スキップしてメイン コンテンツに移動

ヴァン・ゴッホのガシェ医師の肖像/美しい水色に心を洗われるまま

ヴァン・ゴッホガシェ医師の肖像に使われている水色が知ってから引き付けられて止まない。作品は、二枚、あって前よりも後のものが分かり易くて好きなんだけれどもヴァン・ゴッホを考えるにも重要な作品ではないかと思っている。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ之ガシェ医師の肖像

ヴァン・ゴッホが入院していた精神科の医師で、絵にも興味や関心を強く持っている人だったらしい。しかしガシェ医師の肖像に触れるとヴァン・ゴッホの心理分析が凄まじく伝わって来て内面の奥深くまで見通すような感じがしてならない。

ガシェ医師は人のために悩んだ顔や仕草をしている。何でなのかと考えると良心があって率直に人助けをしたいと願っているためだ。しかし実際には患者を治療したり、苦しみを癒すに付けても一筋縄では括れないわけだから大変な気持ちを抱えざるを得ないのではないと察せられる。

ヴァン・ゴッホは良心を見抜きながら嘘偽りのない真実として瞳に託しながら描き出したようなんだ

つまりガシェ医師の肖像の瞳に使われている水色が一つの思い/願わしさを透き通るほどに明かしていて素晴らしい。見ていて心が洗われてしまう。人間の優しさを甚だしく味わわせてくれる。

作品は後のものはそうで、前のものはガシェ医師の瞳の色が濃くて悩みの重さがむしろ前面に出ている感じがした。文学性が増しているのではないか。取り分け人生とは何かを考えたくなるだろう。

ところでヴァン・ゴッホの作風というか、アイデアとしてはガシェ医師の左手の描き方にも注目される。

黄緑が薄く使われていて赤い点がぽちぽち置かれている。これは悩みながら人が生きていることを示していると受け取れるんだ。感性に心苦しさを象徴しているように響く。弱り果てた状態、どうにもならない日々の溜め息にも等しいのではないかしら。

ヴァン・ゴッホはガシェ医師の肖像で全ての色彩が命の輝きに他ならないというふうに教えてくれる。人間は強くても弱くても変わらない。元気でも瀕死でも命は根本的に同じなんだと僕は左手の描き方に知る。黄緑と赤の独特な組み合わせが心理上は気絶し兼ねないまでといいたいくらいだけど、悲しみに暮れて過ごさざるを得ないわけだ、しかしながら生きていることは全てにおいて無残では決してなかった。命の輝きが固有の色彩を通して尊さそのものへと著しく認められて来る。

ヴァン・ゴッホの絵、または画家としての表現には不幸ならば希望を呼ぶし、幸福ならば栄光を誘うような慈愛が込められているのではないか。一つの個性がガシェ医師の肖像には結実していると唸らされてしまう。他の作品を理解するためにも慈愛がキーワードになるだろう。元々がキリスト教で愛の伝道師を目指していた人だから絵描きに転身しても志だけはずっと続いていたと読み解けもする。ただし作品で打ち出せたところは才能を抜きには語れない。僕にとっては色遣いを含めてとても気に入ったヴァン・ゴッホなので、どの作品にかぎらず、敬愛するべき画家だと思っている。

命の輝きを踏まえながらガシェ医師の肖像の瞳の水色という色彩を改めて眺めてみると感涙を禁じ得ない。良心、人間の優しさに輪をかけて世界の稀に見る美しさを覚え込む。

詩に満ちた眼差しとでも呼んでみたくなるけど、ところでヴァン・ゴッホも絵によって詩を与えるみたいな言葉を残してはいた。一生のかぎりを尽くして取り零すわけには行かないだろう。

美しい水色に心を洗われるまま、辿り着けば広やかで穏やかな海のようだ。快く過ごしながら流れて来るのもついに天国の調べか。喜びそのものが万物を極上とも恍惚とも満遍なく覆い尽くして行くよ。

ヴァン・ゴッホのガシェ医師の肖像に物語られた真実の味わいには胸打たれるばかりで、時が経つのも忘れるくらい離れ難いものがある。

コメント

些細な日常の人気の投稿

PlayストアでAndroidアプリのダウンロードが非常に遅い場合の打開策

イメージ

早川愛の高校野球の夏の甲子園の大会歌の栄冠は君に輝くの独唱のソプラノの美声

イメージ