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些細な日常

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白琉球の写真と俳句:二度と戻らないいつかの出会い

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地元の大きな公園で初夏の花々の写真を撮って来たので、その中から 白琉球 の写真を俳句付きで掲載する。 琉球躑躅とも呼ばれる白琉球は江戸時代から栽培された花で、沖縄(元は中国の呼び名で琉球)から全国に広まって琉球の名前が付けられた。自生種か渡来種かは良く分からず、性質から 岸躑躅 と 黐躑躅 の交雑種と考えられている。 雨上がり白琉球が風の中 白琉球は輝くように真っ白で大きな花柄が特徴的で、さらに蝶の羽根のようにひらひらと風に揺れるのが優雅な印象を与える。 写真を撮った前日に雨が降っていたせいで、花弁が少し変色して茶色の染みを付けていた。真っ白なだけに少しの染みでも目立ち易くて一回でも雨に濡れてしまうとはっきり変色するのは避けられない。 純粋さを壊れたら取り返しが付かないまでに象徴的に受け取らせる。考えると切なくて本当に存在自体が詩とも過言ではないくらい今此処の一瞬に迫っ…

マツコ・デラックスが純な乙女に変わる佐々木朗希への満足感

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コラムニストの マツコ・デラックス が野球選手の 佐々木朗希 とホテルで偶然に会ったことを話していてどちらも気に入ってブログに取り上げた人だから新しい結び付きが生まれて面白いと思った。 マツコ・デラックスの佐々木朗希との下ネタ抜きの鉢合わせ マツコ・デラックス――でもね、朗希君と会ったときはね、自分を出せなかったわ。 川内天子―朗希さんですか。 マツコ・デラックス――やっぱり何か、何か申し訳ないって思っちゃって。話しかけたんだけど、何か、あの、いつものあたしじゃなかった。下ネタとかもいわなかった。 川内天子―あら。 マツコ・デラックス――うん。こんな下ネタを我慢できる自分がいるんだなっていうのを佐々木朗希君から学んだ。 川内天子―あはぁ、良いことですね。 マツコ・デラックス――あたしにとってのWBCってそれよ。 川内天子―うふは。 マツコ・デラックス――あたし…

佐々木朗希に影響するイチローに影響するマイケル・ジョーダン

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佐々木朗希をプロ野球の 完全試合の実現 から注目しているけれども心から良いと思えるのは人間性のためだ。 佐々木朗希| 千葉ロッテマリーンズ 性格が良いからこそ優れた成績を速やかに称えられる。最も分かり易いのが東日本大震災の被災者としての支援された人々への感謝の気持ちだった。 生まれ育った陸前高田の街は一変しました。自宅、自転車で1周をした街、山の中に作った秘密基地…。思い出の全てが流され、消えました。 老人ホームに作られた避難所での生活を余儀なくされましたが、4年生の時に母方の家族がいる岩手県大船渡市に引っ越しました。生まれ育った場所から転校するのはものすごくつらかったのを覚えています。 そんな中で支えとなったのが野球でした。避難所でもボールを見つけてキャッチボールをしました。グローブもなかったので、人から借りました。野球に没頭しました。 あの頃のことを思い返すと、…

ジェラルド・ジョリングのタチアナ・シミッチを起用したCan't Take My Eyes Off You(フランキー・ヴァリ)|恋愛歌

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1992年に発表された ジェラルド・ジョリング の タチアナ・シミッチ を起用した カヴァーで聴いた Can't Take My Eyes Off You / 君の瞳に恋してる ( フランキー・ヴァリ )が恋愛歌として胸に響いた。 フランキー・ヴァリの Can't Take My Eyes Off You フランキー・ヴァリ| Frankie Valli 作詞作曲は ボブ・クルー と ボブ・ゴーディオ で、オリジナルの歌手はフランキー・ヴァリになる。 Can't Take My Eyes Off You (1967/オリジナル) フランキー・ヴァリも所属していた フォーシーズンズ の楽曲制作を行っていたボブ・クルーとボブ・ゴーディオの二人組が彼のソロのために着手した。 ボブ・クルーが先にCan't Take My Eyes Off Youという題名を思い付いてそこから…

