中学の先輩でプロ野球の選手になった人がいる。しかも一軍のレギュラーだ。年俸にしたら数千万円だろう、低くても。高ければ数億円の世界だ。最初はパッとしなかったというか、試合に出たり、出なかったりしていたけれども少しずつ定着するようになって行った。腐らずに練習に励む、そうした影の努力が実を結んだ結果なのかも知れない。
ガッツのある性格だったんだ
僕は小学生の頃から学校が同じで、彼は野球部で一つ上で野球部に同級生の友達もいたし、知り合いの知り合いみたいな立場で見ていた。しかし中学一年だけ僕も野球部に入った。部活動はやりたくなかったのにどうしてもやらなくてはならない校風だったんだ。好きだから野球部に決めた。入ったのは良いけれども全く面白くなくて殆ど参加しなかった。振り返ると自分でやりたかったのか。今日はキャッチボールで、明日はノックみたいに気分的に過ごしたくてスケジュールか定められた状況に馴染めなかったという。本心で入りたかったわけでもないし、時々、数えるほどしか野球部には顔も出さなかった。
ところで今でも良く覚えているのはプロ野球の選手になった彼にとても驚かされた。練習や何かが凄く真面目だった。一人だけ必死みたいに取り組んでいて空気が全く違うので、僕は気持ちが狼狽えるくらいだった。誰よりも早く来て誰よりも遅く帰るというか、とにかく野球への熱気がもう全身に漲り溢れ返っている様子に一目を置かざるを得なかったわけなんだ。学校としては野球に力を多く注いでもなかったし、他の部員も血眼になってとは感じられなかったので、彼が飛び抜けて見えるのも疑問だった。周りにはつまり不釣り合いなくらい頑張っていた。
地元の有名人になってから知ったんだけれども高校は甲子園(高校野球の全国大会の開催地)に出るようなところへ入学して実際に活躍しながらプロ野球の球団のスカウトに招かれたらしい。
命の輝きがきっと夢を叶える
考えると小学生か中学生のうちに目指す気持ちがあって野球をやっていたのか。人の倍でも丁度みたいな印象を持つ、夢を叶えるということは。そして倍の世界で頭角を現すにも又一層の弛みない努力が欠かせないんだろう。アマチュアからプロになるのも大変だし、プロで稼ごうとするのも大変だ。自分に向いていて好きならば続けられるというと天才肌な感じがする。彼はやりたくてやっているようなので、むしろ一本気らしく受け留められる。どちらにしても大事だろう。人生は大変な思いをしなくても構わないにせよ、大変な思いをしてまでも成し遂げたい志を有するかぎり、日毎、研鑽を積まなくては美味しくないのではないか、さもなければ見る影もなさそうな無駄骨とも思われる。
燃え尽きること、紙切れが灰になるように全てを出し尽くせたらもはや失敗したとしても悔いは残らないはずだといってみたくなる。簾花火が明々と夜空を彩る。命の輝きを記憶に刻んでこそ先へと進むんだ。諦めている暇はない。花が熟して実を結ぶのも止めてしまわないからだった、当たり前ながら。僕も日頃から正しく頑張るべきだ。望んでこそ道は切り開かれる。
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