青木功がジャック・ニクラスに惜しくも敗れた1980年の全米オープンゴルフ 結城永人 - 2018年10月15日 (月) 世界のゴルフの四大大会の一つ、全米オープンで初めて優勝争いに躍り出た日本人ゴルファーが青木功だった。 1980年、アメリカのニュージャージー州スプリングフィールドにあるバルタスロールGC(ゴルフクラブ)のローワーコース/7400ヤードのパー72で開催された第八十回の全米オープンで、予選二日と本選二日の計四日間をアメリカのジャック・ニクラスとラウンドした。四大大会で現在でも破られない歴代最多の十八回の優勝を誇る史上最高のゴルファーだけれども当時からゴールデンベア(金色の熊)の異名を持っていたりして大人気だった。 青木功は初日から飛んでもない実力者のジャック・ニクラスと四日連続で優勝争いを演じて最終的に敗れたものの日本人ゴルファーの四大大会で二位という現在でもトップ――2017年の全米オープンで松山英樹が並んだだけで、国内の優勝者はまだ一人も出ていない――の突出した成績を結果的に後少しの二打差で惜しくも残していたんだ。 1980 U.S. Open Highlights|United States Golf Association (USGA) 優勝したジャック・ニクラスは以前から非常に強かったけれども二年くらい四大大会の勝利からは遠ざかっていて久々の快挙だったらしい。 人々から「Jack is back」(ジャックが帰って来た)と特別に称えられたので、恐らく本人にとってもゴルフ人生で本当に印象深い試合の一つだったかも知れない。普通ならば一つ勝ってやっとの四大大会でも勝つのが当たり前の飛んでもない実力者だから二年くらいでも勝利から遠ざかるのは大変なスランプに陥っていたとも感じる。調べると前年にアメリカのゴルフツアーで一回も優勝してなくて賞金ランキングも七十一位に急落していたんだ。ひょっとしたら選手生命を絶たれてもおかしくないほどの不調を強いられていた。 1979年、三十九歳のとき、何とも酷い年で、全ては終わりだと思ったけど、しかし好運にもそうではなかった。 ジャック・ニクラス/Interviews: Jack Nicklaus|Golf Digest(訳出)|Discovery Golf ジャック・ニクラスはインタビューで「全ては終わりだと思った」と振り返っているので、相当に辛かったんだろう。翻って復活を遂げた第八十回の全米オープンの優勝はゴルファーとして喜びも一入の本当に衝撃的な経験になったように想像される。 最強のライバルとして立ちはだかったのが青木功だった。ジャック・ニクラスとの四日間にわたる熾烈な優勝争いは「バルタスロールの死闘」とも呼ばれている。全米オープンのそれまでの優勝スコアの275――同じコースで、ジャック・ニクラスが1967年に記録していた――を二人とも更新するとても素晴らしい内容だった。記憶に著しく残らずにいない試合になったはずだろう、流石に。 第八十回の全米オープンの勝敗を分けた最終スコア ジャック・ニクラス63-71-70-68の272(-8)青木功68-68-68-70の274(-6) 前年に優勝できずにどうなるのか、引退するかも知れない不安や心配をかかえていたファンたち熱気も凄まじかったようだ。 久々の優勝がかかっていたぶん、ジャックへの声援は日増しに大きくなっていった。そんな状況でもし俺が勝っていたら、ギャラリーに睨みつけられていたかもしれないな(笑)。それくらい異様な雰囲気だったよ 青木功/青木功、丸山茂樹、松山英樹… サムライ達が戦った全米オープン|ALBA.Net|ゼビオコミュニケーションネットワークス 動画で振り替えると最終日の最終ホールの二人に帯同するファンたち、所謂、ギャラリーの巨大なアメーバのような凄まじい動きに目を瞠らされずにいない。それこそ「Jack is back」を待ち望んでいる思いがゴルフ場に溢れて返り捲っていたようだ。復活の瞬間が迫っていて先にパットを入れて優勝が決まると試合はまだ終わってないのに大勢がグリーンへ祝福に駆け込んで来てしまって収拾が付かなくなっている。 青木功は最後の一打をやり難かったか。しかし彼の言葉からは「異様な雰囲気」を楽しんでいたとも受け取られる。相手の声援の余りの大きさに勝つ気がしなくて負けたみたいな響きが天才肌の性格を感じさせて面白い。気持ちこそ大事にしながらゴルフについて打ち方などの他の全ては常人離れした速やかさで如何にも自然に身に付けてしまってそうだ。 手首を多用するとても珍しいスタイルのゴルファーで、短い距離を合わせるショートゲームが得意だった。全米オープンの熾烈な優勝争いを制したジャック・ニクラスからも「100ヤード以内は青木が世界一だ」といわしめた。人々からは「Oriental Magician」(東洋の魔術師)とも呼ばれていたらしい。芸術的なゴルフを展開していたというとアメリカで初優勝した1983年のハワイアンオープン(現ソニーオープン)の最後のチップインイーグルの大逆転(Signature Shot | Isao Aoki at the 1983 Hawaiian Open)が青木功のゴルファーとしての真骨頂のイメージかも知れない。 第八十回の全米オープンは本当に何が起きるかも分からないプレイが魅力の青木功が世界最強ながらどん底のスランプからの這い上がりに必死のジャック・ニクラスと互角に競い合ってどちらも驚異的なスコアを記録すると共に最終日の最終ホールの最後の一打のギリギリで勝敗を分けた歴史的な名勝負だった。 参考サイト青木功ジャック・ニクラス1980 U.S. OpenU.S. Open HistoryBaltusrol Golf Club (Lower)Great Courses in Golf History: Baltusrol Golf Club/Part 2 コメント 新しい投稿 前の投稿
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