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些細な日常

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川端康成がノーベル文学賞の授賞理由に挙げた「怠け」を読み解く

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小説家の 川端康成 は1968年にノーベル賞の文学賞を受賞した。文学賞は日本人で初めてで、その後も今まで 大江健三郎 しか出ていないから数少ない二人うちの一人になっている。ノーベル賞全体でも1949年の 湯川秀樹 (物理学者)と1965年の 朝永振一郎 (物理学者)に次ぐ三人目という最初の頃の快挙だった。 どんな文学賞の授賞も批判精神が問われる 昭和のノーベル賞 川端康成氏の受賞直後の肉声 日本初の文学賞 決定後に三島由紀夫に電話(1968年10月)【映像記録 news archive】 最近でもそうだけれども当時も大変な話題になって国中から注目されることになった。世界最高の文学賞といえるノーベル文学賞を取ることは正しくお祭り騒ぎを招くに等しい出来事なんだ。 以前、取り上げた クロード・シモンのようにノーベル文学賞を取ったからといって人々から作品が理解されるとはかぎらない 。…

鈴蘭の写真と俳句:死んでから有名になっても

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地元の大きな公園で初夏の花々の写真を撮って来たので、その中から 鈴蘭 の写真を俳句付きで掲載する。 公園の小さな山の頂上に展望台があってその近くの脇道のそばに 鈴蘭の集落 がある。 初めて見付けたとき は本当にびっくりして大好きな花だから幸運を感じた。他の場所に全くないから雑草みたいな感じで、偶々、生えているのかも知れない。 鈴蘭の消されもしない奇跡かな 公園の鈴蘭は雑草だとすれば管理者の整備で取り除かれる恐れを免れないので、見られるのは愛するほどに奇跡だといつも感じる。 青春期を過ぎてから作家を志したのは良いけれども全く売れない。自分に近い思考を持つ作家だと特別な親近感を覚える アルチュール・ランボー (詩人)と フランツ・カフカ (小説家)が世界的に有名になって大きく売れたのは死んでからなので、そうした生き方まで近いとしたら困り果てるしかない。 今此処で断言しておきたい。本…

山躑躅の写真と俳句:最後の力を振り絞って生きよ

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地元の大きな公園で初夏の花々の写真を撮って来たので、その中から 山躑躅 の写真を俳句付きで掲載する。 出かけた公園は東京ドーム数個分の広さで、中心の芝生の広場を階段付きの小さな山が半分くらい囲んでいる。小さな山に最も多く生えているのが山躑躅で、今の時期は真っ赤に燃えるような状態で、山火事ではないけど、とにかく衝撃的な印象を与える。 又しても今年最後か山躑躅 何回か見ている山躑躅だけれども花咲く最後の今の燃え上がるような赤に自分の命を重ねる。僕は何といっても 貧困で自殺する可能性が避けられない毎日を強いられている ので、真っ赤に花咲く山躑躅を見るのも今年最後かと思う。 詩人としては 夢と希望を携えて と歌うし、命の本質から永遠に正しいにせよ、実生活は夢も希望もない生きる屍でしかない。良い加減にして欲しいというか、本当にもう一秒でも速く、安やかな死よりも遥かに素晴らしい生…

マツコ・デラックスが純な乙女に変わる佐々木朗希への満足感

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コラムニストの マツコ・デラックス が野球選手の 佐々木朗希 とホテルで偶然に会ったことを話していてどちらも気に入ってブログに取り上げた人だから新しい結び付きが生まれて面白いと思った。 マツコ・デラックスの佐々木朗希との下ネタ抜きの鉢合わせ マツコ・デラックス――でもね、朗希君と会ったときはね、自分を出せなかったわ。 川内天子―朗希さんですか。 マツコ・デラックス――やっぱり何か、何か申し訳ないって思っちゃって。話しかけたんだけど、何か、あの、いつものあたしじゃなかった。下ネタとかもいわなかった。 川内天子―あら。 マツコ・デラックス――うん。こんな下ネタを我慢できる自分がいるんだなっていうのを佐々木朗希君から学んだ。 川内天子―あはぁ、良いことですね。 マツコ・デラックス――あたしにとってのWBCってそれよ。 川内天子―うふは。 マツコ・デラックス――あたし…

