三島由紀夫の死の真相をリルケのマルテの手記の蜂という経験の詩から掴んだ 結城永人 -2024年10月16日 作家の三島由紀夫は1970年11月25日に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に自身の民兵組織の楯の会の数人のメンパーと共に押しかけて自衛隊に決起を呼びかけて受け入れられずに割腹自殺を遂げるという仕方で四十五年の人生の幕を下ろした。 関連ページ三島由紀夫が良い人過ぎて自衛隊へ憲法改正のためのクーデターを起こして切腹自殺を遂げさえもした日本とは何だろう 三島由紀夫の狂人の蛮行でも自殺でもない死 Grave of Yukio Mishima on the Tama Cemetery Lotosesser / CC BY 3.0 それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。去年の十月二十一日に何が起こったか。去年の十月二十一日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは憲法が改正されないと感じたんだ。なぜか。その日をなぜか。それはだ、自民党というものはだ、自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモも鎮圧できるという自信をもったからだ。治安出動はいらなくなったんだ。治安出動はいらなくなったんだ。治安出動がいらなくなったのが、すでに憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が。………。諸君は、去年の10.21からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。去年の10.21から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!それを私は最も嘆いていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。それがだ、いま日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の………アメリカからしか来ないんだ。シビリアン・コントロール………シビリアン・コントロールに毒されてんだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法下で堪えるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ちあがる日を。………そうした自衛隊の………最後の三十分に、最後の三十分に………待ってるんだよ。諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。貴様達も違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。 三島由紀夫演説全文|四国の山なみ|Wayback Machine 三島由紀夫は反体制的なデモに対する自衛隊の治安出動が国軍への憲法改正に繋がると考えていて警察が倒された後に命懸けで持ち堪えるために楯の会も作っていたようなんだ。それが演説にあるように「警察権力をもっていかなるデモも鎮圧できる」という状況になって来て待っていても無理だと考えて自分で陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込んでクーデターを起こして失敗して死なざるを得なくなった。 演説は少し聞いて直ぐに分かる話ではないと思うし、例えば「日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである」とか余りに思想的で、一般的な言葉遣いではなかったり、容易に受け入れられる人は少ないはずだ。 当時から狂人の蛮行みたいな印象が良く持たれていたけど、しかし本人も皆から受け入れられないことは分かっていて最初から死ぬつもりでクーデターを企てたのではないかという感じもしないではない。 すると自分で死に方を決めるとか最期を選ぶみたいなことになって已むを得えないまでの自殺とも、又、ちょっと違うわけなので、一体、どうなっているのかと考えさせられてしまう。 三島由紀夫の生前のインタビューで死について述べているものを観たらやはり人生の幕を自分の手で下ろす気持ちがあったんだと受け取れた。 三島由紀夫の大義ある死の幸福な生の喪失感 リルケが書いておりますが、現代人というものはもうドラマティックな死ができなくなってしまった。