スキップしてメイン コンテンツに移動

些細な日常

ラベル()が付いた投稿を表示しています すべて表示

初夏の七つの花々の写真と俳句

イメージ

久し振りにカメラを持って地元の大きな公園に写真の撮り歩きに出かけた。 前回の 初夏の晴れた公園の花々 から六年振りになる。カメラとレンズは同じで、Sonyの α5100 とZeissの Touit 2.8/50M をまだ使っていて何よりも手振れへの注意が怠れない。しかしそれだけに光の多い今の時期の屋外での写真撮影はシャッタースピードを十分に稼げるから気楽にやれるし、非常に嬉しいと思う。 七つの花々の写真と俳句の記事のリンクと抜粋 山躑躅の写真と俳句:最後の力を振り絞って生きよ 出かけた公園は東京ドーム数個分の広さで、中心の芝生の広場を階段付きの小さな山が半分くらい囲んでいる。小さな山に最も多く生えているのが山躑躅で、今の時期は真っ赤に燃えるような状態で、山火事ではないけど、とにかく衝撃的な印象を与える。 鈴蘭の写真と俳句:死んでから有名になっても 公園の小さな山の頂上に展…

補色と色相の関係

イメージ

人間の視覚には補色残像という現象、または効果があるけれども補色残像は補色のタイブの心理補色に含まれていて最初に発見したのは作家として知られる ゲーテ だった。 補色のタイプと色相の種類 Starry Night by Vincent van Gogh / Public domain 補色は色相(およそ光の波長)が反対の色で、いい換えると彩度と明度/輝度を抜いた色の中でコントラストが最も強くなるような組み合わせになるものなんだ。 絵画などで補色が使われると互いに引き立て合う色の相乗効果があって強力なインパクト:補色対比や独特なイメージ:補色調和を与えることができる。 補色には二つのタイプがある。 物理補色 互いに混ぜ合わせると無彩色になるもの。 照明などの光の三原色:赤と緑と青に基づく加法混色では白か灰色になる。 絵の具などの色の三原色:シアンとマゼンタとイエローに基づく…

補色残像の仕組みについて

イメージ

フェルメールの少女の穏やかな眼差し

イメージ

生島浩の 5:55 を見て 本当に良い絵だと感心しながら フェルメール を学んだ画家だと聞くと 5:55 の青みがかった灰色と全体的に暗めの色調からフェルメールの 少女 が似ていると思い浮かんで来た。 フェルメールの 少女 に受け取る疑問 Study of a Young Woman by Johannes Vermeer / Public domain 衣装が青みがかった灰色で、大分、明るくて白に近いけれども真っ黒の背景と対照的に印象に凄く刻まれるのが生島浩の 5:55 の素敵としかいいようがない色味と似ている。 意味深というか、生島浩はフェルメールの 少女 について マニアにとってフェルメールといえばこの作品 ( ホキ美術館 ギャラリートーク 生島浩さん )と捉えていたようで、共通点か何かを感じながら 5:55 を描かなかったともかぎらない。 フェルメールの 少女 は1979年からアメリカの メトロポ…

生島浩の5:55の心の目に光り輝く尊さ

イメージ

日本の ホキ美術館 は日本人の画家の写真のように細密に描かれた写実絵画を中心的に所蔵している。その中で、絵を印刷したポストカードの売り上げがホキ美術館の設立当初から一位で、常に最高の人気を誇るのが生島浩の 5:55 (五時五十五分)といわれる。僕も一見して忽ち引き付けられる物凄い魅力を感じた。 生島浩の 5:55 の魅力とは何だろう 生島浩の 5:55 | ホキ美術館 モデルの女性が 美人ギタリストの村治佳織 と 美人俳優の北川景子 を足して二で割ったような正真正銘の美人で、若々しく澄ました雰囲気が素晴らしく可愛いから注目せざるを得ないと真っ先に感じる。 絵の内容は画家の生島浩が女性にモデルを頼んで断られて知人に説得して貰って午後六時までの約束でやって貰ったけど、題名の5:55に示されたように終わりの時間が近付くと落ち着きがなくなってもはや気持ちが帰り始めてそわそわした様子を描いた…

