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α5100とTouit 2.8/50Mの初夏の晴れた公園の花々の撮り歩きの五つの作例

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ゴールデンウィークの前半、四月三十日に良く晴れて暖かったので、地元の公園に愛用のカメラのSonyのα5100レンズのZeissのTouit 2.8/50Mを携えて花々の写真の撮り歩きに出かけた。
目当ては何といっても山の裏道でひっそり咲いているのを見付けて大喜びした鈴蘭だ。
好きな花だけど、しかし白一色で小さいからピントが合わなくて動かなくても写真撮影には手強いとも知った。最初は失敗ばかりだったし、スマホやコンパクトのカメラでは被写体の輪郭を十分に取れなくて――光の少ない木陰の鈴蘭にかぎればもはややるだけ無駄の散々な境地を強いられるばかりだ――たとえ一眼レフのカメラでも露出やシャッタースピードや絞り値などをしっかり覚えて細かく調整しないと厳しかった。鈴蘭との出会いは写真家として相当に練習になった。
二年目の去年は山の裏道の鈴蘭の集落へ何度も足を運んで試行錯誤を繰り返しながら葉っぱ満開散り際などの納得できる作例を多く残せたと思う。
今年も頑張るつもりだったけれども日頃の生活難に加えて寒暖差アレルギーの体調不良で無理かも知れなかった。
しかし何とか起き上がって天気も良好だから三年目の鈴蘭の写真撮影に挑み得たのは幸いだった。
満開なのは一週間も続かないようだし、雨が降ると直ぐに汚れて散りかけそうだから一日だけ出かけても真っ白に咲いた鈴蘭は撮れないのではないかと心配されたもののタイミングも良くて被写体には事欠かず、写真撮影は狙い通りに進められた。
α5100とTouit 2.8/50Mの作例①花柄が以前よりも総じて小さい鈴蘭だった

公園の山の集落では虫に食われた葉っぱも多くて育ちが悪いようなのを悲しんだ。雑草も目立つので、遠めから撮るのは気が進まない。レンズのTouit 2.8/50Mがマクロだから近寄ってこそ本領を発揮するけれども花が段々と幾重にも気持ち良く垂れ下がって並んでいる感じが出せないのが参った。花弁の縁の反り返りも歪みがちだ。
落ちた花は全くなかったし、蕾が幾らかあったので、もう少し後が満開だったかも知れない。
直ぐに雨が降ったから今年の地元の公園の鈴蘭が晴れ間に最も輝いた瞬間を表現できたと納得してはいる。
振り返ると四月が例年よりも暖かくて雨が少なかったのが鈴蘭の育ちに影響したのか、何れにせよ、花も葉っぱも小さ過ぎる印象を与えるのは自然の姿として捉える他はないし、何より…