尾崎豊が発した嘘偽りない本気の言葉の世界

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尾崎豊 は1983年に十七歳でデビューすると、一躍、大人気となり、特に十代の教祖とか若者のカリスマなんて呼ばれて少年たちから愛されてそれから覚醒剤で逮捕されて世間を騒がせつつも何とか復活したけど、1992年に二十六歳の若さで謎の死を遂げたというロック歌手だ。 当時、日本が物質的な豊かさを追求して経済成長を遂げる一方で、人々の心が荒んで行くような状況があって少年たちの家庭内暴力や校内暴力などの社会問題が出て来て同世代の代弁者として最も注目される存在が尾崎豊だった。 考えると昨今も大差ない日本で、世の中は反対に不況そのものでも物質的な豊かさを追求する現実が変わらない、またはもっと増しているせいか、いじめや虐待やハラスメントなどのさらに酷い社会問題が多く出て来て人々の心は荒み捲っているといわざるを得ない。 悲しみはもはや当たり前過ぎて気付かないくらいかも知れない…

可愛い動物を本当に忘れ難く感じる動画

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ジョナ・ジントンの氷風呂の衝撃という芸術と人生の貴重な真実

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スウェーデンの雪深い山野に暮らす芸術家の ジョナ・ジントン は作り出す絵も音楽も写真もファッションも自然体の魅力に溢れた静謐な世界観が素晴らしく美しいと感心するけれども見付けた氷風呂の動画のやはり静まり返った雪国の朝のとても快適な様子には心底と衝撃を受けずにいなかった。 The Nordic Morning Routine - Ice bath|Jonna Jinton 朝の習慣として行われるらしいので、毎日の日課に他ならない。雪の氷原に開いた四角い穴から今にも凍り付きそうな冷え切り捲った水に足先から浸かり、頭上まで潜って喜んでいる。信じられないと驚かざるを得ない。観るや否や途轍もない寒気が伝わって来るびかりで、後から焚き火に当たられても振り払うのは容易ではなかった。 苦悩の果てに掴まれ得る希望の光 ジョナ・ジントンの氷風呂に真っ先に好感を抱いたのは人間の悲し…

サヘル・ローズの孤児と虐待とホームレスといじめを潜り抜けた生い立ちの奇跡

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テレビで見かけてイラン出身の芸能人で日本で活躍するのは珍しいと思っていた サヘル・ローズ の生い立ちがドキュメンタリーの砂浜に咲く薔薇(ばら)のように(こころの時代~宗教・人生~)を観た。 サヘル・ローズとフローラ・ジャスミン| サヘルローズ 今の煌びやかな姿からは想像し難いほどの過酷な経験を強いられていたと知って非常に驚かされた。 イランで戦争孤児となったサヘル・ローズさんは、養母と救いを求めて来日後も、壮絶ないじめやホームレス生活などの過酷な体験を重ねた。自ら命を絶とうとした時、母子関係に劇的な変化が生まれる。「生かされている意味」を考え続けて格闘してきた人生。難民地域など世界の子供たちを訪ね、自分が「今」を生き抜く「種」をまき、育てる旅を重ねる。次々と襲い掛かる現実を乗り越え生きる思いを聞く(2019年11月初回放送) こころの時代~宗教・人生~「砂浜に咲…