ジェナ・ドレイのWe're All Alone(ボズ・スキャッグス)|恋愛歌

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2006年に発表された ジェナ・ドレイ のカヴァーで聴いた We're All Alone ( ボズ・スキャッグス )が恋愛歌として胸に響いた。 ボズ・スキャッグスの We're All Alone ボズ・スキャッグス| Boz Scaggs 作詞作曲はボズ・スキャッグスで、オリジナルの歌手も彼になる。 We're All Alone (1976/オリジナル) ボズ・スキャッグスの1976年のアルバムの Silk Degrees の収録曲として発表された。 すると良い曲だと気付いて同年に フランキー・ヴァリ がアルバムの Valli に カヴァー を収録してシングルカットした。さらに ウォーカーブラザーズ もアルバムの Lines に カヴァー を収録してシングルカットした。 翌年の1977年にも スリーディグリーズ の カヴァー がアルバムの Standing Up For Love とシング…

セブンイレブンはワッフルコーンのチーズinチーズの爽やかな味わいに哲学を持っているに違いない

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どんなものなのかと食べる前に思った。チーズ入りのソフトクリームなんて生まれて初めての味わいではないか、 セブンイレブン の ワッフルコーンのチーズinチーズ を手にしながら。ハラハラドキドキ。ソフトクリームとチーズが似た者同士の乳製品で口説過ぎるのでは堪らなかったはずだけれども本当に美味しかった。 チーズの酸味が凄く爽やかに感じる ソフトクリームの甘さに飛び出すように引き立てられて風味では流石に終わらない。パッケージに「とろ~りチーズソース入り」とあるのは伊達ではなくて、普段、殆ど感じないでいるチーズならではの世界を改めて教えてくれるようなところもさらに嬉しかった。薄いオレンジの縦縞模様のデザインもチーズの爽やかな個性をソフトクリームで冷たく示すのにはぴったりではなかったか、振り返ってみれば。やるな、セブンイレブン、心なしか恐れ入りながらゆっくり味わってしまう…

附属池田小事件の宅間守の悲しみの権化という凶悪犯罪の人間性

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凄惨な人殺し、 附属池田小事件 が起きたのは二千一年の六月八日だった、犯人は宅間守という。大阪教育大学附属池田小学校へ包丁を持って侵入し、八人の児童を殺害した。負傷者も他の児童と教員で十五名に上った。校長と他の教員に取り押さえられると駆け付けた警察官によって現行犯で逮捕された。裁判では死刑を速やかに宣告されたけれども自分でも欲していたらしい。そして判決を受けてから一年ほどで執行されてしまった。大阪拘置所で迎えた最期は四十歳だった。 宅間守/大阪池田小 児童殺傷事件| NHKアーカイブス | NHK どうしてなのか。自分よりも力弱い相手を手当たり次第に攻撃するという仕方が凶悪犯罪を象徴しているようだ。しかも人間の犯罪の全てに当て嵌まるかも知れない。攻撃すると悪いのは世界のどんな方面でも同じだろう。 なぜ可能なのか。附属池田小事件は犯人の宅間守に皆と仲良く過ごす気持ち…

書行による作家のための思考と存在証明

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書くことがない。ということを書く。やはりない、書くことが。 終わったと書く。書いてみる。書くことが終わった。まだ終わらない気分の中で始まった始まりを終わらせるかどうかに悩みながら書いている。書けた。ということは書けるんだ。 嬉しい、書けると。辛かった、書けなくて。なぜなのかは書きたかったためなんだろう。書かなくてはならなくて書くことがないと辛いんだ。 分かった。書くことがなくて書かなくてはならない場合には書くと良い。只々、書いて行く。どうして書けなかったのに書けるのか。 書くことがないのに書くためには行くしかない、書いて。 思考ではないのではないか。確かに思考だ、書きながら寄り添っているのは。思考がなければどうして書いていられるだろうか。無理だ、書き続けるなんて書いて行くのも。 書いて行くためには思考のそばで書き続けるか、少なくとも書く。書くと生まれるんだ、書…

