紫陽花、蕾がほわほわ膨らんで本当に可愛いと思う。夢のようでまさか期待感が増す。目が離せなくなる。 作例はマクロレンズならではの仕上がりだろう。カールツァイスのマクロプラナーは流石に良い。優しく包み込むようなぼけ味がなかったら咲きかけのこの紫陽花の蕾もほわほわ写し取れたかどうかは定かではなかっただろう。 α5100 と共に Touit 2.8/50M は宝物だと思うし、望み通りの一枚が確かに得られた喜びは大きい 明かりが少ないとシャッタースピードを稼ぐのに苦しんでしまうけれども屋外で曇りでも日陰でなければ大丈夫そうだ。作例はISO感度が100と低いままにシャッタースピードは1/500sまで上がっていて十二分だった。 絞り値はf/4にしている。情報ではf/5.6で全体的な解像力がピークになるらしいから多用するべきところだろう。マクロ撮影でピント外…

早苗と明るい空と小紫陽花

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町外れの田園地帯に写真撮影に出かけた。かつて一度だけやっていて山が見付かったりもしたので、春先だったけれども季節が違えぱ新しく何かないかとまた探してみたくなったんだ。 早苗の田園風景 田園風景が気持ち良くて初夏だから早苗が広がっていた。水面に微風が吹いていて早苗と共に小波が立つのが風情を感じた。他には何もないようなところで、本当に田畑ばかりが続いて行くんだ。 車道や畦道の傍らには白詰草や姫女苑が主に咲いていて紋白蝶が何匹も飛んでいた。写真や動画に撮りたかったけれども日中だからか動きが活発で非常に難しかった。駄目で、田圃には青鷺がいたけれどもやはり駄目で、2~30mくらい近付くと直ぐに逃げられてしまう。あと塩辛蜻蛉も見かけて動きが早くて駄目だった。撮りたいものが撮れなくて辛かったし、カメラでは表現できないにせよ、記憶には確かに収まったので、良かったとは思う…

どんな花が好きかと訊かれたら鈴蘭と僕は応えよう

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公園の小山の天辺に向かう道が幾つもあって日陰の多い脇の方へ進んで行ったら鈴蘭の集落に出会した。とても嬉しかった。小さな花が鈴生りに咲いていて大きな葉を立てている様子が素晴らしく気に入っているんだ。 しかし難しい、写真に収めるのは鈴蘭を。如何せん、花が小さくて白一色なので、コントラストが非常に少ないせいか、描き込むのは大変だった。 α5100 と Touit 2.8/50M で作例の距離感だと精一杯の表現という他はない。鈴蘭の花と葉のバランスが分かり易くなるように少し引いた構図にしたかった。 五月の中旬だから枯れかけていてもっと早く見付けておきたかったと感じた。穴場だ、地元の。まさか鈴蘭の自生している場所が身近にあるなんて夢にも思わなかった。歩き回ってみるものだ。笑みも溢れる。

マクロ撮影はカメラのピントが狭くて周りがぼけ易い

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姫女苑(ひめじょおん)の花の間に花潜(はなむぐり)が挟まり込んでしまった。 α5100 と Touit 2.8/50M でのマクロ撮影は本当に面白い。屋外で晴れの日だとプログラムオートでシャッタースピードが楽に上がるので、手振れ補正がなくても何の心配も要らないだろう。作例の絞り値はf/6.5で、シャッタースピードが1/625sだった。普通にやっていて手振れするとは考えられなくて虫が幾らか動いたり、花に微風が吹いたりしても写真ではピタッと止まる。抜群の描写力で世界の一瞬を余すところなく伝え届けられるかのようだ。 ところでマクロ撮影だとピントが狭くなるらしい 被写体の僅かな前後差でぼけが広がる。作例は上の姫女苑の下側の花弁にピントが合っていて花芯の盛り上がった中央でも大きめにぼけている。絞り値を上げるとピントは広くなるといわれているけれどもf/2.8からそこそこ絞…

白詰草に蜜蜂が飛んで来た

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公園に写真撮影に出かけた。 α5100 と Touit 2.8/50M で作例はベストショットではないか。見事なリアリティーだ。蜜蜂が白詰草の花を動き回るからシャッタースピードが要求される。結果は1/250sだった。ちょっとした水の流れが1/400sといわれるので、半分程度で大丈夫みたい。快晴の自然光ならばプログラムオートで十分だ。シャッタースピードは上がる、周りが明るいほどに。輪郭が微かに甘いのはカメラのセンサーのせいにするしかないと思う。α5100では超細密にまでは描き切れないだろう。しかし全力の画質を得られた。蜜蜂が白詰草の花の蜜を集めているけれども一つの懸命さを物語るような仕上がりになった。表現に躍動感が漲った。 僕にとって写真でやりたかったことは全てできた。この先は躍動感、あるいは生命感を踏まえながら取り組んで行くべきだ。写真におけるコンセプトを掴…