竹原ピストルのよー、そこの若いのの生きる力の勢いの良い世界の弾丸の人間味

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テレビのCM( 1UP )で聴いていて紅白歌合戦に出ると知って歌手の 竹原ピストル の名前を覚えた。五ヵ月くらい経ってついに曲名の よー、そこの若いの も覚えながらちゃんと聴いてみたら歌詞が可笑しくも悩ましい気持ちを込められた弾丸なんだ。 名前のピストルにぴったり合っていてとても分かり易いイメージの歌手だった 竹原ピストル - 「よー、そこの若いの」|竹原ピストル 只のおじさんが何だろうという第一印象を抱いた。微かに感じたに過ぎなくて思い返すのは難しい。言葉として自分の中に明らかに定着したのは紅白歌合戦に初めて出場する話題で、顔を見た頃からだった。 かねてテレビCMで流れた如何にも年季の入った嗄れた歌声から想像されるだけではなくてやっぱりおじさんだと受け取ったわけだ。 無名だったはずならば一曲だけで知名度を上げて人気者になったのは凄いというべきか 世の中で歌手として当た…

切迫する死の感覚の著しい無力感の笑い

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もしかすると良いのかも知れない。無力感を著しく覚えながら生きている。今が変わる。幸せを受け取るためにもう何も行う必要がなくなったせいだと思いたい。 しかしあり得ない望みなのも確かで。呪われているのか、二十年以上も叶わない夢があり、絶望の淵も本当は磨り減って悲鳴のような泣き言も洩らさないとはかぎらなかったほどに荒くれている。 元気でいられたのは嬉しいにせよ、良い加減にして欲しい地獄と振り返って再び前を向いて歩き出そうとする心にとっては足場を失って落ちてしまいそうだ。 絶望の淵もない状態で、どうやって存在を保ち続けられるだろう。 心は認めてない、新しい自分をまだ十分に 悲しむべき生活しか世界に許されないにも拘わらず、一体、どのようにして地獄の外で暮らせるというのか。祈りの先で神は目を閉じて黙っていた。 自力で突破するしかなさそうだから頼るべき方法は思考だけみたいな…

ブログは自分らしさを大事にすれば訪問者にもきっと分かって貰えるから検索エンジンの落とし穴にだけは嵌まるな

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ブログのアクセスが 二日連続で一日百人を達成して から余り落ち過ぎずに同じくらいで持ち堪えている。やる気が増すし、夢に向けてさらに頑張りたい。 検索エンジンからのアクセスアップに手応えを十分に掴んだ 誰も来ないところから半年で一日百人まで成長した。良い感じなのは確かで、死ぬまでに千人でも一万人でも達成できそうではないか。ブログの アクセスの伸び率 も同じように上がって行けば現状から単純計算で、五年とか五十年なんて得るよりももっとずっと速くなると期待して止まない。 Google検索でのサイト評価はサイトを開設して一年くらい経たないと定まらないと思うし、経験上、そこで初めて爆発するんだ。コンテンツが良ければ全てが一気に好調を得る。雨後の竹の子に等しく、アクセスはあちこちで伸びる。ひょっとすると来年の一月には些細な日常は一日千人を越えるのではないか。今までのアクセスの…

Photoshop Expressのエフェクトは色味に優れていて心に染みる写真が得られた

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ブログの 白詰草の記事 に合わせて載せる写真に Photoshop Express でエフェクトをかけたら非常に上手く行った。驚いたのは仕上がりだけではなくてアプリでエフェクトに付けられていた名前もそうだった。白詰草の記事では乙女心の恋物語を取り上げたけれども気に行ったPhotoshop Expressのエフェクトがコイだったので、凄いと感じた。 僕の恋物語とPhotoshop Expressのコイがイメージで結び付くとすると写真編集で相当に使い易いアプリに違いない。思い通りだから良いし、嬉しい。いうと詩情から心に染みるエフェクトを持っている写真編集アプリがPhotoshop Expressだと白詰草へのコイで大いに満足しながら分かって来たんだ。 Photoshop Expressのエフェクトの使用感 Photoshop Expressのエフェクトは幾つもあるけ…