浅田彰のドゥルーズ主義者としての水準

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浅田彰 は 構造と力 で ドゥルーズ と ガタリ を大々的に取り上げて他でも言及が多い。そしてさらに自分で自分をドゥルーズ主義者と呼んだりもしていたし、本当にそうなのではないかと思う。 しかし驚くのは余りに一般的過ぎるというか、ドゥルーズの捉え方がオーソドックスな印象を与えるために別にドゥルーズ主義者でなくても可能だし、普通に読むだけで誰でも受け取るような認識しかなさそうなところなんだ。 浅田彰がドゥルーズ主義者を自称するとびっくりする この人は敢えていっているのではないか、例えば教科書で名前を知っているだけでもその考え方や生き方に心酔している結果みたいな響きが避けられなくて。 思想を根底的に考えれば最も正しいかも知れない。どんな人、または作品でも好き嫌いは抜きにして接すれば何かしらの影響は受けていて自分の考え方や生き方に作用するから全て引っ括めて心酔しているとも過言で…

理解者に疑う余地はないから生活も安らぐ

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僕を心から応援してくれた人、貴方が理解者にも拘わらず、地獄の連中の仲間だと少しでも認めてしまって申し訳なかったと思う。 やはりあり得なかった、理解者に背かれるなんて最初から。気付いて本当に良かった。何もかも落ち着くし、生活こそ本当に安らいでいる。 切欠は些細な日常だろう、正しく。貴方が知らないはずの僕の事実を知っていてなぜかと訝られた。真っ先に思い浮かんだのは地獄の連中だった。聞かされたんだ、思いは貴方の陰湿さを囲い込むばかりだった。地獄の連中が知っている僕の事実に理解者の貴方が僕の目が届かないところで触れたに違いない。憤りに駆られながら貴方なんかどうにでもなれと地獄の連中と共に愛想を尽かさずにはいられなかった。 詩人としても救いようがなかったし、いうと地獄の連中と貴方が理解者でも同類ならば相手にしないだけが唯一の悔い改めさせる道になるからまさか嫌われ甲…

最も印象に残るプロレスラーだった超獸のブルーザー・ブロディ

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強そうに見えて意外と弱いというか、 ブルーザー・ブロディ が大の気に入りのプロレスラーだったけれども最も印象に残るのは応援せずにはいられなかったためだと思うし、試合が場外乱闘の末のリングアウト負けなどがいつも多くてちゃんと決着しないのが歯痒かった。 ブルーザー・ブロディの人柄 Bruiser Brody| Put Bruiser Brody in the WWE HOF 調べて初めて知って驚いたのは好き嫌いの激しい人柄だったらしい。それが死因にも繋がってしまったみたいだ。刃物で刺殺されたけれども犯人もプロレスラーで、喧嘩が元だった。嫌いな人間には決して心を許さないどころか、食ってかかりさえもしていたブルーザー・ブロディとするとイメージ通りの超獸(キングコング)だったのではないか。 最も印象に残るのと同じようにこれも何か強そうに見えて意外と弱いというか、一刺しの刃…

ドゥルーズの哲学は出会いが良いと思う

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十代後半、 ドゥルーズ と ガタリ の アンチ・オイディプス を貪るように読んでいたかも知れない。気持ちは、大分、変わったようだ。抱えていた喜ばしい思い出はいってみれば白光のはずだった。 自分も同じように言葉を書き記したいと率直に感じていた。人生で初めて作家活動への門戸が開かれた瞬間だったんだ。ドゥルーズとガタリの アンチ・オイディプス は記念碑的な本とも過言ではないし、個人的には忘れ難い思い出の一つに他ならず、素晴らしい出会いそのものだった。 〈それ〉は作動している。ときには流れるように、ときには時々止まりながら、いたる所で〈それ〉は作動している。〈それ〉は呼吸し、〈それ〉は熱を出し、〈それ〉は食べる。〈それ〉は大便をし、〈それ〉は肉体関係を結ぶ。にもかかわらず、これらを一まとめに総称して〈それ〉と呼んでしまったことは、なんたる誤りであることか。いたるところでこれら…

