人生は健康ならば大事なのは気力だ 結城永人 - 2017年1月8日 (日) ブログのアクセスが少ないと馬鹿らしくて一生懸命に頑張って記事を仕上げる気力を失う。どこかで聞いたことのある感じがしてまるで職場での人間関係への不平不満みたいだ。 同僚の誰かに妨害されて思うままに働けないわけだけれども僕は一人でやっているから職場での人間関係に例えられるなんて不思議だろう。訪問者は同僚ではない。なぜ虚しいのか。死に物狂いでブログの記事に取り組んで何の成果も上げられないせいだと思う。残されるのは疲ればかりでは生活を持もち堪えられ難い。 Google検索でのサイト評価が遅々と上がらない。Bloggerで新しくブログを開設したばかりだけれども大丈夫かどうかが本当に気がかりだし、心配だし、不安だ。早くても三ヵ月くらい待って動向を判断するべきといわれる。 他ではブログを開設して数週間で数万のページビューを得ているブロガーもいるらしくてGoogle検索からでもそうみたいなので、自分は間違っているのではないか、検索エンジンに引っかからないアクセスアップに繋がらない記事ばかりをブログに載せて無駄骨を折っているに過ぎないと考えてしまわざるを得ない。 まさかだけれども問われているようだ、アクセスアップにも自分らしさが 人それぞれのアクセスアップならばブログの成長もてんでんばらばらが自然としか呼べない。早熟ならば直ぐに満足できるし、晩成ならばそうしたわけには行かなくて悲しいけれども結果は最終的には同じだけ得られると考えると少しでも早く目的を果たせるように努めれば良い。 気力も保てるのではないか。自然が一番なんだ。アクセスアップにかぎらず、きっと苦労の絶えない人生には自信が欠けているに違いないと思う。物事が捗らなくて遠退くばかりの夢に挫折感が嵩んでしまうならば削られる他のない気力だろう。 新しく進もう、我が道を自然に。誰も来ないに等しくて無駄骨ばかりのブログにせよ、健康で体力があれば本当に続けられるかどうかは気力こそ全てに違いない。自分らしくも頑張るんだ、そして。 ブログが楽しいのは記事を書き残すためだし、訪問者が多いか少ないかではあり得ない。自信を損うな。Google検索も徹底的に研究してアクセスアップの目的は果たせると踏んでこそ見定めた夢ではないか。へこたれてはならない、掴まないうちに。 つまり喜びへの可能性をみすみす捨て去るような真似だけはしたくなかったわけで、何一つやり残さないために頑張るべきなんだ、人生は健康ならば大事なのは気力で。 ブログのアクセスアップに勤しむ。自分一人では本当にどうにもならない。全ては訪問者がいるかいなかで決められる。ブログが好まれるかどうか、手の届かない思いに委ねられるしかない。負けては駄目だし、諦めても無理だ、ブロガーとして。 自分を信じて気力を漲らせながら張り切れば良い。叶わなくても夢は夢のまま、空に軽やかに飛んで行く色鮮やかな風船のようにまるで美しい。見定めるにかぎる、情けない人生に掻き乱してしまうよりは。魅せられながら物事に励むほどの幸せは他にないはずだし、ブログの記事にも取り組んで申し分ないと認める。 コメント 新しい投稿 前の投稿
コメント