Touit 2.8/50Mを装着したα5100に昂る写真撮影への気持ち

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α5100 に Touit 2.8/50M を装着した。持つとずっしり来る。気持ちが昂る、写真撮影へ。 デザインも落ち着いた感じがして素敵ではないか。黒で統一されもした。昂りつつも気持ちは引き締まるようだ。写真撮影に興奮して手振れしたくないので、況して手振れ補正の利かない組み合わせだし、有り難いとも考えてしまう。 α5100とTouit 2.8/50Mでの第一歩を踏み出してもう既に使い出している レンズの動作音がジーコジーコ鳴るのは動画撮影だと収音されるくらいといわれていたけれども本当にそうだろう。しかし写真撮影は集中すると気にならないようで、聞こえなくなるくらい打ち込んで励みたいものだとも感じる。個人的には大きな支障はなかった。 画質は極めて素晴らしい。描き込み、色乗り、ぼけ味、とにかく唸らされる。Touit 2.8/50Mは高くて買うかどうかは悩んだけれども…

ZeissのSonyのEマウント用の等倍マクロレンズ:Touit 2.8/50Mのマクロプラナーを手に入れてしまったよ

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本当に高いし、十万円もするので、 α5100 にキットのズームレンズと望遠レンズに加えて単焦点の35mmも持っているし、当面は要らないのではないかと感じた。しかしマクロレンズということで、室内の物撮りや何かに適しているのは間違いなかった。 Zeissの Touit 2.8/50M を手に入れるまでの自分自身の経緯 Touit 2.8/50Mを買うとなるとカメラも考えた。α5100はセンサーがAPS-Cなので、フルサイズのものにした方が十万円のレンズでは合っているのではないか。しかしカメラもフルサイズで買うとなると三十万円近くの出費は避けられない。α5100も買ったばかりなので、もはや止めるべきかと悩んでしまった。 SonyのEマウントに気に入ったマクロレンズはZeissしかない APS-Cのものだけど、他に好ましいのはフルサイズのGレンズでもうちょっと高いんだ。し…

鮮やかな白と赤の皐月の花という自然の芸術

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公園の入り口に白と赤の皐月が明るく咲き乱れていて写真に収めずにはいられなかった。通りかかるやとても気持ち良く見受けられた。 作例は α5100 と SELP1650 による撮影で、天気が良くて花盛りの皐月も輝かしいばかりの仕上がりになって喜ぶしかないと思う。 皐月は花が小さめだけれども植え込みを埋め尽くすように咲くとインパクトがある。白も赤も鮮やかな一色なので、単純で力強い美しさが胸に染みて来る。 自然の芸術としかいいようがない。光が弾けて高まり行く日差しを呼び起こす。日本の初夏を彩る代表的な花の一つだ。

朝の躑躅の鮮やかな花の海

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躑躅が真っ盛りだ。道路脇の植え込みに数多く並んでいる。 作例は手前から横向きに近付いてピントを合わせながら遠くへぼかして行くように撮影した。 α5100 と SELP1650 で、花の海も晴れた朝の光でとても鮮やかだ。分けても太陽は偉大だった。写真にとって光の色彩こそ全てだと今正に感じられてならない。 躑躅の犇めき合う様子、各々が咲き乱れるふかふかした印象が出せたので、狙い通りの一枚に仕上がった。

Sonyの一眼カメラのリストストラップを購入した

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愛用する α5100 のためにSonyの一眼カメラのリストストラップのEマウント用の STP-WS2 の黒を装着して写真撮影を行うようになった。 以前から付属品がネックストラップだったので、どうも写真家としての自分のイメージに合わないと思いながら何も付けずに使っていたα5100だったけど、ところが店で並んでいたリストストラップを目にするや否や気に入ってしまって購入したんだ。 STP-WS2デザインが良い。カメラから手首にかけて少しずつ太くなって行くのは使い易くてカメラも落とし難いのではないか。機能美に溢れていた。輪っかの大きさも変えられて利便性もある。 カメラを何も付けずに使っているよりも安心感が増す 高価なカメラやレンズを撮影中に落として壊してしまうのではないかという不安が減って大いに助かる。 実際に装着してみると気合いも入った。リストストラップで写真撮影に取り組…