Yahoo!検索大賞の注目のキーワード/ブルゾンちえみと安室奈美恵と藤井聡太で考えるブログのアクセスアップの可能性

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ブログのアクセスが一日百七十人を越えてついに二百人が見えて来た。本当に嬉しいし、やる気が増して来る。最大の要因は検索エンジンから一日一人以上の記事が増えているせいだ。
どんな感じかを調べてみると人気のキーワードはまだ、全然、引っかかってないし、サイト評価は低いといわざるを得ない。検索エンジンにインデックスされたページが何百万、何千万件もあると掲載順位が上がり難くて目立たずに終わってしまう。
気付いて継続的に好調なのは世の中で新しいという注目のキーワードだった
ブルゾンちえみ、「Yahoo!検索大賞」受賞 お笑い芸人部門とダブル受賞 大ブレークで「激変」 via maidigitv
Yahoo!のYahoo!検索大賞2017が発表されて、今年、最も検索された人物名は「ブルゾンちえみ」だったり、検索エンジンで注目のキーワードは、突然、現れるからブログに取り上げると競合サイトが少なくて検索結果で目立つし、アクセスを稼ぎ易いわけだろう。
実際に「ブルゾンちえみ」については些細な日常で取り上げるかどうかを迷っていた。24時間テレビでマラソンをやって「何なんだ、この人は」と初めて知った。驚くほどに気に留まったし、分けても髪型と化粧と名前(おかっぱと細い眉毛とブルゾン)の組み合わせが衝撃的だった。奇抜そのもののかつてないお笑いではないか。何がどうなってそうなんだと咄嗟に追求したくなるのは受け合いの知的な好奇心が刺激されずにいなかった。皆もきっと同じだから「ブルゾンちえみ」を記事にしておけば検索エンジンからアクセスアップは間違いなさそうだったけれども強いて取り上げなかった。
ミュージシャン部門では引退発表の「安室奈美恵」が気に留まっていた。一ヶ月程度で、間もないのにトップになっていたから相当に凄いと感じ返す。昔から知っていたし、思い出もあるんだ。デビュー当時、ポンキッキーズ鈴木蘭々と兎の着ぐるみをやっていたパフォーマンス/シスターラビッツが素晴らしく可愛かったのに暫くして小室ファミリーの歌手としてまたはアムラーのファッションリーダーとして人気が爆発した頃にはすっかり薄らいでいたので、観ていて個人的に侘しかった。改めて考えてみると兎の着ぐるみの面白さ(素晴らしく可愛く生きる)と歌手やファッションリーダーとしての格好良さ(人気が爆発して生かされる)で内面的に引き裂かれるみたいに人生的に追い詰め…

日本的な潔さを気に入る若者の世の中の不正や矛盾に納得しない考え方は大切だ

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Twitterで大相撲の貴乃花親方に肩入れするツイートが好評だった。いいねとリツイートが普段よりも多い。若者が多くやっていると聞くけれども日本的な潔さが格好良いと感じるせいではないかと考える。
日馬富士の貴ノ岩への暴行問題で怪我が軽かったみたいな報道が増えている。そして日本相撲協会が裏で圧力をかけているとまでいわれ出した。貴ノ岩を匿った貴乃花親方から捉えると日馬富士は横綱として自分から引退を宣言するのが最後の品格のはずだが……。
結城永人 via Twitter
目下、人気者になりたいのにジェネレーションギャップを抱えていて若者と話題が合わないし、フォロワーが増えないのが最も辛いけど、しかしながら引き付けるツイートで知名度を上げて行けばチャンスはあると認める。
もしも日本的な潔さが若者から気に入られるとすればツイートで中心的に取り上げない手はないだろう。
一般的にいうと責任感や信頼性が求められているわけで、若者こそ敏感に察知して頷くとすると凄い。感性が鋭いんだ、やはりまさか精神も若々しくて撓やかで。世の中の不正や矛盾に納得しない考え方は大切だし、人間として良いと本当に思う。
A woman who spreads her arms by Pezibear [CC0], via Pixabay
もはや貴乃花親方のツイートへ喜ばしく反応した若者は素晴らしいと明らかに見直すかぎりだ
僕自身も自信を深める、作家活動に。日本的な潔さが注目するべきテーマだとブログでは「常識破りの正義感」として厳密に取り上げたけれどもTwitterで軽く触れながら皆も同じだと分かった。衝撃は殊更と大きい。
立憲民主党の枝野幸男の根性に感動した。合流するつもりの希望の党に排除された理由は憲法改正を拒んだだけだったのではないか。だから立憲と外側で新しく思い付いたみたいにも感じる。民主主義を守る気持ちがとても強いんだ。
結城永人 via Twitter
他にも立憲民主党の枝野代表のツイートもブログでは「凄まじい根性」と精確に載せたけれども日本的な潔さに関連した内容として貴乃花親方のツイートと同じようにいいねとリツイートが何れも多めだった。
考え返すといつも一人で頑張るしかない状態が寂しかったのではないか。頑張っていると気付かないし、または気付きたくないために頑張っていたはずの寂しい一人が胸に降りかかって来るようだ。どうしよ…

