日本人の知性と思考の方法論的な哲学

お笑いの有吉弘行が哲学について本を出していると知った。毒舌訳 哲学者の言葉という題名で、数多の哲学者たちの言葉を題材にして自説を述べている。インターネットで偶々だったけれども紹介しているサイトを見かけたから気になって訪れてみたんだ。


哲学とは…変わり者の人が適当に言ったことをなんとか普通の人たちが解釈してあげて無理やり「わかるわかる」と納得してあげているもの


有吉弘行の毒舌訳 哲学者の言葉

心外というか、哲学は本質的に思考だから、表現上、間違っていると項垂れるしかない。しかし目を背けてはならないはずだ。お笑いとして許される気持ちを棚上げとすれば真面目に日本を過ごし易く変えるためには現時点で知性改善論のような思考が人々に求め叫ばれているのではないか。まさか興味深い世相が露呈し捲っている。有吉弘行で示し出されたというのは本当に物凄く面白いし、僕は思考が超大好きなんだ、お化けなんて呼ばせない。


笑いたい人は笑って、それが一つの狙いならば余談だけど、大きな息を吸うように。


ぷよぷよでもないにせよ、こんがらがった頭が哲学だと感じる日本人が多いとすれば有吉弘行の言葉遣いは取り立てて珍しくはない。だから哲学者を「変わり者の人」と捉えているわけだろう。思考そのものは外れてない――疑ってかかるだけでも脳味噌を置き去りにされ兼ねなくて危なさそうだ――から有吉弘行こそ哲学者と見えなくはないし、お笑いにしておくのも勿体ないくらい知性が巧みに働いているんだ。


泣きたい人は泣いて、それが一つの習いならば余談だけど、大きな空を仰ぐように。


スカウトはしない、有吉弘行を哲学者へ。白い布切れを一枚だけ羽織いながら古代ギリシャよりも現代アメリカのまるで自由の女神のように思慮深く立ち尽くしていた。どんなに可笑しくても僕はプロデュースするつもりはない。有吉弘行のイメージがお笑いから哲学者へと変貌を遂げる間際に心を素晴らしく擽られるのはなぜか。天使よ。腹を抱えるのは僕だけではないはずだ。きっと人々も感じているに違いない、思考から引き起こされる苦悩という頭がこんがらがってしまう気持ちは現世で未だ経験されない死ほどにも想像上の可能性でしかなかったと。


悲しい人は尊んで、それが一つの憧れならば本題だけど、美しい風を纏うように。


問おう。なぜ有吉弘行こそ哲学者なのか。知性が働いて思考を纏めたかぎりだけれども方法だけで人は誰も哲学者にはなり得ない。ソクラテスの弟子たちが問答法を真似して人々に恥をかかせた結果が師匠のソクラテスへの死刑宣告を招いた理由(若者が巫山戯た教育上の責任)ならばおよそ方法は無闇矢鱈では社会的に容認されないのも明らかだろう。実際に苦悩を味わって頭がこんがらがってしまうのは耐え難いと個人的に気付いてしまったのではなかったか。経験なしに思考が波及するように深過ぎる余りの哲学者から末恐ろしいと感じ取られるだけの場合もないわけではないにせよ、有吉弘行にはぴったりの要件を挙げることはさほど難しくはないんだ。


喜ばしい人は悟って、それが一つの情けならば本題だけど、麗しい道を歩くように。


かつて有吉弘行は進め!電波少年というテレビ番組で猿岩石というコンビで歌を出して国民的な人気を博した。暫くして沈没してしまった。振り返ればまるで絵に描いたような一発屋だったはずだけれども毒舌のキャラクターで芸能界へと復帰した。最近の若者は毒舌のキャラクターしか知らないかも知れない。元々の有吉弘行は本当に生真面目な好青年だった。僕は驚いたにせよ、考えるべきはとにかく人生の紆余曲折という経緯の内訳なんだ、哲学者として。有吉弘行は頭を抱えるように取り消された国民的な人気へ只一人で藻掻き苦しんでいたのではないか。誰よりも厳しい世界を生き抜いて来られたし、頭がこんがらがってしまうほどの苦悩を思考と共に経験しなかったとはかぎらない。哲学者は「変わり者の人」と呼ばれるのはなぜかも本人から強いて聞かずに分かってしまうし、猿岩石で持ち上げられて社会的に振り落とされた事例によって有吉弘行だと思う。人々から放り出されるような状態を痛ましく叩き込まれた胸のうちを吐露しているのではないか。だから目を背けざるを得ないという気持ちも僕よりかは遥かに相応しいだろう。


終えたい人は終えて、それが一つの教えならば脱線だけど、新しい花を探すように。


有吉弘行こそ哲学者だとすると哲学は苦悩だし、頭がこんがらがって概念も「適当」だと見做されてしまう。確かに「解釈して」や「納得して」と同時に「あげて」の人間関係は日本人のおもてなしの精神/思い遣りの国柄が奥床しく表現されていて微笑ましいかぎりにせよ、まさか「普通の人たち」が「変わり者の人」へ本音で面倒臭がっているようでもない、さもなければ「普通の人たち」の「なんとか」とか「無理やり」なんて煩悶も引っ括めて思考はどうなるのか。今此処で真っ先に要求されるのは有吉弘行の哲学観への批判的な検討が全ての命題に他ならないはずだ。


始めたい人は始めて、それが一つの誘いならば脱線だけど、新しい朝を迎えるように。


知性が巧みに働いて苦悩から逃れたところまでは良い。人間として可哀想だし、必死に思考し続けても上手く行かない世界だろう。頭がこんがらがってしまうならば直ぐに引き返すべきだ。


雲間に煌めき

ただし思考は最初から苦悩のために発動されたかどうかを合点しなくてはならない。有吉弘行の哲学観は知性によって思考を包み隠しているから突き破って真実を太陽へ掲げたいと実感させるのも無理はない。ある意味、気遣い過ぎているし、とても心配しているせいだ、苦悩そのものを。人間として落ち度はない。有吉弘行は立派な性格だし、道に迷った子供に手を添えながら家にちゃんと送り届けたように人々にも心から賢いと評価されるはずだ。


弾けたい人は弾けて、それが一つの誉めならば結論だけど、嬉しい夢を覚えるように。


今正に太陽の元で見詰め直してみると思考は問題を解決するために発動されたと分かる。頭がこんがらがってしまうのは知性が働きを止めた(神経からは休んだ)せいだろう。問題を解決するだけの能力がなかったわけなので、精神上、多少ともぼやきながらにせよ、生じて来た苦悩へは引き返すように向きを変えて行く。だから思考は不味いと決め込まざるを得ないとすれば原因と結果の認識は整序されないまま、知覚される対象のみが正しいばかりではないか、方法において。


抜けたい人は抜けて、それが一つの閃きならば結論だけど、嬉しい扉を開くように。


思考によって頭がこんがらがってしまうから苦悩の引き金にはなっているものの引き金を実際に引かなかったのは知性だからといって物事の因果関係を総じて纏め上げるには得てして至らないし、知性から思考について新しいスタイルが生み出されても歴史の流れは変わらないかぎり、古いスタイルと打つかるならば端的に思考そのものは問題を解決するための方法を目指していると概念化するように明らかに認識すると苦悩以外の様々な方面でも役立てられながら物事の見方としては人間だけではなくて世界へ幅広く客観的に発動されるようにもなって来るのだった。

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