松本典子の今世紀最大の失敗という笑い話 結城永人 - 2022年11月22日 (火) 日本のアイドル黄金時代と呼ばれる1980年代の真っ只中に十六歳で歌手としてデビューして、その後、十九歳から異色にも志村けんと共にお笑いでも活躍した松本典子という芸能人がいた。二十四歳で野球選手の苫篠賢治と結婚して芸能界から殆ど姿を消して、大分、経っているので、今は知らない人の方が多いと思う。 僕はアイドル歌手の松本典子が大好きで注目し捲って小中学校で大好きだった片想いの人に似ていると思って特別に惹かれたのを凄く良く覚えている。そしてお笑いの頃はレギュラーで出ていた志村けんのだいじょうぶだぁなどを不思議な感じで、まさかあんなことを良くやるなみたいに驚きながら観ていた。 振り返るとアイドルとお笑いの両方で人気を博したのは大変な才能だったはずだけれどもそんな可愛さと面白さの特徴が同時に良く分かる場面を見付けて非常に興味深かったからブログに取り上げたくなった。 松本典子が明かした今世紀最大の失敗 天宮良――ところで、あれですか、典子ちゃんは料理したりとかっていうことは、しますか。 松本典子――そうですね、結構、作るのとかは好きですね。 天宮良――自分で。 松本典子――はい。 天宮良――へぇー、例えばどんなものを作ったり。 松本典子――えっとねぇ、大根のお味噌汁とか。後、何だろう、結構、色んなものを作りますね、肉じゃがとかシチューとか揚げ出し豆腐とか。 小倉久寛――何か失敗なんかしたこと、あります。 松本典子――否、一杯、あるんですけど、今世紀最大の失敗っていうのがあって、で、あの。 小倉久寛――凄い失敗だな、これは。 松本典子――シチュー、作ったら焦げちゃったんです、全部。お鍋ごと焦がしちゃったの。 小倉久寛――それ、何、作り方を知らなかったの。 松本典子――否、ちゃんと作ってて、で、途中の段階で、お母さんに、電話、かけちゃったんです。で、こう、背中、向けて、こうやって、今、シチュー、作ってるんだよーとかいって喋ってたら何か臭いなとか思ったら焦げてたの。 小倉久寛――それは、何、シチュ、シチューの話、してたら焦かしちゃったの。 松本典子――してたの。もう忘れちゃったの。 天宮良――お母さんと。 松本典子――そうなの。 小倉久寛――シチューの話、して、してたんだけど。 松本典子――してたんだけど、どっかで違う話に行っちゃって。 小倉久寛――あぁ、行っちゃって。 松本典子――で、分かんなくなって。 小倉久寛――その電話は、自分で電話をしたの。 松本典子――自分で、自分で。 小倉久寛――かかって来たんじゃなくて。 松本典子――自分でかけたんです。 小倉久寛――自分でかけて、今、シチュー、作ってんのよっていって。 松本典子――そうなの。 小倉久寛――忘れちゃったんだ。 松本典子――焦がしちゃった。でもちゃんと、あの、もう一回、買いに行って作り直したの。 小倉久寛――相当、腹、減ってたんだね。 松本典子――お腹、空いてました。食べたかった。 松本典子と天宮良と小倉久寛/ヤングスタジオ101|NHK 女性で自分の体験談を歴史的か画期的に表す人を偶に見かける。記憶に新しいところだと数年前に野菜ジュースのテレビCMで「私史上一番」(吉田真希子)という言葉を聞いて何だろうと気を引かれた。巷でも話題になって調べると止めろと嫌いな人もいるみたいで、そういわれると鼻持ちならない部分もないわけではないんだ。しかし独特の魅力、言葉遣いの面白さがあるのも事実で、何しろ、印象に残るのが凄いし、本人が真実を認めるほどに可愛さに通じる。 松本典子の「今世紀最大」は自分を出した図々しい嫌みはない。反面、受け狙いのあざとい疎みはあるかも知れないけれども個人的に構わないくらい面白さが抜けていると思う。失敗談で、笑い話だ。ところが内容が余りに普通過ぎている。それこそ些細な日常と呼ぶべきものを「シチュー」に受け取る。 本当に他愛なくて心底と面白い。失敗が「今世紀最大」という大袈裟なまでの振りに対して落ちの焦がした「シチュー」が完全に小さいというのが可愛いばかりの世界を感じさせる。天と地の極端な開き、それぞれの開いた口が塞がらないほどのあんぐりとした対称性が素晴らしく可笑しい(思った瞬間に欠伸が出そうで、後から示すのは厳しいにせよ)。 可愛さと面白さの心に良い香を放つ魅力に引き付けられずにいない 松本典子/ヤングスタジオ101|NHK 焦がしたシチューが今世紀最大の失敗というと可笑しくも過不足が多くて真意がぼやける。いい過ぎかいい足りない。