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アインシュタインはスピノザ主義者だから反核の物理学者として誠実そのものだ

人類が核兵器を作り出すのに成功したのは物理学の特殊相対性理論に基づくらしい。すなわち「E=mc2」(エネルギー=質量×光速×光速)の公式に沿ってしか誰も考え付かなかった可能性が高い。



物理学の特殊相対性理論は一般相対性理論と共にアインシュタインの偉大な業績の一つに数えられる。現代人の生活を支える様々な機械の多くはアインシュタインの発見した自然界の認識に由来するようにも聞かれるし、高度な数式などは僕にはちんぷんかんぷんにせよ、とても凄い人だと賛嘆せざるを得ない。


しかしアインシュタインは核兵器について心を痛めていた。自分が物理学が好きで一生懸命に勉強してついに掴み取って皆に教えた特殊相対性理論が夥しい人殺しに使われるとは寝耳に水の悲しみというか、当初から全く望んではいなかったためなんだ。


第二次世界大戦でアメリカがルーズベルト大統領マンハッタン計画で世界中の有力な科学者に声をかけて何人も集めながら原子爆弾の開発を果敢に始めたけれどもアインシュタインは最初の切欠に不本意ながら関与していたとされる。


ドイツのヒトラー総統がヨーロッパでユダヤ人を迫害して実際に殺し捲っていたので、ユダヤ人の科学者たちが何とかしようと敵対するアメリカに原子爆弾を早く実現して叩き潰すように薦めたんだ。事前に物質の核連鎖反応が強大な爆発力を持つから大変な武器になると教えるためにアインシュタインにそうした手紙への署名を頼んでいたとされる。アイデアが特殊相対性理論から引き出されるとかノーベル賞を取っていて地位や名声が高かったなんて事情からルーズベルト大統領を十分に説得できるとユダヤ人の科学者たちが考えたせいかも知れない。


アインシュタインにとっては詳しく知られないままにアメリカのマンハッタン計画の立ち上げに加担する格好になってしまっていた。


改めて原子爆弾の開発を一緒に進めて欲しいと声をかけられたものの参加しなかったといわれているので、本当にやらかしたと不本意な人生に悔やんでいたのではないかと想像される。


アインシュタインもユダヤ人だからドイツのユダヤ人の大量殺戮に対抗しなくてはならないと感じたかも知れないし、止めたい気持ちは流石に山々だったとしても世界の平和のために核兵器を作り出しながらどこかに投下しようとも決してしなかったんだ。


物理学とは何か。世界の真理を追及する気持ちが倫理的に伝わって来る。近年では核兵器だけではなくて動物実験や環境破壊などの不要な科学が問題視されるけれどもアインシュタインのマンハッタン計画への拒絶は象徴的だろう。物理学者が倫理的でなけれは物理学に未来はないし、諸々の科学文明の中で人類も終わりなんだと主張されているように受け留めるのは難しくない。


ただし良く分からない部分も多い。アインシュタインが反核の物理学者だったのは間違いないと思うけれども他の面で必ずしも当て填まるかどうかは怪しい。すると考え方が世界の平和のために象徴的とまでは断定できないはずだ。命の尊さを重視していたから科学を倫理的に批判する姿勢もあって然るべきだと概して夢想するかぎりでしかなかった。


新しく知って驚いたのがスピノザ主義者としてのアインシュタインの哲学という世界の平和に誠実そのものの本心の感動的な思考だった


私はスピノザの神を信じる。それ自体が世界の法則的な調和を写し出すんだ。それ自体が人類の運命と活動に関与する神は信じない。



素晴らしいと心から透き通った涙が溢れる。個人的にどうかとアインシュタインは真実に誠実な物理学者なのに世界の平和と妥当な認識で象徴的に結び付けるのは無理みたいに全く悩んでなかったわけではない。倫理性のあらゆる面では認め切れない悔しさを計らずも抱えていた。


まさか大丈夫で、しかもスピノザ主義者という僕と共通する思想的な立場から来ていたからビックリした。本当に嬉しいとしかいいようがないし、アインシュタインは物理学への極めて画期的な功績を踏まえれば人間としても飛んでもない逸材だったんだろう。


アインシュタインの言葉からすると流石というか、頭はずば抜けて良いはずだけれども概念に途方もなく満ち溢れたスピノザの認識でもちゃんとやっぱり理解できているようだ。


所謂、汎神論(神即自然)の実効性を掴み切っているのは否定できない。


スピノザもユダヤ人だったから民族が重なるけれどもアインシュタインは正しく神は人間の願いを聞き入れずに自立的に存在するというスピノザ主義に特有の決定論が分かっている。


