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些細な日常

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ルーマーのWhat the World Needs Now Is Love(ジャッキー・デシャノン)|友情歌

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2016年に発表された ルーマー のカヴァーで聴いた What the World Needs Now Is Love / 世界は愛を求めている ( ジャッキー・デシャノン )が友情歌として胸に響いた。 ジャッキー・デシャノンの What the World Needs Now Is Love ジャッキー・デシャノン| Jackie DeShannon, Singer/Songwriter 作詞は ハル・デヴィッド 、作曲は バート・バカラック で、オリジナルの歌手はジャッキー・デシャノンになる。 What the World Needs Now Is Love (1965/オリジナル) バート・バカラックは1962年にメロディの大半を書いていたけれども詞の一部が追い付かなくてハル・デヴィッドが二年を費やして完成したとされる。 元々は ディオンヌ・ワーウィック のために制作されたものの曲調がカ…

ジョン・レノンのStand by Me(ベン・E・キング)|友情歌

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1975年に発表された ジョン・レノン のカヴァーで聴いた Stand by Me ( ベン・E・キング )が友情歌として胸に響いた。 ベン・E・キングの Stand by Me Ben E. King from Coveralia 作詞作曲はベン・E・キングと音楽制作コンビの ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー で、オリジナルの歌手はベン・E・キングになる。 Stand by Me (1961/オリジナル) 題名は ソウルスターラーズ の Stand By Me Father 、そして歌詞は第二連の三行目に顕著だけれども 欽定(ジェームズ王)訳聖書の詩編四十六 の二と三節――大地が動いて山が海の真ん中に呑み込まれても恐れない――に触発されているようだ。 当初、ベン・E・キングは自身の所属する ドリフターズ のために着手したけれども受け入れられず、脱退した後の1961年にソロで発表した。 ジ…

小林麻央の贈り物の時間を読む~癌闘病の死相を突き破って咲いた笑顔の心~

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僕は 小林麻耶が可愛くて好き で、アナウンサーとしてテレビに出ているのを見るといつも嬉しかった。気付くと妹の 小林麻央 がいて姉と同じようにアナウンサーとして活躍していたんだ。一見して雰囲気が対象的で可愛いよりも美人というタイプだったと感じる。大人しくて淑やかで素敵な女性なのは間違いなかったし、だからこそ世の中でも人気者だったはずだけど、個人的に興味がないというか、比べてはもっと面白いばかりの小林麻耶しか眼中になかった。テレビで見かけても特別に注目したりはしなかった。 今改めて凄いと認めて小林麻央を取り上げないわけには行かなくなって来た 2017年6月22日に乳癌によって他界された。享年三十四歳と癌で亡くなるには非常に若かったのが殊更に悔やまれもする。早期発見に失敗して治療が手遅れになってしまったのが最大の原因かも知れない。 海老蔵、隠し通せた1年8ヶ月は「奇跡…

キャロル・サックが奏でるリラプレカリアという涙も輝くばかりの清らかな世界

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聴いて驚く音楽がある。否、このリラプレカリア(祈りの竪琴)の奏者のキャロル・サック(キリスト教の宣教師のミュージックサナトロジスト)が留意するように必ずしも普通の音楽ではないとすれば一つの耳の喜び、または魂の交歓そのものではないだろうか。さては涙も輝くばかりの清らかな世界を受け取る。心を洗われるとは他でもない今此処の衝撃に素晴らしく身を委ねては感想するべく発したい言葉も本当に必死だ。まるで花畑のように広がって行く命の尊さに触れながら気持ち良く生まれ変わる印象を持たされる。覚えて正しく、崇高な奇跡だと認める。 リラ・プレカリア(祈りのたて琴)|JELA---リラ・プレカリア キャロル・サックのリラプレカリアを初めて知った切欠はテレビの【祈りの竪琴(たてごと)】(こころの時代~宗教・人生~)だった。寝た切りの老人のベッドのそばで、竪琴を弾いて歌を歌いながら…

プロのブロガーへ上手く行かない人生にも差し込んだ希望の光で奇跡こそ信じて

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ブログのアクセスが昼前に六十人を越えていて一日二百人を初めて達成するかも知れない。開設して一年という年内に一日数百人のアクセスを得るのが目標なので、せめて一回でも上回れば自信に大きく繋がって来る。二百人ではギリギリだけれども数百人の範囲に収まるわけだから申し分ないと納得できる。 夢が膨らむよ 、来年以降へ向けて Discovery in the forest by Dieterich01 / Pixabay 本当にプロのブロガーとしてサイト広告で生活費を稼げるのではないか。 一日千人が最低でも必要 だろう。スタートラインといって良いはすだし、それまでは下積みのように考えている。苦しくても仕様がないに違いない。 詩的にいえば床掃除の毎日だ。誰が汚したのか、大変なままでに。自分だし、苦労をどれだけ重ねても作家としてしか生きたくないのに上手く行ってない不遇のせいだ。…

