坂本龍一の政治的な主張を加速した環境 結城永人 - 2023年4月4日 (火) 今年は癌闘病の影響で一時間のコンサートも難しくなって来たと聞いたばかりの音楽家の坂本龍一が亡くなった。早いと驚いたし、ひょっとしたらもう長くないと分かっていて黙っていたんだろうと癌闘病の大変さを思い知らされる。 坂本龍一 — energy flow|Warner Music Japan この前、彼の音楽の素晴らしさについて取り上げたけれども今此処で改めて聴いてみたいというとenergy flowが良いかも知れない。坂本龍一が個人で出した楽曲では百五十五万以上の大ヒットを記録して世間に最も良く知られることになったと思う。人々の疲れを癒すという感じだから死に際しては鎮魂歌のような趣きもある。 振り返るとずっと疑問に感じていたことがあったので、ブログに取り上げて明らかにしたい。 坂本龍一の政治的な主張とは何だったのか Ryuich Sakamoto by KAB America / CC BY ある頃、坂本龍一が森林保全を始めるといい出して何だろうと思ったら東日本大震災の頃には脱原発を声高に訴えるようになって又来たと驚いてもはや音楽家の枠を越えるくらい政治的な主張が切っても切り離せない状態に変わった。 昨今、ロシアとウクライナの戦争に決然と意義を唱えるのも彼のそんな政治的な主張を求める生き方において本当に当たり前としかいいようがなくなっている。 音楽家だから音楽だけやっていれば良いとは思わないにせよ、本職と同じかそれを越えるくらいやるのは非常に珍しくて訝らざるを得ない。 知性が高いから非戦も森林保全も脱原発も悪くない No war|ryuichi sakamoto 坂本龍一は社会学者の浅田彰と友達だったり、後者はドゥルーズ哲学に嵌まったドゥルーズ主義者で現代思想に精通しているけど、とにかく前者も似たところがあって仲良しなんだ。 色んなことを考えるときに知的な水準が優れているのは認めるけど、ところがドゥルーズ哲学などの超越論的な方法からすると正しさを覆すみたいな、誤った常識に囚われないという批判的な良さがあるので、逆に正しさを貫くみたいな、他人の意見を寄せ付けないという政治的な主張を余りやられ過ぎると人として違和感が生じてしまうのも確かだった。 坂本龍一も最初は特に気にならなくて批判的な良さから音楽でも何でも十分に捉えられたはずが森林保全をいい出した辺りから政治的な主張こそ人間性の多くを占めているのではないかと本心が見え難くなった。 環境によって加速された非戦や森林保全や脱原発 森|一般社団法人more trees 調べると坂本龍一は2007年から森林保全のmore Treesという団体を待ち上げて政治的な主張たけではなくて活動へも本格的に向かい始めていた。 なぜかは自身の体調の変化が切欠で、本人の言葉で「環境」が重視された結果だった。 僕は42歳くらいから、“あれ!? 目が見えにくい”みたいな感じで老化を実感し始めまして。それから初めて、自分の身の回りのことというのかな、食べる物、飲む物、着る物、住環境などを意識するようになった。結局、それって環境ですよね。しかも、その環境というのは、どこか遠いところの環境ではなくて、常に自分の体の中に入ってきて、自分の体の一部になって、また出て行く。環境と自分というのは、ほとんど一体というか。我々は、自然の中にいるということを、生まれて初めて意識したのがきっかけなんです。 坂本龍一/日本と未来 | 坂本龍一|THE FUTURE TIMES 老いは人間にとって自分の見方の基準を生から死へ切り替えるものだろう。つまりそれまで生きる未来から捉えていた物事を死ぬ未来から捉えるようになると考えられる。 すると毎日が尊いとか一分一秒が愛しいんなんて気持ちが芽生えるかも知れないし、例えば仏壇に手を合わせずにいられない老人の思いみたいな境地へ僅かでも訪れたことが坂本龍一の人生の転機になったわけだったんだ。 一つの経験が「環境」と概念化されているのが流石というか、高い知性の賜物だし、哲学的に面白いけど、つまり普通に周りの状況だけではなくて「自分」も特別に表している。 自分を抜きにして語られる環境はないというのが坂本龍一の森林保全への取り組みの指針なんだ。 結局、それが非戦や脱原発なとの他のあらゆる政治的な主張の根幹を成して以前よりも加速するように強めたために世間一般にもはっきり伝わって音楽家にしては人が変わったのではないかと思われるまでに至った。 全ては自分から出て来る生活改善の努力だ Ryuichi Sakamoto by Joi Ito / CC BY 坂本龍一の政治的な主張が独自の環境の概念に基づくとしたら自分を抜きにしては語れないものだからやはり普通とは意味が異なる。政治的な主張だけれども観念に縛られるとか世の中に踊らされるなんて状態ではあり得ない。それこそ批判的な良さを持つ超越論的な方法と矛盾しない仕方で、本心から泉のように湧き上がる思いを抱えながらやる。自分と同じように何かを求める存在として他人も尊重できるし、たとえ意見が異なっても否定しない寛容さも示すことも無理ではない。 坂本龍一の政治的な主張の尖った様子は音楽的な魅力の円やかな様子と相容れないものがあるし、世の中で納得できない人は僕だけではなかったかも知れない。しかしenergy flowのような本当に優しく美しい楽曲で人々の疲れをとことん癒してくれる一方で、独善を振り翳しながら反対派を全て薙ぎ倒すような仕方で、非戦でも森林保全でも脱原発でもやっているわけではない。確かに政治的な主張として他人を寄せ付けない面は少なからず、あるとしても彼自身がそれを望んだり、見下したりしてないことは独自の環境の概念から理解できる。 考えると新たに生活改善の努力としての政治が編み出されていた。物事を良いか悪いかよりも必要か必要でないかで切り分けるのが彼の政治的な主張の特徴なんだ。同じような感じだけれども真っ先に自分自身から捉えて他人や世間から無自覚に惑わされないところが違う。 坂本龍一は音楽と同じくらい政治も素晴らしかったといいたい Jun Miyake and Ryuichi Sakamoto at Ibirapuera Park (2017)|Sturm / CC BY-SA 彼の音楽は世界で受け入れられたけど、しかし戦争は終わらず、森林も減り続け、原発も再稼働するから彼の政治は人々に受け入れられなかった。 非戦も森林保全も脱原発もそれ自体は良いと思うし、坂本龍一の人間性に違和感がないと分かるかぎり、そうした言葉も信用するべきなので、いつか世界が追い付くことを願わずにいない。 今改めて彼の音楽と同じくらい政治も素晴らしかったと実感する。 政治の世界には色んな打つかりがあるけど、とにかく自分に賛成しない相手を嘘でも殺すことは世の中の役に立たない。喜ぶのは自分と自分の仲間だけというのは狂信に過ぎない。なぜなら全知全能の人間はいないからだ。全員が同じ喜びを味わったり、似た幸せを持つことはあり得ない。だから反対する人がいない方がおかしいし、出会えば正しく活かすことが互いの生きる現実という本当の意味での社会の役に立つ政治を可能にしてくれる。 坂本龍一は高い知性によって自己中心的な考え方に陥ることがなかったような本物の知識人の一人だった。 現在、日本にかぎらず、世界にも貧困が広がっていて欲望ばかり優先されて周りが見えない人が多くなっているし、今回、本当に惜しい人を亡くしたといわざるを得ない。 僕も含めて残された人たちが坂本龍一の音楽と政治から良さを学んで同じかさらに上手くやって行くことが大切だ。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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