病院の一室で、一つの細房の中の蜂が死ぬように死んで行くというようなことをどっかで書いていたように記憶しますが、今、現代の死は病気にしろ、あるいは交通事故にしろ、何等のドラマがない。英雄的な死というものもない時代に我々は生きております。 それに付けて思い出しますのは十八世紀頃に書かれた『葉隠』という本で、「武士道とは死ぬことと見付けたり」というんで、有名になった本ですが、この時代もやっぱり今と似ていた。もう戦国の夢は覚めて武士は普段から武道の鍛錬は致しますが、中々、生中なことでは戦場の華々しい死なんてものはなくなってしまった。そん中で、汚職もあれば社用族もあり、今でいえばアイビー族みたいなものも侍の間に出て来た時代でした。そん中で、『葉隠』の著者はいつでも武士というものは一か八かの選択ん時には死ぬ方を先に選ばなきゃ行けないということを口を酸っぱくして説きましたけれども著者自身は長生きして畳の上で死ぬのであります。 そういうふうに武士であっても、結局、死ぬチャンスを掴めないで、死ということを心ん中に描きながら生きて行った。しかし今の我々は死を描きながら生きているのかどうか、それさえ疑問であります。 私の死との、一番、親しかった時代は戦争中で、戦争が済んだときに二十歳だったので、十代の私共はいつ死ぬかいつどうやって死ぬかということだけしか頭の中にない、そういう中で、二十代まで行ったのでありますが、それを考えますと今の青年には、それはスリルを求めることもありましょう、あるいはいつ死ぬかという恐怖もないではないでしょうが、死が生の前提になってるっていう緊張した状態にはない。そういうことで、仕事をやっていますときに何か生の倦怠といいますか、ただ人間が自分のために生きようということだけには卑しいことを感じて来るのは当然のことだと思うのであります。 それで人間の生命というのは不思議なもので、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬっていうほど人間は強くないんです。というのは人間は何か理想なり、何かのためということを考えてるんで、生きるのも自分のためだけに生きることには直ぐ飽きてしまう。すると死ぬのも何かのためということが必ず出て来る。それが、昔、いわれた大義っていうものです。そして大義のために死ぬっていうことが人間の最も華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だというふうに考えられていた。 しかし今は大義がない。これは民主主義の政治形態っていうものは大義なんてものは要らない政治形態ですから当然なんですが、それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ生きてることすら無意味になるというような心理状態がないわけではない。 殊に、私、自分に返って考えてみますと死をいつか来るんだと、それも決して遠くない将来に来るんだっていうふうに考えていたときの心理状態は今に比べて幸福だったんです。それは実に不思議なことですが、記憶ん中で、美しく見えるだけでなく、人間はそういうときに妙に幸福になる。して、今、我々が求めてる幸福っていうものは生きる幸福であり、そして生きるということは、あるいは家庭の幸福であり、あるいはレジャーの幸福であり、楽しみでありましょうが、しかしあんな自分が死ぬと決まっている人間の幸福っていうものは、今、ちょっとないんじゃないか。 そういうことを考えて死というものは、じゃあ、お前は恐れないのか。それは私は病気になれば死を恐れます。それから癌になるのも、一番、嫌で、考えるだに恐ろしい。それだけに何かもっと名誉のある、もっと何かのためんなる死に方をしたいと思いながらも、結局、『葉隠』の著者のように生まれて来た時代が悪くて、一生、そういうことを思い暮らしながら畳の上で死ぬことになるだろうと思います。 三島由紀夫/宗教の時間|NHK 三島由紀夫は十代で第二次世界大戦を経験してそこで死ぬこと、それも国のためという大義を持って華々しくか英雄的に死ぬことを考えていた。敗戦後、振り返ると当時が本当に幸福だったと捉えることになったんだ。つまり「死が生の前提になってるっていう緊張した状態」が良いというわけだ。とはいえ、時代が変わっていつか死ぬという気持ちは希薄になって人それぞれの仕方で、生きることばかり追い求めるという世の中になった。取り残されたと思ったかどうかは分からないにせよ、昔の幸福への喪失感があったのは間違いなさそうだ。 大義ある死に方が良いとすると自衛隊へのクーデターでの割腹自殺は日本のためにやったわけだからぴったり当て嵌まるし、そうしたかったと想像するのは容易いけど、しかしインタビューでの「生まれて来た時代が悪くて、一生、そういうことを思い暮らしながら畳の上で死ぬことになるだろうと思います」という言葉と矛盾してしまう。 