徳川家康の忸怩たる思いも良く分かるようで偉く辛い 結城永人 - 2016年9月4日 (日) 朝からブログに誰も来てない。午前中のアクセスが皆無ならば一日で十人も厳しいだろう。二ヵ月前からアクセスが伸び出して一日に五人くらいだったのが十人、十五人と増えたので、今月はできれば二十人を望んでいた。 Google検索では上昇傾向の見られる些細な日常なので、本当に厳しい。偶々、エアポケットの時期で、又直ぐにアクセスも伸び返すと考えられるにせよ、誰も来ないという現状は正しく耐え切れない……。 何とかするためにヘッダーのデザインを昔に戻した。アクセスの少なかった頃に合わせるのは奇妙だけれども人々への受けが今は悪いわけだから良いのではないか。 昔はGoogle検索が不調で誰も来てなかった。今はそれが好調なのにアクセスが気持ち良く伸びてない。折角、誰かが来てもブログの受が悪くて常連になるどころか世の中に広めてさえも貰えないでいるはずではないか。ヘッダーのデザインを途中で変えたのは失敗のように思われる。アクセスを伸ばすための方法だったけど、近頃のブログの成長も現実にはGoogle検索が調子を上げたせいならばそれこそ何の効果もなかったという可能性は否定できない。 誰も来ないブログでは開設当初の一年ちょっと前に逆戻りだし、記事数も全力で五百件を越えて結果がこれでは余りに悔し過ぎるよ、ブロガーとして。努力そのものが水の泡に帰されて行く。一日でも避けられなくては明日への期待感が薄らいでしまう。 胸には徳川家康の顰像こそ偉く辛く思い起こされた Mikatagaharasenekizou by Unknown / Public domain 日本の戦国時代に武田信玄との三方ヶ原での戦に敗れて命からがら逃げ帰った徳川家康の忸怩たる思いが描き出されたとされる掛け軸なんだ。このような失態は二度と繰り返してはならないと自戒を厳しく込めながら選ばれた家来によってか作成されたらしい。後に日本の天下統一を果たして戦国時代に終わりを告げさせた徳川家康の物凄い生き様の核心に触れられるようで、自分に甘くない姿が夢追い人と明らかに重ねられるし、情けないばかりの人生の局面で目にすると肩こそ温かく叩かれでもするような慈しみでさえもが味わわれてしまって著しく有り難いんだ。 僕も徳川家康の物凄い生き様に美しく学びながら誰も来ないブログにたとえ絶望しても息を吹き返せるかぎり、もはや不撓不屈の精神で立ち上がって頑張って行かなくてはならないと決意を新たにしたくなる。 ただし調べていたら徳川家康の顰像は作品名は徳川家康三方ヶ原戦役画像だけれども本当は違うと分かって来た。本当は武田信玄との三方ヶ原での戦は関係なかったと現在ではいわれている。只単にというか、一つの徳川家康の肖像画の掛け軸だったんだ。美しく学んだ割には肩透かしを食らった格好で、ブログに載せるかどうかも迷わされる。 しかし事実は事実として些細な日常に相応しいから敢えて省かなくても良いのではないかしら、肩透かしにせよ。 敗戦での徳川家康の忸怩たる思いはきっと間違いなかったはずだ 自分に甘ければ日本の天下統一も何もなかったと感じる。徳川家康の顰像は徳川家康三方ヶ原戦役画像についての伝承で、人々がそういうふうに受け留めながら広まって僕の耳へも入って来たわけなので、人々の徳川家康への天下取りのイメージが膨らんで作品の意味合いまで変えてしまったところも奥深く引き付けられて興味や関心も芽生えずにいない。 考えれば「世の中は数知れない原因から作動している」といった通り、巫山戯ながら成し遂げられた日本の天下統一だったかも知れないし、僕も馬鹿話だけで所有サイトのアクセスを伸ばせないともかぎらないけど、どちらにしても徳川家康の顰像に込められた人々の願いにおいては頑張れば夢は叶うという世界観に他ならないので、国の時代を変えた人物ならではの気持ちの並々ならない厳しさへの壮大な憧れ(歴史ロマン)も入るにせよ、個人的には良いと思うし、やはり美しく学びながら徳川家康に見習うべきところは随一と見習いつつも最終的には「真面目に生きなくては」という自分らしさの形だけは崩さないように考えなくてはならない。 僕は手相が両手ともシドニー線で徳川家康のますかけ線/天下取りの相と近いので、どうも親近感を覚えてしまう。占いではシドニー線とますかけ線は性格が似ていて基本姿勢は努力家らしい。当たり外れはともかくにせよ、およそ高めたい長所だと感じるし、人間的には挫けない心でどんな逆境でも跳ね返すつもりで勇気を失わずに力強く生きて行くべきだ。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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