ジョン・コルトレーンのBakaiとエメット・ティル事件 結城永人 - 2022年10月7日 (金) John Coltrane by Hugo van Gelderen / CC0 ジョン・コルトレーンの最初のリーダーアルバムのColtrane(1957)の一曲目に収録されたBakaiは作曲家したカルヴィン・マッセイがエメット・ティル事件に触発されたといわれる。 エメット・ティル事件の概略 Emmett Till parents at funeral by David Jackson / Public domain 1955年のアメリカで十四歳だった黒人のエメット・ティルが大人の白人のロイ・ブライアントやジョン・ウィリアム・ミランたちに誘拐されて惨殺された。人種差別が常識で、白人による黒人のリンチ殺人などの悲劇が当たり前に繰り返されていた時代の最も象徴的な事件の一つで、徐々に広まりを見せていた黒人の平等と差別撤廃を求める公民権運動を大きく前進させる切欠になったといわれる。 エメット・ティルは黒人差別の少なかった北部のイリノイ州シカゴの住人だったけれども黒人差別が多かった南部のミシシッピー州マネーの親戚の家に遊びに行ったときに死ぬほどの悲劇に見舞われた。母親は事前に「南部では白人の前で黒人がどう振舞わなければならないのかを知らなければならない」と注意して「分かった」と返したエメット・ティルだったけれども差別主義的な白人の怒りに触れてしまうことになつた。 友達同士で飴玉を買いに行った食料品店の店番の白人女性のキャロライン・ブライアントに普通に声をかけたのが運の尽きだった。地元のシカゴでは白人女性の友達がいるとマネーの皆に教えたらキャロライン・ブライアントにも声をかけられるかと嗾けられてやってみせた。詳しい状況は良く分からないけれども口笛を吹いたか執拗に誘ったかキャロライン・ブライアントは店の外の車に拳銃を取りに行くまで慌てふためいたらしい。 後日、夫のロイ・ブライアントが兄弟のジョン・ウィリアム・ミランなどとエメット・ティルを親戚の家から連れ去って拷問による凄惨な暴行の末に銃殺すると遺体を有刺鉄線でぐるぐる巻きにして30kgの綿繰り機を付けて川に投げ捨てた。 母親はエメット・ティルの遺体が見付かると余りにも無残な姿を何ともいえず、人々に公開することにした。そこにマスコミも加わって世界中にアメリカの黒人差別の惨たらしい実態が伝えられた。 参考サイトThe Body Of Emmett Till | 100 Photosエメット・ルイス・ティル Emmett Louis Till白人女性の嘘が14歳少年のリンチ死を招いた Bakaiは怒りを表現した音楽 Bakai (Rudy Van Gelder Remaster)|John Coltrane テナーサックスジョン・コルトレーンバリトンサックス サヒブ・シハブトランペットジョニー・スプローンピアノレッド・ガーランドベースポール・チェンバースドラムアルバート・トゥーティー・ヒース ジョン・コルトレーンのBakaiのタイトルはアラビア語で怒りを意味する。 A面最初の"Bakai"は、太鼓とバリトントのリズムに導かれるように始まるA(12)、A'(12)、B(8)、A(12)の計44小節のちょっと不思議な雰囲気をもった曲である。テーマ吹奏の後、最初ガーランド、続いてコルトレーンが各々2コーラス、最後にバリトンのシハブが1コーラス続く。ライナーノートを眺めると、"Bakai" (which I'm told means "cry" in Arabic), by Cal Massey, opens side one. Its handsome minor theme is expounded by Red Garland, Coltrane (who really cries), and Shihab.と記されている。ライナーではそれ以上言及されていないが、キャル・マッセーが「エメット・ティル殺害事件(1955年、黒人少年がリンチを受けて殺された事件)」に寄せた曲だそうだ。この曲の由来が分かると、その後のコルトレーンのサウンドが一貫して当時のアメリカの公民権運動とダブっていたことが改めて分かった。 ジョン・コルトレーン|50年代ジャズ散歩のページ 聴くと最初と最後のバリトンサックスのリフが物凄く印象的で、慌ただしいような落ち着きなさそうな感じがして怒りを端的に表現しているのかも知れない。 中間のピアノとテナーサックスとバリトンサックスのソロの部分はもう少し安定感があって怒りに震えつつも死者を弔って哀悼を捧げる穏やかさが繰り広げられるとすると本当に自棄にならずに気持ちを保つ絶妙なバランスを受け取る。 ジョン・コルトレーンがメインのサックス奏者としてのデビューアルバムのColtraneの冒頭にBakaiのような最悪の悲しみに立ち向かう曲を置いたのは象徴的で、音楽で何を目指すか、自分はどんな方向性で表現したいかという信念を如実に示しているとも過言ではないたろう。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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