三島由紀夫は大義ある死に方が無理な時代をちゃんと自覚していたならば自衛隊へのクーデターでの割腹自殺は何でもない死として捉えなくてはならないだろう。 歴史に残る事件だし、社会に大きな衝撃を与えたけれどもそれ自体は華々しくも英雄的でもなく、普通に病気や仕事で死ぬのと変わらないことではないか。 三島由紀夫は取り返しの付かない喪失感を大義ある死の幸福の生に抱えていて今時の生ばかり追い求める幸福に付いて行けないような虚しさから文字通りの世捨て人として完全に命まで手放したと考えられる。 三島由紀夫が死んだ理由は内面的に何なのか Portrait drawing of Rainer Maria Rilke by Leonid Pasternak / Public domain 三島由紀夫の死は日本のためだから大義ある死のように受け取れるけれとも彼自身はそれは無理だと分かっていたとすると自衛隊へのクーデターでの割腹自殺がどれだけ珍しい出来事だとしても普通に病気や事故で死ぬと変わらないといえる。 ところが表向きは同じ、要するに人の死という現象として区別できるものは何もないのが現代的としても思いは異なるはずだ。癌で死ぬか、交通事故で死ぬか、切腹で死ぬかは結果的にも異なる。さらに最初から狙ったというと自殺に含まれるけど、さもなければいつか死ぬと想定するだけでも内面的に差が付くのは間違いないだろう。 三島由紀夫は死について良く考えていて自衛隊へのクーデターも一つの機会を得て行ったにせよ、隊員たちから理解されずに失敗して死なざるを得なくなることも普通に考えて分かるとするとなぜやったのかが本当に謎なんだ。 そこで大義ある死も無理ならば狂人の蛮行という見方が正しいはずだけれども隊員たちへ演説がしっかり行われていて錯乱している様子は微塵もないから本当にわけが分からない。 死についてのインタビューで出て来たリルケという詩人を調べたら理解できるようになったから三島由紀夫の死の真相を掴めたと感じるほどの彼が死んだ理由に内面的に繋がるものを取り上げたい。 三島由紀夫が話したリルケの死の認識は代表作のマルテの手記(小説)に出て来る。現代人は在り来りの仕方で、死んで行くのであって必ずしも以前のように大々的ではない。リルケは二十世紀前半のフランスの都会の近代的な生活について嘆息混じりにマルテの手記に書いていた。 この有名な市民病院は非常に古いもので、すでにクロビス王の時代から、その幾つかのベッドで患者が死んでいったのである。今ではベッドの数も五百五十九にふえ、まるで工場か何かのような様子に変わってしまっている。そして、このような巨大な機構の中では、一つ一つの死などてんでものの数にもならぬのだ。まるで問題にもされぬのだ。むろん、それは大衆というものがさせるわざに違いない。入念な死に方など、もう今日の時勢では一文の価値もなくなってしまっている。誰一人そんなことを考えるものもないのだ。いざ死ぬにしても、それを入念に準備するだけの十分に余裕をもった富裕な人々すら、だんだん物臭になり冷淡になり始めた。自分だけの特別な死に方をしようというような望みは、いつとなしに薄れてしまった。やがて、自分だけの死に方も、自分だけの生き方と同じように、この世から跡を絶つだろう。何もかもがレディー・メードになってゆく。人間はどこからかやって来て、一つの生活を見つけだす。できあい生活。ただ人間はそのできあいの服に手を通せばよいのだ。しばらくすると、やがてこの世から去らねばならぬ。否応なしに出てゆかねばならぬ。しかし、人々はなんの苦労もいらない。――もしもし、それが君の死ですよ。――あ、さようですか。そして、人間はやって来たと同じように無造作に立ち去ってゆく。人間は自分の病気が持ってきてくれる死をただ死んでゆくだけで、ちっとも怪しまぬのだ。 ライナー・マリア・リルケのマルテの手記(大山定一訳) 現在の日本では都会はもちろんのこと、田舎でも同じように死に方を気にかけることは珍しい。あるとすれば終活で、遺品整理をどうするかという周囲への配慮であって一人の人生の締め括りをどうするかという個人的な要望とは必ずしも結び付かない。簡単にいうと昔よりも死の感覚に厳粛さが減って来ている。社会の大衆化によって人それぞれの死が同等に扱われるようになったせいだろう。 三島由紀夫は「蜂が死ぬように死んで行く」といったけれともこれが、そのまま、当て嵌まる文章はたぶんリルケにはないんだけれども近いものがマルテの手記にあって物凄く引き付けられる。 