クリスティン・フォークトの日常生活をドラマチックに表現した写真は本当に素晴らしい

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写真の良さは元々は記憶が目に見えるところにあったと思う。過ぎ去った時間が目の前にある驚きが人々を衝撃的に魅了して世の中に広まったのではないか。一つの魔法なんだ。どんな写真でも同じだけれども被写体に注目するとしかし気付かなくなる。写し出された世界が只単に見えると共に奇跡的な味わいを持っていて如何にも写真らしくスタイリッシュに表現するのは難しい。 クリスティン・フォークト の写真は完璧だと甚く感動した Woman in Grey Knit Sweater by Kristin Vogt / Pexels 何気ない瞬間が魔法にかかって写真に生まれ変わっているとすると本当に素晴らしくて些細な日常だから個人的に相当に引き付けられもするんだ。 日常生活がドラマチックに受け取られるのは写真家が実現した奇跡的な味わいのせいだ。スタイリッシュな撮り方が非常に際立っている。精妙…

野生の砂猫の赤ちゃんのこんにちはみたいな感じが神々しく透き通る祈りだった

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準絶滅危惧種で数を減らし続けている野生の 砂猫 の赤ちゃんが貴重にも世界で初めて撮影された動画( Sand Cat Kittens Spotted in the Wild for First Time /初めて野生で見付かった砂猫の子猫)を観た。 言葉を失うくらい可愛い野生の砂猫の赤ちゃん Sand Cat Kittens Spotted in the Wild for First Time|Panthera Cats 砂猫そのものが言葉を失うくらい可愛い と気付いた切欠の動画だったけれども赤ちゃんだけにさらに輪をかけたようにどうしようもなく可愛くて印象深かった。 親猫が餌を探しに出かけた隙に巣の草むらから少し出て来て追いかけたかったのか 何か良く分からなくて右往左往するといっても殆ど動かないから気持ちこそ受け取られた。カメラに気付いたのか、視線が不意に固まったり、数…

MOTOROLAのスマホで急速充電を止めるには最初から本体の電源を切っておくと良いみたいだ

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MOTOROLAのスマホで Moto G5 Plusを使い出して 急速充電が長くても一時間半くらいで完了するから便利だと思う。 しかしながら発熱が大きいんだ。持っているのも辛くなるほどの高温に達してしまう。 普通ならば真夏に充電しながらインターネットに接続し続けたスマホではないだろうか。 スマホの電池持ち を考えると発熱は避けるには越さない 電池が熱くなると比較的に早く劣化するといわれる。少しでも長く、むろん修理なしで、使いたい気持ちからしてMOTOROLAのスマホの急速充電の機能は必要なかぎりでしか設定するべきではないだろう。 大抵、止めるのが良いと思うけど、ところがスイッチとかなんて本体に付いてないらしい。探しても探しても方法が見付からないという。だから仕様がなくてMoto G5 Plusではいつも急速充電ばかりやるしかなかったんだ。 電池が劣化しないで欲しいと…

サイト広告で生活費を稼ぎたい気持ちは個人的に神のお告げに他ならなかった

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僕は作家として プロデビュー と Googleアドセンスに承認されて 実感した。サイト広告で生活費を稼ぐという考え方がGoogleアドセンスならば収益率が高いから現実味を帯びて来たせいだった。 作家として作品を売って印税を得るという考え方が二十年以上も実現せずにプロになる可能性が全くないところで、神のお告げとも過言ではないくらい喜んだし、自分には相応しいのではないかとサイト広告での収益化の前提条件のサイトのアクセスアップに改めて力強く励むようになった。 実際は物凄く厳しくて不可能に近い 巷で収益率が非常に高いといわれるGoogleアドセンスに承認されても例えば月収十万円に一日五千人くらいの訪問者が必要かも知れなくて一般的なホームページやブログの個人サイトでは先ず以てあり得ない数字が求められてしまうわけなんだ。 ただし神のお告げと認識するほどに背中を押されるようにサ…

Googleハネムーンと銀河系の星の数を越える年間検索数から見えて来るアクセスアップの可能性を信じて

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ブログのアクセスアップは本当に可能かと訝らざるを得ない毎日を過ごしているけど、とにかく成長する度合いが少しずつならば本当に可能なのがブログのアクセスアップに他ならない。 些細な日常をBloggerで開設して運営期間が七ヵ月目に突入している。 最初は一日に一人の訪問者で仰天していた。まるで頂天眼の思いで、アクセスアップの喜びは否大きかった。ただし巨大な山の前で余りに霞み過ぎた一人の登山者のように先々へ懸念が立ちはだかっているのも事実だった。一日に一人の訪問者を得るのに大変な苦労を余儀なくされる。 Google検索から主にアクセスアップを狙って記事は タイトルにキーワード を入れて 文字数を多め にしながら増やして行くけれども暫くして漸く一日に五人とか十人なんて訪問者が増えて来る。 経験上、記事を増やして行けばブログのアクセスアップは間違いなく可能としか呼べないにせよ…