澄んだ眼差しの世界で自然に出会い得る天使は詩的だ

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日本アニメーション が フランダースの犬 のアニメの第一話を動画で無料公開していて素晴らしい。 フランダースの犬 の胸熱く泣けて来る詩のイメージ フランダースの犬 第1話「少年ネロ」|日本アニメーション・シアター オープニングの主題歌のところが凄く好きだ。分けても池に張った氷の上をネロとアロアがくるくる回りながらパトラッシュが割って入ったせいだけれども滑っているのを観ると胸が熱くなるんだ。 そして涙も溢れざるを得ない。人と人との絆は心から清らかには引き裂かれないのではないか。滑り込むほどにパトラッシュが詩になってしまっていたせいで、ネロのアロアの通じ合う言葉(胸のうち)を表現していたと味わわれる、正しく喜ばしく。 十数年来、徹して作詩しながら詩人として幾つもの詩集を仕上げて来たし、詩、または詩歌への造詣は今現在でも絶えず、深まり行くばかりにもせよ、アニメの フランダー…

ヴァレンティーナ・リシッツァのベートーヴェンのピアノソナタ第八番《悲愴》は斬新さに唸らされた

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高校時代にクラシック音楽を聴き始めて三十年近く興味や関心を示し続けて来たけれども ヴァレンティーナ・リシッツァ の演奏は全く先例がないような印象を受けた。ピアノの指捌きが余りにも造作なくて楽譜の正確さが犇々と伝わって来た。音が十二分に弾けていてメロディーにリズムとテンポが乗り移っているので、何と呼ぶべきかと咄嗟に箸を落としてしまいそうになる、かりに食事中ならば。考えると単純明快ながら音楽と出会っていたわけだろう。 Beethoven Sonata No. 8 in C minor Op. 13 "Pathétique" Live|ValentinaLisitsa ベートーヴェン の ピアノソナタ第八番《悲愴》 の演奏はテンポがちょっと速過ぎる。しかしリズムは生きていると思う。ヴァレンティーナ・リシッツァはリズムを適切に伝えるためにテンポを上げ…

気付けば好きだった小林麻耶の可愛さはきっと明るかったはずで

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テレビのアナウンサーで見かけて 小林麻耶 は可愛いと思った。駆け出しの頃、土曜日の夕方に自分の番組を持っていて他のアナウンサーと二人で面白可笑しい世界を表現していて目を引かれずにいなかったというか、いつもチャンネルを合わせてばかりで興味津々の気持ちだったんだ。 小林麻耶が朝から晩までテレビに出ていた時期は可愛さが炸裂していた 小林麻耶 Debut Single 「ブリカマぶるーす」 Music Video|NVPR 大分、前だけれども番組名は覚えてない。調べてみると チャンネル☆ロック! だった。僕もまさか気持ちをロックされた、小林麻耶のチャンネルに。振り切っても、一番、面白く見られた番組ではないか。可愛さが如何にも炸裂していた。同時期に 王様のブランチ の司会も昼にはやっていたから土曜日は夕方と併せて、二回、小林麻耶が見られると心も浮き立つように喜んでいた。 さらに…

青春のカツカレーの和やかな人との思い出

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カツカレーは力がもりもり湧いて来そうで良い。いうまでもなく、美味しい。偶に本当に何年に一度かしか食べないけれども止めるつもりにもなれない。心から好きなんだ。 思い出すよ、和やかな人を。青春期、知り合いに四十代くらいのおじさんがいた。アルバイトで出会って昼食を出してくれる職場だったので、皆で店に頼むけれどもおじさんはいつもカツカレーばかり選んでいた。 注文を訊きに行くとにこやかな表情で小さな声で「カツカレー」と応えるおじさんで、それが毎回だからやっているうちにいわなくても分かるだろうと思われるかも知れないけれども気分的に今日だけは違うのに店に勝手に頼んでしまっては酷いと黙っているわけには行かなかった。 おじさんも分かってくれていたのか、時々、訊く前から「カツカレー」と昼頃に近寄っただけで応えられこともあったように覚えているよね。 本当に面白かったし…