サイト広告で生活費を稼ぎたい気持ちは個人的に神のお告げに他ならなかった

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僕は作家としてプロデビューGoogleアドセンスに承認されて実感した。サイト広告で生活費を稼ぐという考え方がGoogleアドセンスならば収益率が高いから現実味を帯びて来たせいだった。
作家として作品を売って印税を得るという考え方が二十年以上も実現せずにプロになる可能性が全くないところで、神のお告げとも過言ではないくらい喜んだし、自分には相応しいのではないかとサイト広告での収益化の前提条件のサイトのアクセスアップに改めて力強く励むようになった。
実際は物凄く厳しくて不可能に近い
巷で収益率が非常に高いといわれるGoogleアドセンスに承認されても例えば月収十万円に一日五千人くらいの訪問者が必要かも知れなくて一般的なホームページやブログの個人サイトでは先ず以てあり得ない数字が求められてしまうわけなんだ。
ただし神のお告げと認識するほどに背中を押されるようにサイト広告で生活費を稼ぐと心から取り組まずにはいれらなくなる。不思議だけれども途轍もなく素晴らしい力で応援されているから実現できる世界ではないか。

青春期、作家活動を志したのもアンチ・オイディプス(ドゥルーズとガタリ)から感じた白い光のせいだから似ている。今に至るまでの二十年以上の地獄の日々というか、貧乏を強いられるだけの不幸そのものが始まったと振り返ると又危ないし、神のお告げと完全に自覚しての目論みとしては確実に最悪で死ぬしかない流れに人生が本当に入っているのではないかと恐れる他はない。
僕としては命懸けでアクセスアップを選んだ。フランダースの犬のネロのように芸術に死ぬのだけは避けなくてはならないと考えると細心の注意を払いながら取り組まないと想定外に短命に終わり兼ねない。
死んだ後に叫び出す貴方、サイトならば訪問者をどれだけ減らせるかに言動の全ては尽きる、むろんアクセスアップも含めて。インターネットでは交流を持たないと人々に軽視されてしまう現状なのが最も難しいけど、ホームページやブログで言葉を胸に打ち込んで個人的に訴える真実とは何かに目覚めしく気付かせ得るかぎりはアロアとパトラッシュに囲まれて幸せだった生前のネロのように芸術に生きると何もかも夢で終わらせずに済むはずだ。
現今、死に物狂いで頑張るしかないと辛く苦しい毎日ばかり続いているけど、神のお告げならばきっと大丈夫だと信じて突き進むかぎりは生活が希望の光に包まれながら気持ちも…

イチローの作文というプロ野球選手になりたい夢一杯の気持ちを見付けて

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人は夢のために努力を惜しまない。日本で最高の成績を収めながらさらに厳しいアメリカへ渡っても何一つ変わらなかったプロ野球選手のイチローが教えてくれる。どうして頑張るのか。できるからでは決してないんだ。夢追い人は努力において死に物狂いでも食らい付いて諦めない気持ちがいつも大切だと覚えておくと良いと思う。
僕の夢
愛知県西春日井郡とよなり小学校
6年2組 鈴木一朗
僕の夢は、一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校と全国大会に出て、活躍しなければなりません。
活躍できるようになるためには、練習が必要です。
僕は3才の時から練習を始めています。
3才から7才までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは、365日中、360日は激しい練習をやっています。
だから、一週間中で友達と遊べる時間は、5~6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。
そして、中学、高校と活躍して高校を卒業してからプロに入団するつもりです。
そして、その球団は中日ドラゴンズか西武ライオンズです。
ドラフト入団で、契約金は一億円以上が目標です。僕が自信のあるのは、投手か打撃です。
去年の秋、僕たちは全国大会に行きました。
(中略)
そして、僕たちは、一年間負け知らずで野球ができました。
だから、この調子で負け知らずで頑張ります。
そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、
お世話になった人に招待券を配って、応援して貰うのも夢の一つです。
とにかく、一番大きな夢は、プロ野球の選手になることです。
イチロー オリックス・ブルーウェーブ via ベースボールアルバムNo.119
イチローの小学校六年生の作文で、本名の鈴木一朗で僕の夢と題してプロ野球選手になりたい気持ちが書かれている。
詩的にいうと涙の宝石箱として感涙を禁じ得ないし、素晴らしい人生に触れる思いがする。好運に恵まれるばかりだから神を念じるのも吝かではないくらい衝撃的な言葉遣いで仕上げられている。たとえ叶わなくても夢は持つだけでも人に努力を可能にするのが有り難いと良く分かるし、幸せ以外の何物でもない今此処のかけがえのない真実を心から認めるんだ。
プロ野球選手になりたい気持ちが夢一杯に溢れている。僕にとっては身近だったし、ブログで確かな夢の叶え方と載せたけれども小学校から中学校までの間…