心の真っ直ぐな人でなければ流産した女性の悲しみを純粋な気持ちのみで知らなかったようだ

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もう変わってしまったけれどもGoogle+(サービス終了)の基本情報にかつて「自慢できること」という項目があった。載せるために考え付いたのが「詩が心の真っ直ぐな人から誉められたこと」だった。 昔の詩のホームページ での経験で、十年以上前に自作詩へのメールを貰ったのが心に響いたんだ。 直ぐに分からなかった。というか、初めてで驚いたし、ちょっとしたメールから相手の詳しい事情は受け取れなかったというとしっかり分からなくても決して珍しくなかっただろう。 図らずも「心の真っ直ぐな人」から誉められた自作詩の こいのうた どんな自作詩が誉められたか。ホームページ( ブログへ移転 )に載せてないけれども こいのうた だった。恋愛での純粋な気持ちが人々に分かり易く仕上げられたから普段よりも引き付けるのではないかと密かに喜んでいた。 たった一言、好きだよと 伝えに向かう。 この想いは終わらな…

Photoshop Expressのエフェクトは色味に優れていて心に染みる写真が得られた

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ブログの 白詰草の記事 に合わせて載せる写真に Photoshop Express でエフェクトをかけたら非常に上手く行った。驚いたのは仕上がりだけではなくてアプリでエフェクトに付けられていた名前もそうだった。白詰草の記事では乙女心の恋物語を取り上げたけれども気に行ったPhotoshop Expressのエフェクトがコイだったので、凄いと感じた。 僕の恋物語とPhotoshop Expressのコイがイメージで結び付くとすると写真編集で相当に使い易いアプリに違いない。思い通りだから良いし、嬉しい。いうと詩情から心に染みるエフェクトを持っている写真編集アプリがPhotoshop Expressだと白詰草へのコイで大いに満足しながら分かって来たんだ。 Photoshop Expressのエフェクトの使用感 Photoshop Expressのエフェクトは幾つもあるけ…

白詰草の花言葉のイメージは乙女心の恋物語が微笑ましい

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公園の片隅に白詰草が良く咲いていて驚いた。大きな集落を見たいと以前からずっと思っていた。自作詩の Clover のせいだから十年以上も経った。敢えて探しはしてなかったにせよ、待ち望んでいた気持ちは嬉しかったし、白詰草の大きな集落は素晴らしい出会いなのは間違いない。 白詰草の花言葉はとても可愛いらしい 私を思って 約束 乙女心を如実に思わせる。聞くや恋物語を彷彿とさせて微笑ましいかぎりだろう。どちらも慕わしさが溢れている。二人の世界が相思相愛ならばいうことはないのではないか。恋が人を詩人に変えるとしたら透き通った言葉しか出て来ないし、受け取らないはずで、情感は沈黙にかぎりなく近付く。穏やかな日々と思いの清らかさという緑と白から白詰草を、常々、感じるんだ。花言葉も同じならば心から見出だされる詩情に相応しい。 四つ葉のクローバーだと白詰草の花言葉に「幸運」や「私のもの…

ピンクと白の芝桜で希望を引き寄せる自己啓発

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芝桜が可愛い。地面にびっしり生えて咲き出すと踏み潰して歩くのも忍びない思いに駆られる。しかし何気なく歩いている道も普段から同じではなかったか。有り難みを受け取るほどに芝桜に喜びが膨らむんだ。人生は尊いし、道なしには生活も苦しかったはずだから感謝するには越さない、神へ。 ピンクと白は気持ちに正しく当て嵌まる 芝桜は忍びない思いと人生の尊さのためにピンクと白が似合っているのではないか。自然に受け取るかぎりの神のメッセージだと感じてしまう。ピンクと白の芝桜は本当に美しいし、イメージは晩春から初夏への移り行く季節の詩そのものだ。 素晴らしかった春に別れを告げながら新しく素晴らしいはずの夏との出会いへ明るく期待して行くわけなので、それぞれが通じ合う真実の喜ぶべき繋がりに気付けば芝桜は象徴的に輝かしい花だった。 人生で道に迷うとは風向きが読めないに等しい 芝桜いとも容易…