愛に通じる人生も嚔からでは涙色

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又来ている、嚔百連発が。症状としては花粉症みたいなものだけれども体力が落ちて創作活動も鈍る。少し経てば筋肉痛になるかも知れないくらい嚔は強い運動なんだ。百連発では本当に疲れる。調子を落とすだけでは済まされない。直ぐに治るし、寝込むほどの悲しみではないから耐えながら生きる。 嚔というと人から聞かされて密かに驚かされたことが一つだけある A girl sneezing by Gustavo Fring / Pexels かつて僕のことを 癒し系男子 とも捉えてくれた可愛いおばさんみたいな人だけど、丁度、嚔百連発を見ていて凄い咳をしているとも指摘されてしまった。 何のことか、さっぱり分からなくて狼狽えたものの受け取った言葉を考えながら飲み込んでみると自分では嚔をハクションとしているつもりだけど、人からはそれがしかしゴホンと咳に聞こえるんだと認められて来た。 ある頃、昔…

ゆったり肩肘張らずに

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昨夜の 激しい腹痛 から一夜を明けて無事に生き延びたかと感じている。 ただし調子は必ずしも優れるわけではない。休みながらブログも頭を必死に働かせるように書くわけには行かないだろう。気持ちを流すようにゆったり仕上げるしかない。というか、いつも求められて然るべきなんだ、自己表現のスタイルとしては。 ガチガチに暮らしている普段ではない。誰からも別人に思われたくなければ肩肘を張らずにブログもやって行くにかぎる。心地良い風を送られるように詩人が来たと分かるのはきっと天使だけではないはずだ。 個性を出さなくては端から無理なので、少しでも良い出会いを知って貰うべく努めたいと思う。

学ぶべきは幸せを呼んだ恋愛で覚えた人柄こそ

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昔から自作時を皆に読んで貰えないことが大きな悩みだった。考えたのは感動的に歌えば良いのではないか。皆の心を掴んで再び放さないような作品が必要だとすればそれしかないだろう。少しずつ感動的に歌うように努めて僕は望み出した。 人生の鑑として ゲームセンターの契約社員 が思い浮かんだ 彼がインターネットで一人の女性と出会ったらしくてメールでやり取りしていた。そんな中で僕にガラケーの画面を向けながら彼女へのメールを、結構、長かったんだけれども内容的に大丈夫かどうかと訊いて来たんだ。彼がいうには彼女に他に好きな人がいるといわれたから自分としては貴方が幸せになってくれれば良いみたいな形で彼女との付き合いは終わっても仕様がないと身を引くように仕上げた。 聞きながら目を向けると彼は泣きそうな顔で、僕には感動しているともまさか受け取られた。人に心を込めて思い遣る自分に間違いなく…

石川ひとみのまちぶせに認める純心な出会い

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石川ひとみ の まちぶせ は良い曲だと思うけれども意味深だ。策略めいた恋の難しさが胸に来るというか。作詞作曲が荒井由実で、後の 松任谷由実 なんだ。良い曲だし、考えされられるものがあって本当に魅力的だ。 聴いて分からないのは何がまちぶせなのか まちぶせ(81-18バージョン)|石川ひとみ - トピック 歌詞の二番の「偶然をよそおい/帰り道で待つわ」が物凄く近い。しかしながら恋心の自然な成り行きとすると決して必ずしも難しくはなかった。好きだから相手の目に留まるところを通っているだけのあれなので、タイトルの意味深なイメージとは真逆とも捉えられるだろう。つまりアプローチではなかった。 いい切って良いのかどうかも怪しくて恋心の自然な成り行きが一つの駆け引きならばまちぶせがアプローチと捉えられるし、強いて意図的な行為ではなく、荒井由実の言葉遣いと石川ひとみの歌声からすると出会…