睡眠が中心の生活は睡眠負債を抱えない

僕は睡眠時間は成長ホルモンと結び付けて五時間以下では先々も健康寿命が百歳以下ではないかと危惧するけど、ところでNHKスペシャルの睡眠負債が危ないを観たら巷では又別の視点から五時間以下の睡眠時間に警鐘が鳴らされてもいるようで、実に興味深かった。
ところが、1日6時間程度ねむり、自分では睡眠に問題はないと思っている人でも、実はわずかに睡眠が足りておらず、その影響がまるで借金(負債)のように蓄積することがわかってきました。いま睡眠を研究する専門家たちは、この「蓄積する睡眠不足」を「睡眠負債」と名づけ、対策の重要性を指摘しています。睡眠負債がたまっていると、自分では気がつかないうちに仕事や家事のパフォーマンスが落ちてしまったり、命にかかわるような病気のリスクが高まってしまったりする可能性があるというのです。
睡眠負債が危ない via NHKスペシャル
テレビ番組では専門家の一人が五時間以下の睡眠時間になると危険性が遥かに高くて駄目だと強く訴えていた。
僕は自分と意見が重なっているからなぜだろうと殊更に注目した。
健康に必要な睡眠時間が不足しているだけで、人間は調子を落とすわけで、当たり前だけれどもそうした習慣が長引くほどに身体に定着してしまって偶に睡眠時間を増やしてみても簡単には抜け出せなくなる。
睡眠負債で懸念されるのは人間が能力と健康で低下したままの状態を余儀なくされる。前者は脳のごみと呼ばれるアミロイドベータが睡眠中に除去され難くなるらしい。認知症の主要な原因と目されている物質なんだけれどもアミロイドベータが増えると脳の活動が低下する恐れがある。後者は免疫力が衰えるから癌や他の様々な病気を引き起こし兼ねなくて寿命も縮むかも知れない。どちらも厳しくて六時間の睡眠時間から一般的に確認されるので、七時間以上ならば大丈夫と睡眠負債はないと推奨されている。子供はもっと長く必要だし、老人はもう少し短くても構わないみたいなので、年齢によってばら付きがあるとも指摘されていた。
毎日の睡眠時間が六時間でも能力や健康に悪影響を及ぼすというのは恐ろしいと思う。
どうやって確保するのかは生活を立て直すしかない。
専門家の一人がいっていて面白かったのは睡眠を中心にして毎日の時間割を立てる。夜に七時間以上の睡眠時間を真っ先に確保しておいてから日中の予定を初めて付け加えて行くように考える。見方が完全に逆転している…