しかし微妙な意味合いの僅かなニュアンスに松本典子の良さがあると思う。または自分の体験談を歴史的か画期的に表す人に共通するかも知れない。女性にかぎらず、男性にもLGBTにもあり得るか。一言では心に良い香を放つような魅力なんだ。 松本典子は芸能人として非常に恵まれていてデビューした切欠のミス・セブンティーンコンテストのグランプリは応募総数が180325から奇跡的に選ばれたのもさることながらアイドルの楽曲もお笑いの番組も日本の第一線で活躍する人たちから見込まれている。 アイドル時代の主な楽曲の作家陣 松本典子 さよならと言われて|Bellflower Milkyway 春色のエアメール 作詞:EPO作曲:EPO青い風のビーチサイド作詞:麻生圭子作曲:岸正之さよならと言われて作詞:銀色夏生作曲:呉田軽穂(松任谷由実)虹色スキャンダル作詞:湯川れい子作曲:久保田利伸NO WONDER 作詞:沢ちひろ作曲:芹沢廣明儀式(セレモニー)作詞:中島みゆき作曲:中島みゆき ※デビューの1985年から1986年までのシングルA面の六曲を発表順に掲載。 松本典子はデビューの1985年に国内の様々な音楽祭の新人賞にノミネートされる活躍を見せた。実際に受賞したのは春色のエアメールでの第4回メガロポリス歌謡祭の最優秀新人ダイヤモンド賞だけだったらしい。 参考サイト1985年賞レース しかし作家陣が凄くてアイドルにしては珍しいニューミュージックの呉田軽穂やR&Bの久保田利伸やフォークソングの中島みゆきという色んな感じの音楽があって良いと思う。隠れた名曲というか、本人の歌声も透き通るような混じり気のない綺麗さや上品さが素敵だから今改めて聴いても、全然、古びないくらい鮮やかに惹かれる。 個人的に嬉しいのは大好きな詩人の銀色夏生が歌詞を提供していてやはり大好きな歌手の松任谷由実が作曲家の呉田軽穂として組んださよならと言われてを見付けた。それこそ人類史上初の衝撃か同じのを他に知らないけれども本当に凄いとしかいいようがない。大好きだったものの楽曲は一枚目の春色のエアメールと二枚目の青い風のビーチサイドまでしか記憶になかったので、調べると良い曲が多いと驚く。 お笑い時代の主な番組の共演者 志村けんと松本典子と石野陽子/志村けんのだいじょうぶだぁ|フジテレビ 志村けんのだいじょうぶだぁ志村けん田代まさし桑野信義石野陽子(いしのようこ)伊藤智恵理柄本明 松本典子は志村けんのだいじょうぶだぁに石野陽子と女性の二枚看板として出演していたのが印象に残っている。それ以前からドリフ大爆発や加トちゃんケンちゃんごきげんテレビで志村けんを含めてドリフターズのメンバーとお笑いのコントをやっていた。志村けんが一人でやり始めた志村けんのだいじょうぶだぁに初回メンバーのレギュラーとして抜擢された。 お笑いの才能を見込まれて声をかけられたんだろうけれども本人はドリフ厳禁の家庭で育って志村けんのことも知らなかったらしい。しかしアイドルとしてトップまでは売り切れずに悶々と過ごしている中で、新境地を開くことを期待してお笑いへ注力するようになった。ショックを受けたアイドル時代のファンから止めて欲しいといわれたこともあったらしい。僕も違和感は大きかったし、何で中心的に(脇役ではなく)やらなくてはないのかと首を傾げた。しかし観るといつも一所懸命にやっている感じがして悪い気はしなかってし、そのうちに体当たり的な笑いが定着して来た。結局、向いてないゆえのミスマッチ感覚が一つの面白さかとは受け留めた。本人によると当初はお笑いへの出演を嫌がった両親やファンからも次第に認めて貰えるようになったらしい。 松本典子は石野陽子と共に今やバラドルと呼ばれる何でもやるような面白可笑しいアイドルの魁だと思うし、志村けんのような日本のお笑いのトップと肩を並べる勢いでコントを中心的にやるアイドルは二人よりも前にいなかったと思う。 アイドルとお笑いのどちらの時代も良い結果を残したと振り返るけれどもそれは本人の努力もさることながら周りの人に非常に恵まれたせいもあるだろう。どうしてかは心に良い香を放つ魅力があったという引き付けられずにいないほどの人徳のせいではなかったか。もはや焦がしたシチューを今世紀最大の失敗と呼んで笑い話に変えてしまうところから考えてしまう。可愛くて面白くて目が離せなくなる存在がきっと人生に福を招いたんだ。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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