真っ朱な山躑躅を写真に収められただけでも胸一杯の思いがするのは情熱の光のせいだ

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山躑躅 が晩春の山を朱く染め上げていて衝撃的だった。驚くのは自分自身で、昔は気にも留めなかった。 山といえば衝撃的なのは真夏だけれども虫だったし、甲虫や鍬形虫を取る以外に好奇心はなかったはずだ。植物も出会いたい虫がやって来易い櫟の木こそ素晴らしいみたいな感じで、他には見向きもしなかった。 植物に引き付けられるようになったのは詩に関わり始めてからだった 年のせいではない、変わったのは。詩だ。というか、かつて 作詩の公園を運営しながら 詩人を明らかに自認してから命を公平に捉えなくてはならないと考え出したんだ。 元々、なぜ動物よりも植物には引き付けられないのかを訝っていたけど、引き付けられるべきだし、ちゃんと自分らしく生きるならば好きに向き合うのが正しかったわけだ。 石を喜ぶ のも同じ気持ちだ、命として根源的には。動物や植物を有機物とすれば無機物も生きているのが 宇宙の真髄 …

悲しくても必死に生き抜くつもりならば画家一筋へ情熱を燃え上がらせたヴァン・ゴッホのように

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ゴッホの手紙 を読んでいると元気が湧いて来る。絵だけではないと本当に感じる。 ヴァン・ゴッホ は画家だけれども同時に作家だったのではないか。興味深いのは文学は手紙でしかないから特にやってないという雰囲気が文体から伝わって来る。ヴァン・ゴッホならではの画家としてのイメージを手紙の文面に重ね合わせているに過ぎないにせよ、個人的に納得してしまわざるを得ない。 ヴァン・ゴッホならば画家一筋に情熱を燃え上がらせていたから他の創作活動には本気を出して取り組んで欲しくないけれども人間的に手抜きを受け取るのでは物足りないせいだろう。 手紙は文学なんだけれども作品として十分に仕上げられてない、本業の絵と比べると芸術性が低いに過ぎないだけで、必死に生き抜くほどの掴み取られた真実においては実質的に変わらないと感じる。 ヴァン・ゴッホに自画像が多いのは貧しさに強いられたためだ Self…

思想の意義としての心地良いばかりの世界

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人間は世界とは何かの思想を持つと素晴らしい気持ちを味わう。しかし信念が胸に広がったせいだとすると本当に重要なのは自分自身の思想を生活に組み込めるかどうかにかかっていたらしい。 Azalea by 結城永人 / Pixabay 鳥が大空へ羽搏くためには翼が必要だけど、翼だけでは得てして無理なので、どう羽搏くかを知らないままの鳥では気持ちは素晴らしいにせよ、大空からは見下ろされるかぎりの自然でしかなかった。 日本人の知性と思考の方法論的な哲学 人々に大衆への理解は本当に可能か 平和の原理/抽象力を有する人間性/論法そのもの 人間の精神/心理のための感受性の理論 挙げると些細な日常の四つの記事が著しく目立った。思想を持つだけではなくて信念において生活に組み込むように有用な認識としての効果を高めもするためには方法、見方、原理、理論が欠かせなかったとはっきり分かって来た。 …

スピノザの生活規則を良い知性から僅かでも理解するための思考

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久し振りに 知性改善論 ( スピノザ )を読み返してみた。といっても時間がないし、速読もできないので、一時間で数十頁しか進まなかった。 しかし相変わらず、文章が手強くて通常よりも読解を迫られると驚かされる。作家の気質としては学者そのものだろう。細かいところまで日常生活に支障がなくても取り上げて認識に纏めないと不誠実だと思ってしまうのではないか。 学校嫌いの口癖ならば「勉強しても生きるのに役立たない知識」が多くて辛い。 ただし大事なのは世界を理解するために必要なんだ。背を向けるほどに認識そのものが曖昧になって社会へ出ても分からないままなので、経験に対しての判断力は学歴通りで止まってしまうわけだ。後から独学しなければ生活力としても上がって来ないかぎり、もはや学校で済ませるのと中身は同じだろう。人生設計を効率的に組み上げるならば最初から勉強好きの気持ちが期待される。 僕…