心の真っ直ぐな人でなければ流産した女性の悲しみを純粋な気持ちのみで知らなかったようだ

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もう変わってしまったけれどもGoogle+の基本情報にかつて「自慢できること」という項目があった。載せるために考え付いたのが「詩が心の真っ直ぐな人から誉められたこと」だった。昔の詩のホームページでの経験で、十年以上前に自作詩へのメールを貰ったのが心に響いたんだ。
直ぐに分からなかった。というか、初めてで驚いたし、ちょっとしたメールから相手の詳しい事情は受け取れなかったというとしっかり分からなくても決して珍しくなかっただろう。
どんな自作詩が誉められたか。ホームページに載せてないけれどもこいのうただった。恋愛での純粋な気持ちが人々に分かり易く仕上げられたから普段よりも引き付けるのではないかと密かに喜んでいた。
たった一言、好きだよと
伝えに向かう。
この想いは終わらないよ
なくさないよ
生きているよ。
走り抜けた
並木道。
穏やかな日差しがこぼれていた、
バス停に立つ君の姿がとても眩しくて
口も重く開かなくなりそうだけど、
勇気を出して告白しよう
またとない
チャンスを信じて。
結城永人のこいのうた
初出とは言葉遣いを幾らか変えて詩の音感が上がった。以前は目に浮かぶ情景から純粋な気持ちがもっと万人向けの仕上がりだったはずなんだ。現在は歌心から詩が好きな人にしか分からないようにに調整してあるので、僕自身も皆を引き付けるかも知れないと密かに喜びもしなくなった。人々には分からなくて良いし、純粋な気持ちなのに誉められなくても仕様がないと納得している。
十年以上前、ある人が初出の分かり易かったこいのうたを気に入ってメールで誉めてくれたわけだけれどもどんな人かまでは知り得なかった。しかし他の人のホームページの掲示板に同名で書き込みが見付かったんだ。本人のホームページのURLも載っていたので、幸いながらどんな人に自作詩が尊ばれたか、こいのうたがなぜ引き付けたかの理由を覚えて将来の詩人生活のために作詩の長所として役立てたいと感じながら見に行った。
当時の思いならば声をかけて詩のホームページの常連になって欲しいというのが最重要だったけれどももう一つは間違いなく将来の詩人生活のためだったし、知らない人にメールでいきなり自作詩を誉められるというのは本当に初めてで驚いたから喜びに勇んでどうなるかと掲示板に残されたホームページへのリンクを押した。
すると最初は何のホームページか、一瞬、分からなくて戸惑ったけれども…

ドアーズのLight My Fireはサイケデリックに情熱そのもので

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ドアーズの記事を前のブログから載せ直すために久々に読み返しながら良いと感じた。
The Doors - Light My Fire via TheDoorsVEVO
色んな曲を聴いてみたいとYouTubeで探すと新しく配信されていてLight My Fire(ハートに火をつけて)が気になった。
ドアーズの代表曲の一つで、他の歌手にも数多くカバーされる世界の名曲というか、皆の懐かしいメロディーにもなっている。
しかし驚くのは合っている、今の自分に。ドアーズのLight My Fireは1967年の発表だけれども物凄く新しいし、面白いのではないか。イメージも本当に格好良いと思う。
ブログの訪問者が一日百人を越え出して生活感がガラリと変わったのは間違いない。綺麗なお姉さんではないにせよ、計らずも共通点を探りたくなってしまう、ドアーズと。人生の期待値が非常に上がって拝むべき富士山の天辺にいるみたいな心境だから以前とは打って変わって自分らしさが研ぎ澄まされたためではないか。
Light My Fireは一人の人間が自分自身の全てに燃え盛っている感じなので、サイケデリックなイメージが湧いて来て如何にもドアーズのロックに相応しいと納得するし、代表曲としか呼べないわけだけど、改めて気になったとすればそうした情熱そのものの生き方が今の自分にピッタリなんだろう。
可笑しいのは却って分かり難い、完全に燃え上がってみると自分からは。さながら赤い風に包まれていて火に焼かれた気持ちが当たり前になってしまうせいだ。空気が弾けているといっても良い。
嬉しいのは人生で努力する思いが自然に味わわれる。死に物狂いで頑張りたいと口に出すほどに疲れるし、実際に物事に励むのは大変だけれども以前よりも苦にならずに済んでいる。
情熱そのものの生き方が自分らしさに本格的に結び付くとほんの僅かな疑いも抱かない。どうせ駄目だとかやっても無駄だなんて絶望しないと助かる。願いが夢に向けて真実に得られなければ難しいはずだった。人生で目標を実現する可能性が高まると良いわけだけれども気持ちに自信が漲るまでは迷いが付いて回るようで、危うい。
ドアーズのLight My Fireで自分らしさを加速させたい。いうと魂の応援歌なんだ。聴きながら思いを羽搏かせよう。生活が苦しいほどに大切なのは他の何物でもなく、意欲だ。全ての力を振り絞ってこそ悔いの残らない…

