心の真っ直ぐな人でなければ流産した女性の悲しみを純粋な気持ちのみで知らなかったようだ 結城永人 - 2017年6月13日 (火) もう変わってしまったけれどもGoogle+(サービス終了)の基本情報にかつて「自慢できること」という項目があった。載せるために考え付いたのが「詩が心の真っ直ぐな人から誉められたこと」だった。昔の詩のホームページでの経験で、十年以上前に自作詩へのメールを貰ったのが心に響いたんだ。 直ぐに分からなかった。というか、初めてで驚いたし、ちょっとしたメールから相手の詳しい事情は受け取れなかったというとしっかり分からなくても決して珍しくなかっただろう。 図らずも「心の真っ直ぐな人」から誉められた自作詩のこいのうた どんな自作詩が誉められたか。ホームページ(ブログへ移転)に載せてないけれどもこいのうただった。恋愛での純粋な気持ちが人々に分かり易く仕上げられたから普段よりも引き付けるのではないかと密かに喜んでいた。 たった一言、好きだよと 伝えに向かう。 この想いは終わらないよ なくさないよ 生きているよ。 走り抜けた 並木道。 穏やかな日差しがこぼれていた、 バス停に立つ君の姿がとても眩しくて 口も重く開かなくなりそうだけど、 勇気を出して告白しよう またとない チャンスを信じて。 結城永人のこいのうた 初出とは言葉遣いを幾らか変えて詩の音感が上がった。以前は目に浮かぶ情景から純粋な気持ちがもっと万人向けの仕上がりだったはずなんだ。現在は歌心から詩が好きな人にしか分からないようにに調整してあるので、僕自身も皆を引き付けるかも知れないと密かに喜びもしなくなった。人々には分からなくて良いし、純粋な気持ちなのに誉められなくても仕様がないと納得している。 十年以上前、ある人が初出の分かり易かったこいのうたを気に入ってメールで誉めてくれたわけだけれどもどんな人かまでは知り得なかった。しかし他の人のホームページの掲示板に同名で書き込みが見付かったんだ。本人のホームページのURLも載っていたので、幸いながらどんな人に自作詩が尊ばれたか、こいのうたがなぜ引き付けたかの理由を覚えて将来の詩人生活のために作詩の長所として役立てたいと感じながら見に行った。 当時の思いならば声をかけて詩のホームページの常連になって欲しいというのが最重要だったけれどももう一つは間違いなく将来の詩人生活のためだったし、知らない人にメールでいきなり自作詩を誉められるというのは本当に初めてで驚いたから喜びに勇んでどうなるかと掲示板に残されたホームページへのリンクを押した。 すると最初は何のホームページか、一瞬、分からなくて戸惑ったけれども暫く見て回っている間に流産した女性のためのホームページだと分かって来て心が静かに震える感じがした、数多くの祈りに。 詩人として考えると非常に嬉しさを覚えずにはいられない経験だった 現在ならば救いの手が詩集として完成してもいるけれども人々を悲しみから救い出さなくてははずだった。当たり前だから殆ど気にかけてなかったかも知れないながら自作詩をメールで誉めてくれた人の流産した女性のためのホームページを知って本当に狙い通りだと驚かされたし、自信に物凄く繋がるような感銘を受けてしまった。 人々を悲しみから救い出すのが詩人としての自分自身の大きな努めだという点では流産した女性の気持ちから誉められて信頼された事実は他でもなく、深く傷付いていて涙が著しく重いために非常に根本的な印象を持たされたわけだったんだ。 そして思いを改めて痛感した。徹して頑張るべきだ、将来の詩人生活のためには人々を悲しみから救い出すつもりだった努めこそ。本当に素晴らしい経験だったし、流産した女性のためのホームページでは自分から見に行くことはたぶんなかったかも知れないとすると神に天命と畏れ多く促される感じさえもしていた。詩人として生きるかぎり、今此処からしっかり覚え込んでおかなくてはならないと認めた気持ちも本当に確かだった。 だから自作詩をメールで初めて誉めてくれた人には感謝に堪えないとしかいいようがないし、詩集の救いの手も何年も経って完成しても真っ先に捧げたいくらい記憶にずっと刻まれるばかりの有り難みを受け取っている。 Google+の「自慢できること」にぴったりだと感じた。僕には何一つないのではないかと悩んだ。生活上、格好悪いと避けられるほどの項目だとすると沈黙を守りたくもなる。日本人にとっては謙虚なのが美徳だから一般的にいっても難しいんだ。しかしGoogle+はアメリカのソーシャルメディアだから反対に自己アピールが積極的に求められるし、尊ばれる国民性のせいで出て来るんだろう。アメリカから「自慢できること」を考えれば一人で満足しながら誰にも教える必要は特にないよりも皆に知って欲しい本音を出せば良いわけなので、キャッチフレーズが「日々、詩人として生きています」とすると多少とも掘り下げた精神の印付けに選びたいのは却って逆に一つしかなかった。 簡単に捉えるには「心の真っ直ぐな人」と呼び得るのがまさかだった 詩人としての努めを誰よりも自覚させられたというと透き通った心の持ち主こそ最重要なので、だからついにこいのうたも生まれて現実に歌われるのはさらに天使的な人のお陰で、自分らしく永遠の詩に纏められもするわけだけど、人生の大元から外れているのがちょっと訝しい。 結局、本音を明かすためには気持ちがメインだから自作詩をメールで初めて誉めてくれた人、流産した女性のためのホームページで天命まで畏れ多くも思い知らされずにいなかった思い出がとても大きかった。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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