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真っ朱な山躑躅を写真に収められただけでも胸一杯の思いがするのは情熱の光のせいだ

山躑躅の花

山躑躅が晩春の山を朱く染め上げていて衝撃的だった。驚くのは自分自身で、昔は気にも留めなかった。


山といえば衝撃的なのは真夏だけれども虫だったし、甲虫鍬形虫を取る以外に好奇心はなかったはずだ。植物も出会いたい虫がやって来易いの木こそ素晴らしいみたいな感じで、他には見向きもしなかった。


年のせいではない、変わったのは。詩だ。というか、かつて作詩の公園を運営しながら詩人を明らかに自認してから命を公平に捉えなくてはならないと考え出したんだ。


元々、なぜ動物よりも植物には引き付けられないのかを訝っていたけど、引き付けられるべきだし、ちゃんと自分らしく生きるならば好きに向き合うのが正しかったわけだ。


石を喜ぶのも同じ気持ちだ、命として根源的には。動物や植物を有機物とすれば無機物も生きているのが宇宙の真髄ではないか。まさか引き付けられない理由もなかったらしい。


満開の山躑躅

山躑躅が一斉に咲いていると山が燃え盛るみたいに生きている万物の命の輝きを感じる。象徴的に味わわせるのは山のせいだ。気付くまで知らなかった全てがそこにあるような歴史の詩に他ならない。世界にとって山は真実そのものだから咲き出した山躑躅は情熱なんだ。求めずにまさか手に入らない。山は知らなければ気付かなかった全てを偉大に包み込んでいる。すると命の輝きは情熱の光だし、真実そのものを手に入れてこそ生きている万物も満足するわけだ。些細な日常ならば造作ないにせよ、本当に尊い。


花言葉を調べると「燃える思い」や「努力」や「訓練」と本当に相応しいかぎりだろう。他にも「曖昧」や「どっち付かず」と、丸っきり、正反対のイメージがあって驚くけれども人間ならば自分に厳しくて他人に甘いみたいな感じから二つに分かれているのかも知れない。


山躑躅は日本では全国的に見られるらしい。春の野山を素晴らしく彩る花だ。俳句でも春の季語になっている。四月から六月にかけて開花するんだ。実が生るのは八月から十月にかけての間みたいだから秋に多い。


植物としては葉っぱが特徴的で、春葉と夏葉を備えている。前者は秋に、後者は一部が越冬して春に次のものへ完全に生え替わるために、一年中、葉っぱは落ち切らずにどちらかが残っているらしい。なので半落葉樹/半常緑樹という性質を持っている。


快晴の山躑躅

僕は胸一杯の思いがするよ、真っ朱な山躑躅を写真に収められただけでも。


かつて山へ分け入って甲虫や鍬形虫を見付けたのと気持ちは本当に変わらない。


情熱の光は物事に満足するほどに生涯を貫いている。自分らしさから生活を豊かにするための知恵といっても良い。幸せを望むならば覚えておくしかない。いつも不満ばかりでは命の輝きは減ってしまう。失望しながら消し去るよりも情熱の光で照らす方が存在には相応しい。背負うのは不幸ばかりと短い生涯を送りたくはなかったはずではないだろうか。


今日が劣っていれば明日は優れるように一つの経験として身に付けながら期待値を上げて有意義な人生へ繋げるべく内面的に取り計らおう。


真っ朱な山躑躅

山躑躅に学ぶ、情熱の光が大切だと。山が燃え盛るように真っ赤だから真実そのものと向き合わされるためだった。


なぜ生きているのか。暗い存在では死ぬしかないだろう。命の輝きが必要なんだ。いつでもどこでも本当に生きているならば明るい存在でしかない。手に入れては世界も幸せな気持ちのかぎりだと分かる。


羨ましいくらい元気が溢れている山躑躅には明るい存在を目覚ましく触発されてしまう。


参考:ヤマツツジ (山躑躅) ヤマツツジの花言葉

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