北川景子のInstagramが偽物で削除されて

ブログを移転していてDAIGOと北川景子の結婚式の記事を改めてチェックしたら異変に気付いた。写真が表示されなかったという。北川景子のInstagramから埋め込んでいたから咄嗟にリンク先を見に行ってみると削除されていた。調べるとアカウントが偽物だったらしい。北川景子はブログしかやってなかったんだ。
参った。写真に合わせて文章を載せたから完全にバランスが崩れてしまった。試行錯誤の結果、写真の代わりに描写を「白いタキシードと白いウェディングドレス」と言葉で載せたらイメージが逆に良くなったので、笑ってしまったよ、本当に。
諸々の部分がブログの記事の全体に合っているかどうかかが問われるし、完成度に響く。狂いないほどに作品として魅力的に仕上げられそうだ。自己表現の本質からは間違いない。皆にもきっと分かり得る。
なので気付いた、自信を持つべきだと、つまり作家・詩人として。
サイトのアクセスアップに写真や動画を載せると有利だと巷で聞かれるけれども文章だけで十分にカバーできるような実力を備えているのではないか。二十年以上も文章へ取り組んでいれば誰だって描写くらい上達するに違いないだろう。文章だけならば表示速度も下がらなくて嬉しいし、とにかく合わない写真や動画を無理に載せるよりは良いに決まっているんだ。
DAIGOさん(@daigo_breakerz_)がシェアした投稿 - 6月 8, 2016 at 5:19午前 PDT
DAIGOInstagramは本物だ。僕も警戒しているし、公式サイトにリンクが貼ってあるかどうかで判断しなくては行けない。ソーシャルメディアをやっていれば大体は相互リンクで見付かるんだ。DAIGOのInstagramはDAIGOのホームページにリンクが貼られたTwitterの「とうとう我慢出来なくて、インスタはじめました!笑」にリンク付きで紹介されていたから大丈夫だ。
大元の公式サイトが本物かどうかはホームページでもソーシャルメディアでもコンテンツで判断するしかないだろう。本人に相応しい自己表現が取られているか。すると相互リンクされた他のサイトのコンテンツも参考になる。インターネットで信用性を高めるためには公式サイトとしてホームページやソーシャルメディアは多めにやるべきというか、忙しいほどに大変ながら苦労しても決して損はしないと僕は思うよ、人々へ向けて。
北川景子については…

明るい気持ちのシンパシーで誰も遠ざけるな

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昔のホームページ、作詩の公園はとても盛り上っていたので、アクセスは最高で一日三百人近くまで得られた、止めてから何とか越えたいと願いながらどうにも手が届かないでいる。
運営スタイルが今とは、全然、違っていて掲示板を主体にして僕と訪問者がコミュニケーションを取りながら周りの他の人たちも巻き込んで行くというアクセスアップの王道を只管に進み続けていた。
しかし越えられないままの一発屋で終わりたくないと強く感じる。
自分のコンテンツをGoogle検索に引っかけてアクセスアップを新しく図るけれども考えると気持ちが非常に大事で、昔のホームページと些かも変えてはならないようなんだ。
夢見て本当に頑張っていた。色んな人に来て貰いたいと信じ込んで全てに純粋に取り組んでいたからこそ訪問者が寄り付き易くて常連も増えたのではないか。
僕が管理人として少しでも上手く行かないとか駄目だなんて先行きへ疑いを抱いていたらやって来た皆も興味や関心の熱気が冷めてしまって白けながら詰まらないと思われ兼ねなかったはずだ。
だから、もう一度、気持ちから根本的に出直すべきだ。作詩の公園は初めてのホームページで右も左も分からないように皆にがむしゃらに声をかけて何人か来てくれて喜んでいる間に掲示板の投稿詩の企画に参加してくれた感謝に代えて個別に感想を付けると良いとアイデアが浮かんで実行に移してから爆発的にヒットした。アクセスが急上昇しながらサイト運営は望み通りの軌道に完全に乗ったのは間違いなかった。