ビタミンAの肌荒れ対策の栄養素としての効果効能

イメージ

痛くて堪らない 肌荒れ/スマホ指荒れ を早く何とかしたいので、食品の栄養素から対策法を考えるべく、予防回復に向いていて皮膚の健康と美容にも繋がるビタミンAについて取り上げる。 ビタミンAは皮膚の老化を防いで保湿する Caprese salad by congerdesign / Pixabay 一日当たりの必要摂取量の目安:成年男性が800μgRAE(2700μgRAE以内)、成年女性が650μgRAE(2700μgRAE以内)。女性は妊娠末期に60μgRAE、授乳中に300μgRAEを追加する。RAEはビタミンAのレチノール活性当量単位で、旧来のビタミンA効力単位のIUには「0.3」をかけて換算できる。例として800μgRAEは800×0.3の240IUになる。 ビタミンA は主に動物性食品に含まれており、体内では主にレチノールとして存在しますが、その他にレ…

α5100とTouit 2.8/50Mの初夏の晴れた公園の花々の撮り歩きの五つの作例

イメージ

ゴールデンウィークの前半、四月三十日に良く晴れて暖かったので、地元の公園に愛用の カメラのSonyのα5100 と レンズのZeissのTouit 2.8/50M を携えて花々の写真の撮り歩きに出かけた。 目当ては何といっても山の裏道でひっそり咲いているのを見付けて 大喜びした鈴蘭 だ。 好きな花だけど、しかし白一色で小さいからピントが合わなくて動かなくても写真撮影には手強いとも知った。最初は失敗ばかりだったし、スマホやコンパクトのカメラでは被写体の輪郭を十分に取れなくて――光の少ない木陰の鈴蘭にかぎればもはややるだけ無駄の散々な境地を強いられるばかりだ――たとえ一眼レフのカメラでも露出やシャッタースピードや絞り値などをしっかり覚えて細かく調整しないと厳しかった。鈴蘭との出会いは写真家として相当に練習になった。 二年目の去年は山の裏道の鈴蘭の集落へ何度も足を運んで試…

ジェス・フォアミの写真は透き通った世界の清らかさが理想的な創作活動で感動する

イメージ

タイの写真家で ジェス・フォアミ の写真がとても良いと引き付けられた。写真を載せているPixabayのアカウントがcunconというので、辞書で調べてみると「cun con」はタイ語で赤ちゃんを意味するらしい。写真の趣きからすると天真爛漫なイメージを表現したいのではないか。 目に映る自然の光景があるがままで素敵だ A girl in white clothes by cuncon / Pixabay または天使の情感ともいえる。心の味わいが詩的なのが素晴らしくて目が離せない。透き通った世界の清らかさが被写体の全てに広がっているような写真だと思う。 目に映る自然の光景があるがままで素敵だと良く分かるという撮り方で、些細な日常の良さを的確に示しているのは個人的にも愛さずにいられないわけだ。 若々しい気持ちこそ頑張り甲斐のある人生 Summer beach by cun…

Zeissのマクロプラナーは光の流れを巧く捉えるマクロレンズだ

イメージ

菜の花が明るく咲いていた。黄色が眩しい。何輪も一斉に風に揺れていると如何にも無邪気な可愛らしさに胸を締め付けられる。自作詩の The blue で歌った光の切なさを体現した花かも知れない。すると菜の花の一輪ずつが素晴らしい瞬間なんだ。堪らなく詩的で、心から見逃せないと思う。 作例はマクロ撮影が上手く行って気持ち良い 菜の花は細長いからまさかだけれども真ん丸でほわほわのイメージが手に入った。世界が見違える。望ましい光を象徴するように詩的に纏められたと納得する。 描き込みが少し足りないけど、明るくてコントラストが低いせいみたいだからそのままにしている。写真には自然さを何よりも出したい。些細な日常だし、見た目通りの仕上がりが気に入っている。 カメラとレンズの α5100 と Touit 2.8/50M も実力を十分に出し切れたのではないか。写真の実在感は基本的に軽くならざる…

