カリオペに祈りを捧げて作家としての幸せを願う 結城永人 - 2017年3月8日 (水) ギリシャ神話の神々で、文芸の神、または詩神はミューズと呼ばれる。英語のミュージアム(美術館)やミュージック(音楽)の語源になっていたり、欧米では他の言語でも影響が大きいと思う。 しかし何人もいるらしくてヘシオドスの神統記から九つに分けられたとされる。 全てのミューズを纏めるというか、最も権威の高い存在としてミューズの長と考えられるのがカリオペで、それ自体では叙事詩を司るという特徴を持っている。 ギリシャ神話が叙事詩なので、物語調で寓喩を示しているし、カリオペが最重要視される真実は如何にも尤もらしく受け留められる。 すなわちカリオペはギリシャ神話を抜本的に意義付ける立場に置かれているとも過言ではなかった。 人々も初めてギリシャ神話を生活上で意識したのではないか、カリオペを知ると共に。カリオペなしに叙事詩はないとすれば生活上でギリシャ神話自体もそのように成り立つとは考え難かったはずだ。ひょっとすると人々にとってギリシャ神話が一つの世界として現実的に客観的に把握されるように外側から自覚されたのはカリオペのお陰だったし、神統記でミューズを九つに克明に紹介してみせたヘシオドスこそ立役者だったわけだ。 神々はギリシャ神話を飛び出して生活を見守る。元々、そうだったかも知れないし、最初から人々の生活を見守る神々のためにギリシャ神話は生まれたとすれば改めて驚く必要はないだろう。 考えると面白いのは確信が芽生えたのではないか。神々への思いからギリシャ神話が作り出されたけれどもカリオペによって叙事詩としてそれ自体が抜本的に意義付けられながら生活上で再発見されるというのは認識が得られたに等しい。ちゃんと分かったみたいな感じが人々の中に出て来たとすると信仰と愛も一層と加速されると推測されてしまう。 カリオペの持ち物は書板と鉄筆とされる。作家においては根性を味わわせる趣きなんだ。何があろうと叙事詩という物書きを止めないような気持ちがあるわけで、ギリシャ神話の作者に準えれば作品の完全性を高めるイメージに繋がりもするけれども文筆への人間離れした情熱は凄く肖りたいと思う、僕は一人の作家として。 死にかけつつも物書きを止めないような気持ちがあればまだ大丈夫ではなかったか。 何のために生きるか。挫けない心が大切なんだ。人生が上手く行かなくて頑張っても頑張っても駄目だからもはや自殺するしかなくなる。それほどまでに信念を厳しく持っているかぎり、世の中に見捨てられて終わりでは納得できない部分も否定できなかった。信念を強化しなくては生き続けられないところで、どうにもならない不安という悲しみそのもの(地獄からの引き込み)を踏み越えるためには実地に誓いを立てるべきだと考えざるを得ない。 作家活動が幸せならばカリオペに祈りを捧げてこそギリシャ神話でミューズの長だからご利益も大きいはずだし、願わしい幸せから天命を全うするためには非常に適している。 自分らしさからどう生きるかを突き詰めると誓いを立てるにせよ、只単に神という形而上学よりも世界が的確に捉えられるし、信念にとっては有り難みが増すように親しみ易くて良いのではないか。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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