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些細な日常

俳句の規則/字数と季語と切れ字

現代では俳句も他聞に漏らさず、定形詩としての意味合いは薄れているにせよ、只、基本的には幾つかの規則によって表現されると思う。世界で最も短い詩といわれておよそ十七文字で完成するわけだけれども自分でも分かっているようで分かってないのかも知れない。俳句の規則を改めて纏めながらさらに明確化しておきたくなった。今後、実作にも活かせると良い。

字数を十七文字に揃える

俳句は大きく三つの部分に分けられる。上句(かみく)と中句(なかく)と下句(しもく)だ。それぞれが五字、七字、五字と字数制限を持っている。一般的に俳句は五七五と呼ばれる。五七五は原則的な決まりなので、長かったり、短かったりしても構わない。前者は字余り、後者は字足らずとなる。

字数制限は言葉の音で、平仮名での量だけど、結構、分かり難い。例えばキャッチーのような言葉の字数は幾つに換算されるのか。字数で分解するとキャッチーは「キャ」と「ッ」と「チ」と「ー」の四文字になるんだ。促音の{ゃ、ゅ、ょ、ゎ}は元の音と付いて一文字で、拗音の{っ}はそれのみで一文字で、長音の{ー}が一文字と覚えおかなくてはならない。他には撥音の{ん}が一文字なのも特徴的だ。

因みに短歌では五七五七七の三十一文字の制限があるけれども字数を揃える際は同じように捉えて良いだろう。元々、俳句は発句(ほっく)と呼ばれて短歌の上句/五七五と下句/七七を何人かで繰り返して行く連歌(れんが)から来ている。連歌の最初の五七五、すなわちお題を発句という。江戸時代に発句が連歌とは独立して詠まれるようになり、明治時代に連歌とは完全に切り離されて一つの作詩法としての俳句に生まれ変わったらしい。

季語を一つ入れる

俳句には季節/春夏秋冬を表明する言葉があって一般的に歳時記という本に載っている。季語と呼ばれるその言葉を作品に一つ入れる。すると春の句、夏の句、秋の句、冬の句とイメージが鮮明になる。原則的に一つで、イメージがぼやけないためだけど、しかしながら複数の季語によって違う季節を打つけたり、同じ季節を重ねたり、または一つも入れない俳句もあり得る。只、どの言葉がどの季節か、または季語に含まれる対象とは何かを知るには歳時記が本当に欠かせないし、とても役立つだろう。そこから季節の風物詩を新しく見付けてみるというのも面白いと思う。

切れ字で語調を整える

俳句の五七五から季節を如何に詠むかというところで切れ字という手法が使われる。強調や感嘆を「や、こそ、かな」などの助詞によって示す。または名詞を置く/体言止めも一つだ。何れも切れ字らしい切れ字で効果が大きい。五七五の各句の語尾で言葉が跨がってなければ効果が小さくても切れ字にはなり得るので、幾つか織り混ぜたりしながらやって行く。しかし効果の大きな切れ字は季語と等しく多用するとイメージがぼやけるから一つくらいで良さそうだ。切れ字らしい切れ字を使わないとか五七五の各句の途中に入れるなんて場合もないわけではない。作品の雰囲気は変わるだろう。

五月雨をあつめて早し最上川

松尾芭蕉おくのほそ道

素敵な魅力があるのではないかしら。五七五の字数が揃っていて季語が一つ(五月雨:夏)で、切れ字も効果の大きいのが使われているので、俳句の規則に完璧に当て嵌まるし、形式的には申し分がないだろう。しかし内容的にも見事なんだ。上句に季語を入れて「を」でまだ続くように軽く切って中句は「早し」と終止形によって強めに切って下句の「最上川」で情景に焦点を結ぶように大きく切っている。次第に印象が増して来るという感じが川の流れとマッチしているし、季節から生じた現実の重みも犇々と伝わるんだ。気持ちと表現が素晴らしく噛み合ったところが非常に味わい深い。

俳句を詠むには規則に慣れれば言葉もそれだけ巧みに操れるかも知れないし、まるで手足のように意のままにかどうかはともかく、分からないままに苦しんだりはしたくないので、せめて初歩的に躓かない程度には身に付けてしまいたいと思う。

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