ビギナーズラックと呼んでも良いかも知れない。失敗するとは、毛頭、思わなかった。声をかけた人に無視されたり、もっともっと盛り上がって欲しかったりすると悲しかったのは確かだけれどもそこで何もかも悔やむよりも先行きこそ見据えていた、真っ先に。さもなけばとてもどころか、本当に大して盛り上がりさえもしなかったはずだと考えられる。
作詩の公園が成功したから自分にはサイト運営の才能があってサイト広告で生活費を稼ぐことも無理ではないと夢見る。
一日三百人ならば日給数百円くらいにはなる、アドセンスのサイト広告で悪くても。
無料サーバーの制限でGoogle検索に引っかかるようなサイト作成は殆どできなかったので、もしも検索エンジンから人がちゃんと来ていれば一日千人は越えていたかも知れない。日給千円も軽く得られるはずのアクセスだったと見積もられてしまう。
振り返…

人生は健康ならば大事なのは気力だ

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ブログのアクセスが少ないと馬鹿らしくて一生懸命に頑張って記事を仕上げる気力を失う。どこかで聞いたことのある感じがしてまるで職場での人間関係への不平不満みたいだ。
同僚の誰かに妨害されて思うままに働けないわけだけれども僕は一人でやっているから職場での人間関係に例えられるなんて不思議だろう。訪問者は同僚ではない。なぜ虚しいのか。死に物狂いでブログの記事に取り組んで何の成果も上げられないせいだと思う。残されるのは疲ればかりでは生活を持もち堪えられ難い。
Google検索でのサイト評価が遅々と上がらない。Bloggerで新しくブログを開設したばかりだけれども大丈夫かどうかが本当に気がかりだし、心配だし、不安だ。早くても三ヵ月くらい待って動向を判断するべきといわれる。
他ではブログを開設して数週間で数万のページビューを得ているブロガーもいるらしくてGoogle検索からでもそうみたいなので、自分は間違っているのではないか、検索エンジンに引っかからないアクセスアップに繋がらない記事ばかりをブログに載せて無駄骨を折っているに過ぎないと考えてしまわざるを得ない。
まさかだけれども問われているようだ、アクセスアップにも自分らしさが。
人それぞれのアクセスアップならばブログの成長もてんでんばらばらが自然としか呼べない。早熟ならば直ぐに満足できるし、晩成ならばそうしたわけには行かなくて悲しいけれども結果は最終的には同じだけ得られると考えると少しでも早く目的を果たせるように努めれば良い。
気力も保てるのではないか。自然が一番なんだ。アクセスアップにかぎらず、きっと苦労の絶えない人生には自信が欠けているに違いないと思う。物事が捗らなくて遠退くばかりの夢に挫折感が嵩んでしまうならば削られる他のない気力だろう。
新しく進もう、我が道を自然に。誰も来ないに等しくて無駄骨ばかりのブログにせよ、健康で体力があれば本当に続けられるかどうかは気力こそ全てに違いない。自分らしくも頑張るんだ、そして。
ブログが楽しいのは記事を書き残すためだし、訪問者が多いか少ないかではあり得ない。自信を損うな。Google検索も徹底的に研究してアクセスアップの目的は果たせると踏んでこそ見定めた夢ではないか。へこたれてはならない、掴まないうちに。
つまり喜びへの可能性をみすみす捨て去るような真似だけはしたくなかったわけで、何一つやり残さないため…

オーラに磨きをかけるためには細やかな幸せからしっかり生きなくてはならない

少しだけ良いことがあって日頃の行いのせいではないかと感じた。
オーラが大事で、人としての雰囲気というか、周りからの待遇が変わって来るように考えてはいるけど、しかしながら実際に幸せを掴めるかどうかまでは定かではなかった。
驚かされたよ、良いことが少しだけでもあるなんて日常生活において。
次に繋げて行きたい。細やかな幸せを尊んでいれば自分自身でオーラに磨きがかからないともかぎらない。すると別の細やかな幸せをさらに呼び込めそうだし、雪だるま式にどんどん膨れ上がって行けば死にたいとも思わなくなるかも知れないから有り難い。
僕がオーラを初めて知ったのは素晴らしい人の青だった
今頃、どうしているか。青春期の大きな思い出の一つだった。仲良くなりたいと感じて本当に受け入れてくれた。細やかな幸せそのものだった、振り返ってみれば。
人生に活かさないと勿体ない。人間関係への自信が得られた。仲良くして貰えるはずの世の中だから一人で終わる必要はないんだ、気落ちしながら……。
きっと誰かが助けてくれる世の中ではないかしら。素晴らしい人と出会えたかぎり、悲しみが全てではないと思って良いことだけは確かだった。