見納めの鈴蘭の花へ耽る感慨と止められないくらい引き付けられる写真撮影での最も興味深いところ

イメージ

先週から雨が多くて満開だった鈴蘭の集落はどうなったかと確かめに行ったら枯れかけながら汚れているのが大半だった。色艶は落ちて姿形も崩れる。 鈴蘭を理想的に写真に残す には咲いて直ぐの状態がやはりピカピカで丸っこくて良い。他の花でも同じだけれども鈴蘭だと分かり易い感じがする。白一色で花弁の動きが少ないので、イメージのちょっとした変化でも気に留まるせいだ。 辺りには雑草も増えて写真撮影は苦しいし、暖かくて蚊が出て来て刺されながらなのも厄介だったけれども今年はもはや見納めの鈴蘭だと思う。 そして感慨に耽る 気に入った花を失うというのは失恋にも近い。心の整理が必要ではないか。逃れるのも容易ではない悲しみに普段よりも多く包まれているようだ。来年までの別れならば 貧困生活 に打ち勝てるかどうかが僕には問われる。鈴蘭はきっと咲くはずだ。 振り返ると写真撮影が上達したのが嬉しかった …

初夏の光の花々:山躑躅(朱色/赤)と鈴蘭と日陰躑躅と淀川躑躅

イメージ

ゴールデンウィークに写真撮影に出かけた。快晴で初夏の光を思う存分と味わえたようだ。 前回も快晴だった ものの今回は上回っていて写真の仕上がりはさらに明るい。嬉しいし、目覚ましい。 α5100 と Touit 2.8/50M で、結構、多めに撮ったけれども失敗作もいつになく少なかった。 山躑躅の朱色の花 山躑躅は 早く咲いていた のが枯れて他の木が満開だった。日差しを受けて光り輝く朱色の花が可愛いし、日本的な情緒を与える。錦鯉を思い出す。白と朱色の錦は良い人生を予感させる。自作詩でも 錦 を歌っていた。錦の素晴らしいイメージが光り輝くと白っぽい朱色の山躑躅には受け取られずにいない。 山躑躅の赤い花 赤い山躑躅の花も増えていた。目を引いた。心を掴まれた。写真を長々と撮っていると山道の階段を人々が歩きながら良い色だというのが聞こえて笑みが溢れた。同じではないか、気持ちは僕と。良い色…

森の鈴蘭の集落には幸運とカメラの基本

イメージ

想定では 花が咲くのは来週以降 だけれども待ち切れなくて森の鈴蘭の集落を又直ぐに見に行ってしまった。 葉っぱはどんどん広がっているし、蕾の数も相当に増えている。数日前とは本当に見違えるし、花が咲くのは間近だと勢いの良さを感じさせる。 どのくらいの速度で成長するのかが分からないし、知らないので、しっかり覚えておきたいという気持ちも大きい。 好きな花の鈴蘭 だから少しでも見逃せないわけだけれども身近な森で集落が見付かったのは奇跡だと改めて神に感謝せざるを得ない。初めて喜んだ去年はもう既に枯れかけていたし、折角の機会ならば一年越しの巡り合わせだ。長々と待ちながら実際に戻って来られたのはやはりまさかの幸運だろう。鈴蘭の集落が素晴らしいだけではなくて 自殺したいままの状態 が酷くても良く生き延びている。真っ先に癒される森がある。人間にとって好きな気持ちこそ不遇に強いのではな…

真っ朱な山躑躅を写真に収められただけでも胸一杯の思いがするのは情熱の光のせいだ

イメージ

山躑躅 が晩春の山を朱く染め上げていて衝撃的だった。驚くのは自分自身で、昔は気にも留めなかった。 山といえば衝撃的なのは真夏だけれども虫だったし、甲虫や鍬形虫を取る以外に好奇心はなかったはずだ。植物も出会いたい虫がやって来易い櫟の木こそ素晴らしいみたいな感じで、他には見向きもしなかった。 植物に引き付けられるようになったのは詩に関わり始めてからだった 年のせいではない、変わったのは。詩だ。というか、かつて 作詩の公園を運営しながら 詩人を明らかに自認してから命を公平に捉えなくてはならないと考え出したんだ。 元々、なぜ動物よりも植物には引き付けられないのかを訝っていたけど、引き付けられるべきだし、ちゃんと自分らしく生きるならば好きに向き合うのが正しかったわけだ。 石を喜ぶ のも同じ気持ちだ、命として根源的には。動物や植物を有機物とすれば無機物も生きているのが 宇宙の真髄 …

