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イリース・トルーのイパネマの娘の本気の涙が世界を救う純心な歌声

気に入って止まないボサノバの名曲のイパネマの娘はオリジナルのアストラッド・ジルベルト以外に数多くの歌手がカバーしているけれどもイリース・トルーイパネマの娘を聴いたらポップソングのアレンジに衝撃的な驚きを感じた。

The Girl from Ipanema - Stan Getz & Astrud Gilberto (cover by Elise) via Elise Trouw

アカペラに近いカバーだ。必要最小限の演奏で、歌こそ聴かせるアレンジが素晴らしいと感銘を受ける。イリース・トルーのパフォーマンスは幾らか大袈裟かも知れないけれども美輪明宏のヨイトマケの唄のように優れて演劇的な歌唱と捉えれば魂が吹き込まれた結果ではないとはかぎらない。却って誉め称えるのは吝かではない、何だろうと嘘臭さに訝るよりは聴くほどに人間的に繰り広げられる歌の世界に。

イリース・トルーのイパネマの娘は悩ましげな表情が印象的だ

今の時代に相応しそうだ。または二十一世紀の寵児か。地球温暖化などの環境破壊に際して踊り狂うしかなかったジャミロクワイの楽しい魅力が懐かしくも遠ざかる。切ない魅力が大切なんだ、何よりも新しく。待てど、暮らせど、変わらない世界の社会問題の数々には悲しみながら積極的に落ち込む勇気が必要ではなかったか。本気の涙を流さずに人類は目の前の環境破壊でも何でも現実に克服できないと思い知らされる。

悩ましげな表情でイパネマの娘を歌うイリース・トルーは只単に歌の世界に浸っているようには見えない。パフォーマンスを越えて胸に訴えかける現実性を芸術的に示している。一つの切ない魅力を自らの人生に置き換えさせるんだ、聴きながら。だから全ての見る目が変わるし、世界を救うためにあると悩ましげな表情も歌以外にまで固有の意味合いを広げて考えてしまう。

相手に伝えるのはきっと難しいはずというか、本当に不思議だけれども元来が切ない魅力に満ち溢れているボサノバの名曲のイパネマの娘をアカペラに近い仕方で、静けさを添えながら表現したのが、音楽上、効果覿面だったようだ。

人類が世界を救う所以に他ならない本気の涙を真っ先に痛感させるアレンジはポップソングとして斬新なのと同時にイリース・トルーの悩ましげな表情や歌声はいわずもながなの親身なパフォーマンスによって力強く印象付けられていてさながらランボーの永遠などの本物の詩人の嘘偽りのない良い詩を確かに読んだくらい素晴らしく心温まる趣きを損わないのが凄い。

聴くと生き方を改めて捉え直す。日々、悲しみを安易に乗り越えてはならない。適当な慰めで逃れる不幸の喜びはそもそも良い加減な代物の幸福でしかないんだ。繰り返してどうでも構わない生活に慣れると今度は自分自身の存在がどうでも構わなくなって結局は世界を救うのとは正反対の気持ちになり兼ねない。本人が意識するとしないとに拘わらず、何もかも馬鹿らしい毎日ならば世界を滅ぼすような言動しか取れなくなってしまうのが常識だろうと懸念される。

平和な暮らしを個人的に実現するためにも荒廃した内面を如何にして浄化できるかを考えるべきだけど、とにかく悲しみと向き合う人間としての精神的な強さが真っ先に求められるのは間違いないといいたい。

イリース・トルーはイパネマの娘のカバーで、人々を引き付けるボサノバに特有の切ない魅力を非常に鮮烈に打ち出している。決して偶然ではないと思うし、歌手として世界を救う気持ちが真実たからポップソングのアカペラに近いというオリジナルとは全く別のアレンジを呼び寄せながら感銘を与えもするんだろう。本気の涙なんて純心でなくては人間にとってあり得ないし、音楽を通じて触れ合えるのはまさか素敵な経験だ。

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