アクセスの伸び率が気になるブログに

昨日はブログのアクセスが午前中は酷かったけれども午後からは良い感じで伸びて二十人近くに達した。
そして今日は朝から普通だったけれども夕方までには早くも二十人近くに達したので、良かったと確かに思った。
今月は一日に二十人を目指したい気持ちでやっているから二日連続で納得できている。
明日はどうかな。どんどん訪問者が増えて欲しい。決まり切った願いだ。
ある程度の手応えが掴めた昨今とすればアクセスの伸び率が気になって来る。一ヵ月で一日が五人の割合で増えたならば今度は一日が十人の割合で増えないと上向きでもブログの成長のペースが変わらない。
なので今月は二十人ではなくて本音は二十五人を越えたい。九月に入って数日で何れも二十人ですらも厳しいから難しい、伸び率まで期待するのは。
ただしアクセスの伸び率が上がらないと先々は苦しまされるばかりだろう。少しずつで何年も引き延ばされてはブログの記事を増しても恐らく頂けない。夢は萎むし、希望は萎える。生活そのものが現実の悲しみの絶望的に広がった穴に吸い込まれてしまいそうだ……。
ブログを虚しい努力で終わらせたくはないので、Google検索も研究するかぎりはやはりしっかり結果を出してアクセスのための幾つかの記事を纏めて自信を持って出せるようにしなくては行けない。

才能は花開く~楽しさを味わいながら自分らしく生きるために~

知り合いで、この人が作家になればとかサイトを運営すればなんて思わされることがある。人柄に優れているので、さぞかし良い感じでやれるのではないだろうか。有望株に見えるだけにやらないでいるのは非常に勿体ない。

僕が声をかければ振り向いてくれるのかしら。貴方へそうせずに一人で重々しく溜め息を吐くような場面などではなかったとしたら笑うしかなさそうだ。
世の中に何等かの才能が埋もれていて、そのまま、終わる。とするや凄く考えてしまう。埋もれるために才能があるなんて死ぬために生まれて来たみたいで、とても悲しい。
能力や才能はそれを認め活用してくれる能力や才能がなければ成り立たない。
池田満寿夫の名言格言 via 名言DB
人は様々な可能性を持って生まれて来た。しかし生い立ちによって才能も変わるんだ。一言では出会いだ。出会いこそ才能を印付ける。
ところが誰かによって才能は必ずしも芽生えない。本人が嫌がってやらない。別の誰かによれば同じことでも嫌がらずにやるかも知れないし、正しく一筋縄では括れないと思う。
本人の自覚が最も重要だろう。だから気付く才能が第一条件だ。本人が気付かないと周りが何を薦めようと寄せ付けない。しかし本人の自覚が最も重要なのはそれだけではないと感じる。意欲によってこそ才能は花開く。自分にはこれが向いているんだという面とこれをやり続けるんだという面の二つの気付きがなくては将来性までは見えて来ない。
社会の編み目に組み込まれながら人は存在している。僕には何でも才能だと考えられてならない。日常の些細な出来事の一つ一つが個人的な気付き、または趣味嗜好や好き嫌いといっても良い、そうした能力から選り選られて実行されているわけなんだ。
生活上、歯磨きや読書など訓練というか、取り立てて奮起しなくても直ぐにできてしまう物事にも本当は能力や才能が深く関わっている。重態、忙殺、監禁、死滅、このような不幸を避けられるかどうかも一定の自然的な要因(どうにもならなさ)を除外すれば大いにあり得るだろう。
健康一つ取っても気付いてやるか、やらないかで結果は同じとはかぎらない。只、訝しいのは才能があって間違える場合なんだ。散々、健康を考えておいて病気に倒れしまうとしたら能力や才能もなかったことになるのかどうか。頑張っても無駄では最初から求めても仕様がない。しかし間違えて結果的に失敗したところから再起したい、もう一度、…