思想の意義としての心地良いばかりの世界 結城永人 - 2017年3月31日 (金) 人間は世界とは何かの思想を持つと素晴らしい気持ちを味わう。しかし信念が胸に広がったせいだとすると本当に重要なのは自分自身の思想を生活に組み込めるかどうかにかかっていたらしい。 鳥が大空へ羽搏くためには翼が必要だけど、翼だけでは得てして無理なので、どう羽搏くかを知らないままの鳥では気持ちは素晴らしいにせよ、大空からは見下ろされるかぎりの自然でしかなかった。 日本人の知性と思考の方法論的な哲学 人々に大衆への理解は本当に可能か 平和の原理/抽象力を有する人間性/論法そのもの 人間の精神/心理のための感受性の理論 挙げると些細な日常の四つの記事が著しく目立った。思想を持つだけではなくて信念において生活に組み込むように有用な認識としての効果を高めもするためには方法、見方、原理、理論が欠かせなかったとはっきり分かって来た。 心地良さが増している、人生に。だから気持ちも現実に素晴らしいわけではなかったか。一言で知恵ならば思想の意義は他でもなく、どう生きるかの認識力にかかっていたに違いないだろう。喜ばしい魂の世界と捉え直しても良い。 注意すると頑張り方が問われたせいではないんだ。夢を叶えたくて予め案じて講じながら幾つもの思考へ励んでは来たものの直接的に必ずしも知恵ではなかった。どれも生活の知恵だけれども思想の意義へは触れてなかったわけなので、向き返すと恐ろしいほどの真実だから容易には手が付けられなかったようだ。 飛び込んでも底無し沼に匹敵する対象がある。気になると性急に取り組んでも思考は解き解せないまま、対象へはズブズブ沈み込んで行くばかりで、快適な暮らしへはもはや手を伸ばすだけが精一杯なほどの窒息を強いられてしまいそうだから不味いと直ぐに思い止まっていた。偶さか感じるのも深入せずに助かったみたいな印象ではないか。底無し沼の対象からは逃げ出した勇気というか、よもや思考こそ名折れならば生き残っては微かに憂鬱なかぎりの誇らしさだったはずだ。 皆にも現時点での心地良さを受け取って欲しい。本当に強力な精神かも知れない、人間にとって。ただし思想の意義を掴むのは大変だからイメージを示して教えても翼を与えるだけで済んでしまい兼ねないし、どう羽搏くのかという方法、見方、原理、理論を自力で引き出さないときっと有用な認識として身に付かないので、知恵ならば実現してからあの人はああいっていたけれども今正に共感するべきだったと納得して貰うような仕方しかなさそうだ。いつか自力で手に入れた強力な精神と照らし合わせながら後ろ向きに分かるだけの言葉遣いでも僕は作家・詩人として存分に自己表現を人々へ向けて行ったんだと微笑むしかない。 だから思想の意義は修業を求めていた、結局のところ。または実生活での修練なしに誰にも判然としない知恵だったわけなんだ。 僕が受け取っている心地良さは人それぞれの人生の道筋の飽くまでも思考だから一口に精神と告げても勘違いしないように普段から必要性を示している物事、または真実に美麗なまでに目覚ましく気付くかどうかのもっとずっと先で生きられるはずの世界だとは覚えておいて欲しいよね。 噛み砕いて伝えるならば自分らしさとは何かを追求した結果以外ではないだろう。本当の自分ではないから非常に紛らわしいし、自分らしさが《本当の自分の性質》だとすれば人々に見出だされるのはどちらが早いともかぎらないので、知るのは遅れても構わないけれども引き受けた情感の度合いこそ問われるべきなんだ。 つまり素晴らしい気持ちを味わうとしても人生が上手く行かないための努力が欠かせなくなっている。 通例ならば思考しなくて正体上は良いわけだ。自分らしさに思い至れば何でも夢見て頑張れるし、誰にとっても十分に幸せだから思考する対象についても人生しかないはずだろう。 将来へ事情が違うし、存在が異なるのではないか。僕は目標を達成できなくても構わないみたいなかくも素晴らしい気持ちしか味わってないとすると無限大の時空を飛び越えながら全ての望みへ頷いてしまっているとも過言ではなさそうだ。なぜ生きるかを基本的に知り尽くしていて人生そのものが簡単に過ごせる思いを抱いている内面は明らかに実感されている。 すると頑張りも虚しく夢が叶わないままでも苦しくなくて致命的に悔しがりながら打ち倒される暴風雨の悲しみそのものも免れているから心地良さこそ却って大きく広がって来たのかも知れない、実生活へ。 中年期、詩人として生きると一生懸命に精神を集中させるべく努力し続けたけれども境地的に掌握されたとも強ち過言ではないだろう、きっと。 信念の言動は心遣いだった。思想は実行されても褒美を頂戴するのが最良の世界だとすれば精神は人間の胸のうちにどんな意義を定立させるのだろう。心地良さとしか呼び得ない。 晴れた広場では木漏れ日が待ち惚けを食らわされた後に漸くと取り返した眩しさを振り撒きながら清らかな風と共に揺れ出していた。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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