悲しくても必死に生き抜くつもりならば画家一筋へ情熱を燃え上がらせたヴァン・ゴッホのように

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ゴッホの手紙 を読んでいると元気が湧いて来る。絵だけではないと本当に感じる。 ヴァン・ゴッホ は画家だけれども同時に作家だったのではないか。興味深いのは文学は手紙でしかないから特にやってないという雰囲気が文体から伝わって来る。ヴァン・ゴッホならではの画家としてのイメージを手紙の文面に重ね合わせているに過ぎないにせよ、個人的に納得してしまわざるを得ない。 ヴァン・ゴッホならば画家一筋に情熱を燃え上がらせていたから他の創作活動には本気を出して取り組んで欲しくないけれども人間的に手抜きを受け取るのでは物足りないせいだろう。 手紙は文学なんだけれども作品として十分に仕上げられてない、本業の絵と比べると芸術性が低いに過ぎないだけで、必死に生き抜くほどの掴み取られた真実においては実質的に変わらないと感じる。 ヴァン・ゴッホに自画像が多いのは貧しさに強いられたためだ Self…

ヴァン・ゴッホの馬鈴薯を食べる人々と親身に堪え忍ぶ貧困生活

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日本で 学生が多く働き出した という現状と付随して子供が食事も碌に取れなくなっているらしい。テレビでくう ねる あそぶ こども応援宣言の【こどもごはん】を観た。畢竟、学生が多く働いても家庭は日々を食い繋ぐのが精一杯の貧困生活に殆ど変わらないと認識が裏付けられてしまった格好だった。 かつて 小泉首相 が大企業を優遇する政策を行ったせいだ 労働力調査(基本集計)平成28年(2016年)平均(速報)結果の要約| 総務省統計局 (PDF) 経済の国際競争力を高めようと製造業の派遣社員を増やした。2003年の派遣法の改正だけれども暫くして2008年からは「 派遣切り 」と失業率が跳ね上がる明らかに正反対の結果を出していた。好景気に余りに遠過ぎるせいだ。国内に就業格差、または賃金格差というどんなに働いても身分的にどうしようもないみたいな貧困生活を社会構造からがっちり引き起こした要因…

読む気スラスラの君たちへ守るべき沈黙の作家には抜け出せない涙

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もしかしたら僕だけど、君たちも読む気スラスラだから困る、昨日の午後から自作へ気が狂いそうで。 可笑しいし、本当に正気を失ってしまうならば素晴らしい思考が見付かった。経験そのものから精神とは何かを知るべき手がかりになる。というか、君たちへ送り届けるのが詩以外では非常に難しい言葉遣いを迫られずにいない世界へ生き出しているんだ。 詩と思考の命題は厳しかった。なぜなら哲学を批判しなければ永遠には辿り着けないからだ。 スピノザ の教えで終わらせるわけには行かないという実情はもう既に 些細な日常の一つ で示したはずだし、作家としても繰り返す必要はないだろう。 明かしておくべきなのは気持ちだけだ。それが分かったから脳味噌が飛び散りかけているとは漫画でもなければ涙としか呼べない。人は悲しくて泣くわけではないし、漫画ならば本当に喜んでいる可能性もあるわけで、またはゲームでも同じで…

カリオペに祈りを捧げて作家としての幸せを願う

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ギリシャ神話の神々で、文芸の神、または詩神は ミューズ と呼ばれる。英語のミュージアム(美術館)やミュージック(音楽)の語源になっていたり、欧米では他の言語でも影響が大きいと思う。 しかし何人もいるらしくて ヘシオドス の 神統記 から九つに分けられたとされる。 全てのミューズを纏めるというか、最も権威の高い存在としてミューズの長と考えられるのが カリオペ で、それ自体では叙事詩を司るという特徴を持っている。 Calliope, Muse of elegy by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons ギリシャ神話が叙事詩なので、物語調で寓喩を示しているし、カリオペが最重要視される真実は如何にも尤もらしく受け留められる。 すなわちカリオペはギリシャ神話を抜本的に意義付ける立場に置かれているとも過言ではなかった。 人々も初め…

男と女の恋模様ならばルノワールのムーラン・ド・ラ・ギャレットへ身投げするように

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十九世紀のフランスの印象派を代表する画家で、 ルノワール が三十五歳で仕上げたとされる代表作の ムーラン・ド・ラ・ギャレット は本当に見ていると心が絵に吸い込まれて行くかのような素晴らしい魅力を称えていて忘れ難い印象を正しく残してくれる。 ルノワールが ムーラン・ド・ラ・ギャレット を描いた理由 Le Moulin de la Galette by Pierre-Auguste Renoirs / Public domain 考えると不思議なのはルノワールはなぜ ムーラン・ド・ラ・ギャレット のように素晴らしい絵を描いたのか。他の気持ちが物凄く、または非常に少ない。感想を述べるのに言葉が副詞でさえも神経を使わされてしまう芸術とは何か。驚くべき美しさを発見した気持ちなんだ。 きっと恋愛に例えれば男と女が身投げするように飛び込んで行くしかない世界の抜き差しならない喜びが強固に…

神の本性を世界へ見定める真夜中の祈り

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