自殺したいままに生きている状態

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散々、幸せへ向けて考えて来てまだ逃れられないどころか、死こそ近付いてさえもいるのでは生活そのものがうんざりするばかりの気持ちだと嘆かざるを得ない。 何もかも裏目に出ているのか どうして生活費が稼げないんだ、作家として。人気取りで金儲けを果たそうなんて世の中では一握りの好運でしかない。止めるべきか、父親の教えに背くように考えているせいならばそれだけでも撤回するしかなさそうだ。自殺したいほどの不幸は本当に何なのかを知らなくては夢も半ばに潰えるかぎりみたいな予感がする。 Googleでのサイト評価は少しずつ上がっているはずだし、アクセスアップも間違いなく果たされていると思うので、サイト広告で収益化が必要十分に実現されるところまで待てるかどうかなんだ。 時間がかかってどうしようないし、検索エンジンでのアクセスアップにはサイト年齢が重要だから一朝一夕では得られない喜…

人に嫌われて辛いのにまだ生きるために

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胡瓜の味噌漬けに少しだけ塩を塗したような情感のまるで詩が恋しくなって来る。 自分を出したから良くないにしては思い出と反りが合わない。やはり相手が悪かったのだろうか。考えると思い出には先程と同じで含まれないから食ってかかられる僕は自分の言動の中に原因を求めずにはいられないんだ。 辛くて生きているのもうんざりだというまでもなく分かってくれる存在だけが嫌うなんて気持ちから世間的に遠く引き上げて行くのが見えた。 僕にとっては嫌われるなんて地獄から救い出されるに殆ど近く及ぼしたはずだったに違いない瞬間が訪れていてまだ生きるために必要なんだと認められるばかりだった。 笑え、笑え、笑え。 笑え、笑え、笑え。 笑え、笑え、笑え。 笑え、笑え、笑え。 詩はいつも遅れているのか、時間があれば作曲しておきたい笑えの行進曲よりも。だから詰まらないけれども嫌わない人々と嫌われない僕と…

ラガーフェルドの白猫は10カラットのダイアモンドだ

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シャネルのデザイナーの ラガーフェルドを考えながら 非常に好ましいとセンスに脱帽しながら尊敬の念を覚えたけれども極め付けが飼っている白猫だった。 見過ごせない純粋さの白の繋がり KARL LAGERFELDさん(@karllagerfeld)がシェアした投稿 - 2017年 1月月1日午前5時33分PST 可愛いとしかいいようがないし、益々というか、むしろ途中で気付いて―― 公式のInstagramの一枚 ――引き付けられながら ラガーフェルド は何者なのかを、俄然、知りたい気持ちが募らずにもいないわけだった、実際上。 しかし白という色も謎めいていてラガーフェルドの髪も白いので、何かあるのではないかとほんの些細な爪楊枝の先程度でも気がかりな疑問に躓きながら直ぐにはブログに取り上げられなかった。 結局、シャネルのファッションブランドの創設者でデザイナーの シャネルが遺言で白…

インターネットを生き抜くための心構え

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ブログを一生懸命にやり始めて 言葉まで詩のように考え出して 数日が過ぎてみたら人々との交流のなさに辛さが込み上げて来た。 自分から他人に声をかけることが減っているんだ 訪問者からコメントもメールもない。どこかでシェアやリンクがあるわけでもない。全くの音信不通で、ただ記事を増やしているだけのブログに侘しさが募る。 なかった、今まで大きくは。 昔のホームページ では大きくあって手当たり次第に自分から皆に声をかけてそれがアクセスアップにも繋がっていたわけだけれども交流があると気持ちは素晴らしかった。 しかし自作の魅力でどこまで人々を引き付けられるかという作家としての信念から取り分け自分からはランクアート(閉鎖)の勧誘以外では殆ど誰にも声をかけなくなってしまった。 ソーシャルメディアで僅かにコメントを残すくらいだけど、リアクションも殆どないから詰まらないし、やはり辛いと思う…