詩はいつでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。詩はほんとうは経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいて来るのが見える別離。――まだその意味がつかめずに残されている少年の日の思い出。喜びをわざわざもたらしてくれたのに、それがよくわからぬため、むごく心を悲しませてしまった両親のこと(ほかの子供だったら、きっと夢中にそれを喜んだに違いないのだ)。さまざまの深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる少年時代の病気。静かなしんとした部屋で過した一日。海べりの朝。海そのものの姿。あすこの海、ここの海。空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。それらに詩人は思いをめぐらすことができなければならぬ。 ライナー・マリア・リルケのマルテの手記(大山定一訳) リルケは「人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ」といっている。 これは詩の話なんだけれども三島由紀夫は生の話として捉えた可能性がある。 リルケにとって詩は経験でなければ行けなくてそれを象徴するのが蜂なので、生そのものと捉えられる。だから「蜂が死ぬように死んで行く」という三島由紀夫は蜂を存分に生きてから死ぬものと捉えたと考えられる。 もちろん関係ないかも知れないし、現代の在り来りな死を虫螻のようにどうでも良いものと伝えるために「蜂が死ぬように死んで行く」といっただけとも受け取れるけど、リルケの蜂は決してそのような意味ではなく、少なくともマルテの手記では生そのものを象徴するもの、時空を越えて存在を包括するようなものになっている。 三島由紀夫の死は存分に生きた結果といえる 三島由紀夫がリルケの蜂を理解していたとれば在り来りな死を避けられない現代人としての虫螻の自嘲を込めつつも詩的な経験に則った存分な生はあり゙得るという楽天的な思いも認めずにはいられなくなる。 いや、ただすべてを思い出すだけなら、実はまだなんでもないのだ。一夜一夜が、少しも前の夜に似ぬ夜ごとの閨の営み。産婦の叫び。白衣の中にぐったりと眠りに落ちて、ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。詩人はそれを思い出に持たねばならぬ。死んでいく人々の枕もとに付いていなければならぬし、明け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で死人のお通夜もしなければならぬ。しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬのだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れて来るのだ。 ライナー・マリア・リルケのマルテの手記(大山定一訳) リルケは詩と呼べる経験とは何かについて思い出への追憶を忘却してから再び思い出として手に入れるための「大きな忍耐」が必要だと物凄く分かり難く考えている。 これは思い出の再来が「ふとした偶然」であるかぎり、普通の意味で必要なものでは全くない。 重要なのはどんなに短い間隔、または大丈夫な生活があったとしても「待つ」ところに危険が潜んでいて何等かの原因(人間が神でないかぎりの弱さ)で生きられないと辿り着くことはできないことだと思う。 三島由紀夫は「蜂が死ぬように死んで行く」といって自衛隊へのクーデターでの割腹自殺は大義ある死でないどころか自身の政治的な目論見が外れた見窄らしいまでの取るに足らない死でさえもあったかも知れないけど、ただしそうした出来事の見方だけではまだ良く分からない部分がある。 リルケの蜂が詩の経験であってたとえ在り来りであっても生そのものを示唆していることが分かっていたならば「蜂が死ぬように死んで行く」ということは存分に生きた結果以外の何物でもないはずだ。 僕は素晴らしい幸せを味わいながら不運に逝ったのが三島由紀夫の最期であって日本のために自衛隊が決起してもしなくでも日本人の誇りを示しながら人生の幕を下ろそうと考えて成功したというのが彼の死の真相だったと考える。 参考サイト三島由紀夫三島由紀夫の十代の詩を読み解く29:イカロス感覚7:蟹「雨色の記憶のなかのリルケ」(2008.4-7)109.『マルテの手記』『新実存主義』『心的現象論序説』から考えたこと コメント 新しい投稿 前の投稿
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