東洋人には仏教に似ていて違和感が少ないかも知れないけど、ところが西洋人には理解できなくて分けても反キリスト教として弾圧される場合が多かった、歴史的に。



生前、スピノザは母国のオランダで過ごしていたけれども著作が危険視されるから出版できないとかなんて迫害されもした。そして亡くなった後でも多くの人たちから愚かしい哲学者として何百年にもわたって見下され続けるくらい根深く嫌われ捲っていたんだ。


スピノザの決定論が非難されるのは神に祈っても無駄だと感じさせるかぎりで――気持ちからは無神論者として受け取られずにいない――つまりは言葉遣いがキリストの救世主としての信者への信仰上の実際的な価値を切り下げている結果だったと思う。


現代では滅多にないかも知れないし、西洋人にとっても例えばドゥルーズのように優秀で高名な哲学者が方法論的に重要視したりしてキリスト教と切り放して反対に見上げられるのが普通になって来た。


哲学として難題なのは世界がどのように働いているかのスピノザの実体論(神即自然とすると両者を結び付ける「即」とは何か)だけれども面白いのはアインシュタインは然して注目せずに如何にも物理学者らしい気持ちを示しているところだ。


僕がスピノザを敬愛して止まないのは何よりも代表作のエチカに示された実体論が興味深いためだし、存在する神を自然の能力だけで完全に信じること、または無限の属性によって永遠に展開される事物の本質的な認識の甚だしい素晴らしさを抜きにしてはあり得ない。


生命の流れというか、芸術においてはベーコンがゴッホに見出だした幽霊のイメージに近いとも感じるけど、とにかく実在の彼方みたいな気持ちの自由さが思考ではスピノザの方法論でしか本格的に味わえないんだ。


ところがアインシュタインはスピノザならではの実在主義的な思考(疑われる神はいないとした観念論者の極致)に由来する汎神論の正確無比な知覚に胸打たれていたんだろう。


物理学ではハイゼンベルク不確定性原理に代表される量子力学の予測不可能な世界について全く以て不信感を抱いていたようだ。


現代ではアインシュタインの相対性理論に代表される古典力学と量子力学が両方とも妥当な認識として扱われているけど、しかしかつては対立していて量子の粒子と波動の二重性を発端にしてどちらが本当なのかと多くの物理学者で論争が絶えなかったらしい。


アインシュタインは自然界は何もかも予測可能だと捉えていたし、逸話では「神はサイコロを振らない」(確率的な原因はない)と言明しながら量子力学を頑として受け入れたがらなかった。世界は偶然よりも必然から成り立っていて根本的には何もかも予測可能なはずだし、直ぐに分からなくても自然界は決まり切った形を持っているに違いないと考えようとしていたんだ。


スピノザからヒントを得て「法則的な調和」を捉えるのが哲学的にも好きだったんだろう。


アインシュタインの物理学者としての考え方にマッチしていたし、知れば引き込まれるのも当然だったのではないか。


19世紀末には、すべての物理的現象は、物体の運動を扱う「ニュートン力学」と光(電磁波)を扱う「電磁理論」によって完全に説明できるはずと考えられていました。ところが、力学と電磁理論は互いに矛盾し、両者が調和していないことが問題視され、謎とされていました。アインシュタインはこれを解決して、自然界に統一的な調和をもたらすために相対性理論を作り上げたのです。



元来、アインシュタインの物理学そのものがスピノザ哲学に支えられていたとも分かった、色々と調べてみると。


すれば生き方とも切り放せないはずだし、物理学者としてのみならず、一人の人間としても大きな大きな影響を受けていたと頷かれもする。


個人的に共通する思想的な立場からアインシュタインに改めて愛着が湧くけれどもスピノザ主義者ならば倫理性を持つのはいつでもどこでも欠かせなかったのではないか。


スピノザは基本的に倫理学者だし、人間がどのように幸福な人生を送れるかを考えていた。哲学も「神への知性的な愛」という精神の喜びのためにあるし、日々の生活に役立たない真実は求めなくて民主主義の政治学からは世界の平和を理想的に尊重していた。概して理性の本性から得られる正しい生活規則を何よりも大事にする人だった。


アインシュタインは反核の物理学者で倫理性を手放さないから頭脳明晰なだけではなくて人間性も偉いと感心していたけれどもスピノザ主義者として世界の平和を心から望んでいたせいだとすると誠実そのものの思いを認めながら象徴的だと紛れもなく敬服しないわけには行かない。

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