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水俣病の最も印象深い真実:日本の悪の全ての批判となる天皇皇后の優れた理解

前世紀の中頃から今世紀の初めに至っても未だに尚と解決しない余りに長過ぎる水俣病は日本の社会問題の象徴とも感じられる。

水俣病の犠牲者の慰霊の碑

会社が海を汚染してメチル水銀という毒を蓄えた魚を普通に食べた人たちが被ったのが偶さか奇病だったせいで、気味悪がられて他の大丈夫な人たちから差別されたために政府は正面に考えてない。知ると民主主義の弱点が突かれている。人々が差別すると反対の気持ちに固執して国の社会問題はいつまでも終わらなくなってしまう。

日本の政府も会社の役員も資本主義の一員でしかない自らの利益追求の卑しさから事件を起こしては責任を取らないし、事実を隠蔽したりしながら法律でも何でも断罪されるのを避けたがるのは情けないにせよ、水俣病の患者たちは感覚障害や運動失調を筆頭に全身の自由が利かなくなるほどのメチル水銀中毒の様々な酷い症状に悩まれ捲って只単に可哀想な存在に過ぎないわけでは決してなかったのではないか。一国の政治経済を含めた悪の全てが集約されているといって良いと思うくらい恐ろしい様相を呈する。批判するに大勢からどうにも差別される災難に余計に巻き込まれながら非人間的な悲しみを余儀なくされる地獄も味わわざるを得なかったはずだ。

天皇皇后が示した水俣病への優れた理解は本当に善意が溢れている

慰霊碑に献花 両陛下が水俣病患者と初めて懇談 via ANNnewsCH

2013年10月17日に天皇皇后が水俣病の地を初めて慰問に訪れた。日本が水俣病を公害として認定したのが1968年9月26日だった。特有の患者が見付かったのはさらに十年以上を遡るにせよ、少なくとも五十年が過ぎていた。何万人も死傷者が出ていて戦後最大の公害なのは誰の心にも明らかな現実にも拘わらず、表向きは正に全く接触を持たずにいたのは水俣病に纏わる裁判が幾つも開かれて国も係争中の事案を配慮して身動きが取り辛かったせいかも知れない。どんな物事でも公平に捉えなくてはならないのが日本の皇族とは想像される。

前代の昭和天皇は水俣病を引き起こしたチッソの元日本窒素肥料株式会社を事件が世の中の明るみ出ない――水俣工場でメチル水銀を排出したアセチレン法アセトアルデヒド工法は1946年から始まったとされる――1949年6月1日に訪ねて「日本再建、生産増強のためしっかりお願いします」と戦後復興の見地から応援したらしい。公害で夥しい死傷者を出されてしまうのでは戦争とも大差ない脅威ではないか。声をかけた手前、面子丸潰れだからさては余りに悔し過ぎて水俣病の地へ人々を見舞うなんて全く考えられず、敢えて望めもしなかった今更だったとしても善意のかぎりは誠実にこそ不思議ではないだろう。

国の年号が昭和から平成へと入れ替わり、そして世紀も二十一の第三ミレニアムへ移行してついに五十年越しか天皇皇后の水俣病の地へ訪問する期が熟したわけだった。

島田さんは緊張の面持ちでその日を迎えた。陛下の資料館滞在は51分。1956年の水俣病公式確認から68年の原因確定までの経緯を説明している時だった。

「水俣という場所は、見捨てられたんですね」

陛下の問い掛けに、島田さんは言葉を詰まらせた。背後には国や県の関係者がずらりと控えてもいた。答えに窮した島田さんに、陛下は繰り返した。

「水俣は、見捨てられたんですね」

水俣病問題の核心を突く陛下の言葉だった。59年、熊本大医学部の研究班が水俣病の原因をチッソの工場排水による有機水銀と突き止め、チッソもネコを使った実験で把握していた。それでも、原因確定まで9年が費やされた。

「水俣は見捨てられたんですね」 天皇陛下、患者に心寄せ続け via 西日本新聞

ほんとうにお気持ち、察するに余りあると思っています。やはり真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたいものだとあらためて思いました。ほんとうにさまざまな思いをこめて、この年まで過ごしていらしたということに深く思いを致しています。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方向に向かって進んでいけることを願っています

見学に訪れた水俣病資料館には、両陛下の強い希望で水俣病患者2名を招き、予定時間を超えて懇談されました。

陛下は異例にも、事前にお言葉を用意していなかったにもかかわらず、率直な感想を語りかけられました。美智子さまは、陛下のお言葉を聞きながら患者の手をさすり、涙を流して励まされていました

全国紙宮内庁担当記者/誰も美智子さまを超えることはできない 「小さなお墓」発言――いなくなることなど、考えられない via 現代ビジネス

前々から水俣病患者で政治家として加害者の謝罪と被害者の補償へ闘争した川本輝夫や水俣病の実情を著した苦海浄土――わが水俣病の作家で患者救済にも素晴らしく尽力した石牟礼道子などが天皇皇后に手紙を送ったりながら水俣病の地へ是非とも訪問して欲しいと呼びかけていたらしい。

なぜ時間が何年もかかったかは国内の水俣病の情勢の他に1993年に成婚された皇太子夫妻も影響していて徳仁皇太子が選んだ雅子皇太子妃の母の父の江頭豊が水俣病を引き起こしたチッソ株式会社の事件の途中から就任したにしても社長だったから気が引ける部分もあって憚られたと伝えられる。

専ら二つの事情から天皇皇后の両陛下とも水俣病の地へ足を運ぶには至らなかったけけど、ただし思いは非常に強かったに違いないと諸々の記録から推察される。

水俣メモリアル

僕が最も印象深いのは皇后美智子の涙も人間的に素晴らしいと感動しないわけには行かない善意の塊だけれども天皇明仁の「見捨てられたんですね」という気持ちこそ腑に落ち捲って凄い。すなわち善意そのものだろう。本当に水俣病とは何かを良く分かっているし、印象上、優れた理解としか称えようがない言葉遣いに他ならない。聞いて感極まった皇后美智子も胸一杯の同じ気持ちで生きているわけだけど、とにかく日本は死傷者を一人でも出すような公害そのものを二度と繰り返してはならないはずの社会の前提条件を含んでいるのが勉強になると感じ入る。何万人もが犠牲となった戦後最大の公害の水俣病は半世紀を過ぎても一向に解決されないまま、人々が携わる政治経済の悪の全てを抱え込んだのと等しい事件だけに「見捨てられたんですね」の天皇明仁の一言は胸に堪える、偉く偉く。

要するに差別されているから何もかも上手く行かない水俣病の真実に嘆かわしくも頷かざるを得ない。

資本主義の卑しさという一つの利害関係から誰かに危害を加えても反省しない人たちがいる――心理上は自分の立場を嘘偽りなく表明するのを個人的に優秀な生き方だとさえも納得できるナルシズムのような快楽から止められなくなるのかも知れない――だけでも社会問題を解決するのは大変だけど、ところが差別する大勢の人たちが加勢して全国的に広がったりもすると 飛んでもなく難しく変わってしまうから最初から人権を尊重しながらどんなに理解し難くても皆を公平に判断するべきだ。

参考:水俣病資料館 国立水俣病研究総合センター Minamata: The Victims and Their World アイリーン・アーカイブ 写真で振り返る水俣病 あのころ魚を食べていなければ…胎児性水俣病、母の後悔 水俣病の悲惨さを世界に訴えた8日間・前半後半 石牟礼道子さん 水俣病への思いを語る

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