公園での晩春の花々の写真撮影

イメージ

久し振りに写真の撮り歩きに公園へ出かけた。カメラとレンズは α5100 と Touit 2.8/50M だ。レンズは手振れ補正が付いてなくて辛いし、大分、写真を撮ったからもうそろそろというか、偶には交換しても良さそうだけれども止められない。何しろ、仕上がりの透明感が清々しくて気に入っている。 昨年、 鈴蘭を見付けた穴場 を目指した。ピントが合わなくて非常に苦しんだし、枯れかけてもいたので、もう一度、早めに行ってそして頑張ってみたかった。大好きな花なので、悔いは少しも残したくない。 しかし鈴蘭は一つも咲いてなかった。周りに生えていたはずの雑草もなくなっていて市役所で刈り取られたかも知れないので、本当にショックを受けずにはいなかった。地面を詳しく調べてみると細長い茎が幾つも伸びていたから五月に入れば大丈夫かも知れないとも感じた。 今春は寒い日が続いていたし、咲くのが遅れ…

フェルメールの光り輝く親密さのイメージ

イメージ

青年期、雑誌で初めて フェルメール の絵を見て余りの目映さに美しさの驚異を感じた。それ自体が光を放つように仕上げられているフェルメールの絵という印象を直ちに抱いた。電球が入っていて内側から照らされているような気持ちさえもしたので、異例中の異例の芸術作品ではないか、僕にとってフェルメールというと出会いの素晴らしさと切り放せなくなってしまっている。 それからしかし分かったのはメディアによって相当に違う、表示されているフェルメールの絵の質感が。 好きだと気に入って本屋で画集を開いてみたら望むべき光のひの字もなさそうだと確かめるように瞬いては狼狽えたし、これも初めての発見だったかも知れないけれどもあからさまにはまさか絵は実物で見るのと写真では違うんだろうと僕は写真でしかフェルメールの絵を見てないにせよ、思い知らされずにはなかった。 フェルメールの目映くも謎めいた絵の…

神の本性を世界へ見定める真夜中の祈り

イメージ

シェフェールの美白と呼べる肌の綺麗な絵の秘密に迫る

イメージ

十九世紀のフランスで主に活動していた シェフェール という画家がいた。出身はオランダだった。オランダからフランスへ移住したと聞くと ヴァン・ゴッホ と同じだ。親近感が湧いた、敬愛する画家と繋がって咄嗟にも調べながら。 発見したのはショパンの肖像画で、 雨だれの記事 で何かを引用するために探していて幾つかあったけれどもテーマに相応しいと気に入った一枚の作者がシェフェールだった。 宗教や文学作品を題材にした絵も多いけど、他方では肖像画も数多く手がけていて長年の歴史に埋もれることがなく。百年を過ぎた今も尚、当時の人々の面影を光り輝くように色褪せもしないままに伝えてくれているという素晴らしい腕前の持ち主だった。 一目で驚いたのは肌が綺麗で、美白としか受け留められなかった、ショパンの肖像画が。偶々なのかとシェフェールの他の作品を見て回ると同じような感触が得られたので、特徴的な…

観葉植物の写真を透過光で撮る

イメージ

雪も降って冷え込みも、可成、厳しい一月中旬、しかしながら今日は晴れて室内への光の流れがいつになく良かった。 日差しの角度が好ましくて写真日和とも過言ではない感じがしてしまった。 窓辺の観葉植物の葉っぱに光が透過されて幻想的な世界が浮かび上がって来たんだ。 カメラも α5100 と Touit 2.8/50M で室内ではシャッタースピードが上がらなくていつも苦しんでばかりなのに楽勝だった。上手く行けば1/1000sも越えるくらいだから十二分の明るさだろう。 珍しく絞った、レンズを幾らか。カメラの面白さを久々に味わった。屋外で撮影してないし、近頃は室内で開放絞りばかり使わざるを得なかったので、明るさを減らさないためにレンズは全く絞れないという不自由さから解き放たれて嬉しい気持ちがした、本当に。 ピント内が少しぼやけているようだけど、しかし良いのかも知れない。屋外の太陽の…