プロのブロガーへ上手く行かない人生にも差し込んだ希望の光で奇跡こそ信じて 結城永人 - 2017年12月11日 (月) ブログのアクセスが昼前に六十人を越えていて一日二百人を初めて達成するかも知れない。開設して一年という年内に一日数百人のアクセスを得るのが目標なので、せめて一回でも上回れば自信に大きく繋がって来る。二百人ではギリギリだけれども数百人の範囲に収まるわけだから申し分ないと納得できる。 夢が膨らむよ 、来年以降へ向けて Discovery in the forest by Dieterich01 / Pixabay 本当にプロのブロガーとしてサイト広告で生活費を稼げるのではないか。一日千人が最低でも必要だろう。スタートラインといって良いはすだし、それまでは下積みのように考えている。苦しくても仕様がないに違いない。 詩的にいえば床掃除の毎日だ。誰が汚したのか、大変なままでに。自分だし、苦労をどれだけ重ねても作家としてしか生きたくないのに上手く行ってない不遇のせいだ。代わりにやってくれる人なんていない。報われないまま、死に物狂いで頑張るだけが実際だろう。 二十代前半から四十代後半までうだつが上がらなかった。およそ二十五年の悲しみから解き放たれる日が近付いている気持ちは幸せそのものだ。ピンと来ないし、忘れかけている。作家が天職だと気付かなければもっとずっと楽だったかも知れない。ただし自分らしさは必ずしも掴まれなかったから不幸だったのも事実なんだ。楽に過ごすだけでは満足できない。何といっても自分らしさから生計を立てられるような暮らしを模索していた。作家でも直ぐに人気を博せば簡単だったはずだし、二十五年の悲しみというと長過ぎて呆れる。現今はブロガーがメインだけれどもプロへの夢を諦めたり、死ななかったのは本当に神のお陰だろう。 祈りを捧げながら実感するよ、お先、真っ暗の生活にも今漸くと希望の光が明々と差し込んでいると。 従来の専ら期待感が有力な現実ではない。未来への可能性がしっかり出て来たわけなんだ。プロのブロガーとして着実に生きて行けるかも知れないから素晴らしく嬉しい。 目下、不幸だらけの歴史から何もかも失敗しないように改めて注意しておきたいとも認める。 どうせ上手く行くはずはないし、不遇こそ相応しいのが僕なのか Spooky midnight by Dieterich01 / Pixabay 昔は人々にはっきり合わせてなかったに過ぎない。現時点でも変わらない詩のホームページ(ブログへ移転)は誰も来てないに等しいわけで、他のサイトを含めてもアクセスを伸ばしているのはブログの些細な日常だけだ。すなわち猿でも分かる日本語を取り入れながら多くの人たちに速やかに理解されるような作家活動が功を奏しているせいなんだ。 僕は僕でもやっている全てが以前の状態へは少しも当て嵌まらないから反対にむしろ上手く行かないと困るくらいに受け取るべきだ。もう何も危ぶまれはしない。プロのブロガーで金儲けに成功するなんて一般的にあり得ないほどに確率が低いとすると訪れる奇跡こそ信じて邁進すれば良いだけだろう。 世の中のロボット型の検索エンジンから人を呼ぶし、GoogleでもYahoo!でも人々に合わせて作動しているかぎりは皆に分かり易い自己表現が何よりも必要不可欠にせよ、ブログが成長するのは予定通りだから記事の作成と共にSEO(検索エンジン最適化)対策も手を抜かないどころかさらに徹底的に研究して行くべきだと思う。 今現在は夢の途中で、もしかすると、一番、楽しい気持ちかも知れない だからブログに取り上げておきたくもなる。少なくとも後にも先にもないはずの特有の経験だ。 普通に考えて検索エンジンからのアクセスアップで人気者になれるわけがない。なのに世界は変わりかけている、なぜか。笑ってしまうし、奇跡の足音らしくて如何にも心を擽られる情感が愉快だ。さっさと連れ去ってくれないか、魔法の杖も宜しく、待ち望むばかりの煌めきの彼方とも称したい理想郷へ。 執筆中、昼過ぎに些細な日常のアクセスをチェックしたら早くも百人を越えていた。 今日こそ正しく一日二百人が迫っているんだ。当初の予定通り、年内に数百人とブログの成長がギリギリでも果たされるどうかの瀬戸際だから目が離せない。ブログのアクセスアップの計画は滞りないと思いたいものだ。 何れにせよ、 夢に向かって希望の光が如実に味わわれた気持ちを存分に掴んでおくのが先決だろう Very fresh forest by Dieterich01 / Pixabay 作家活動で生計を立てたいのにどうにもならなかった二十五年の悲しみが消え去り始めているんだ。 およそプロのブロガーならば一日千人のスタートラインにもまだ遠く及ばないとはいえ、個人的に堪らないくらい有り難くて今此処で命が尽き果てても生涯に悔いはなさそうだ。不人気のままでは死ぬしかないか、他の仕事を余儀なくされるわけで、中々、自分らしく生きられなかった。天職という作家活動に没頭できる生活が齎らされるのはたとえ可能性でしかなくても無上の思いがしてしまう。 神のお陰とは飛んでもない救いだ。作家として人を呼ぶために種々と考えながら努力しているのは自分以外の何者でもない。されど輝かしい未来を察知させる現実そのものは手に付かないんだ。繰り返すと誰も来ないに等しい詩のホームページこそ僕にとって本道だから虚し過ぎる余りの苦労と引き換えに人生は終わっても不思議ではなかった。 夢の途中ながら何て快適なのか。自然は甚だしく偉大だ。自分らしく生きられる世界の本当の良さだし、些細な日常において皆に知って欲しい魅力を新たに見付け出している。胸に刻んで先へ進もう。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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