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最も欲しいクリスマスプレゼントはやはり何といってもブログのアクセスの今年

雪混じりの樅の木の葉と松毬と赤い玉と金の星のクリスマス装飾

ブログを開設して十二月十五日で一年が過ぎた。Googleのサイト年齢によるサイト評価の底上げをずっと期待し続けて来たし、一気に一日千人くらいに跳ね上がって欲しいアクセスだった。記事数は六百件を越えている。十分にあり得るのではないか。またはそれぞれが一日一人を確保しながら五百人越えでも目下の一日百五十人から比べれば有り難いばかりだろう。特に変わらないので、認めるのものろのろの成長でしかない。強いられる牛歩にいつまで笑えるのか。

しかしまだ分からない。前回のブログは五月の下旬に開設して翌年の六月の初旬からやっとアクセスが伸びた。一年と数週間程でGoogleでのサイト評価が一変しないとはかぎらない。一ヵ月で一人だったのが五人にまで跳ね上がった。サイト運営に失敗していてアクセスそのものは少な過ぎたにせよ、Googleでのサイト評価が底上げされたのは間違いないだろう。まさか期待せずにはいられないわけで、今回のブログはもっとずっと好調だ。

登美丘高校ダンス部のバブリーダンスみたいにイケイケゴーゴーの境地に達しないものか。

日付を確認すると、丁度、クリスマスに重なって来るので、一日千人か、せめて五百人越えのアクセスを得られるのをプレゼントとして夢見てしまう、サンタクロースに最も欲しいと。

人生で初めてかも知れない、こんなに強く願う気持ちは。バスケットボールシューズが大好きで、履き続けていた青春期こそ振り返ると毎日がクリスマスだったみたいだけど、詩ではなくて詩そのもので捉えると児童期のお年玉しか匹敵しない経験だからイベントが合わない。正月にぴゅう太(初期のパソコンの一種)をテレビに接続して遊んだ素晴らしくも愉快な日々だけが記憶に甦るのはまざまざどころかうっとりでさえもある。感じ入るほどに比類ない。頷く。

今年のクリスマスは本当に心から親身に味わう

クリスマスの明るい飾り付けの部屋に立つ子供

まるで所縁のキリスト教徒のように神への願いを強く抱いているという気持ちがするんだ。死ぬしかないのだから四六時中の努力が報われなくては困るよ。一日でも素晴らしくか、ブログのアクセスが伸びて欲しい、驚異的に。神は偉大だと改めて知って祝いながら家で静かに過ごせると本当に最高の十二月二十五日だろう。

さもなければ人生を新しくも従来通りに覚えただけだ。上手く行かないまま、心行くまで笑っている。又掴んだ詩だ。救われるのは詩だけの世界は止めさせてくれといったにも拘わらず、実生活へ手は伸びて来ない。誠心誠意、神が愛するのはフランダースの犬のネロのような悲しみだろう。生きていては味わわれない幸せが必要だとすればいっそ自殺するべきだろうか。老いて高い病室の窓から飛び降りたドゥルーズは親近感を受け取る哲学者だったにしてもキリスト教を否認したかった。生憎というか、クリスマスが命日ではなかったから自殺した動機は他にもあるかも知れないにせよ、キリスト教の戒律(自他を問わず、殺人の罪が課せられる)へあからさまに逆らうためだったみたいに良く聞かれる。しかし僕にとっては諦念が重い、何よりも。

実生活へ伸ばされる神の手を生きたまま、味わってみたい。信じる者は救われると久遠に確かめるためにクリスマスにかぎらず、簡単に死を選ぶわけには行かないんだ。どんなに苦しくても日の目が見られると良いと思う。

クリスマスツリーと飾り付けのライト

現況、今年のクリスマスはどうか。たぶん無理だし、期待外れに伸びないアクセスでやはり失敗していつものように学ぶのが勝ちの人生だと一角も自然に騒いでいる。寒い寒い北極海の聞き飽きた詩――本稿ですらも再び――に笑いながら溢れ出す涙にも疲れを覚えながら初めて祈る思いが懐かしい。握手だ、精霊と。生きてなんかいなかった……。

巡り巡って手に入れた存在を活かさなければ行けないと思う。何がどうなろうと夢に向かって生きるしかない。犬も歩けば棒に当たるように降って湧いた好運でも引き寄せられると考えるだけが命綱なんだ。手放して斃るのは至って確かだろう。だから頑張るべきだと甚く感じる。

勇んで逃げ道を作るな。嘘でも二つ目の人生を練り上げながら気楽に過ごしたがるのが間違いの元なんだ。思わず、知らず、流れ出して行くばかりの時間と空間を少しでも多く掻き集められると全く以て嬉しい。

ならば詩にも頼るのは大概にしよう。気持ち悪くてもいう。一日千人のアクセスが果たせないうちみたいにおよそ許されてはいる。迂闊に有頂天の今此処は不幸の最前線でもありはしないさ。溜まったストレスを発散するだけの衣食住が足りたないんだ。我慢するな、健康に悪く響くから。辛くてどうしようもなくて死にたい。一日千人のアクセスが果たせないうちみたいにおよそ許されてはいる。夢が叶うまで頼もしい詩がないとさては知っておけ。歌うのは誰だ。

風ではない。いっそそうだ。訪問者と検索エンジンが聞き耳を立てているかぎり、驢馬のようにまるでもはや可愛い君たちのために呆れて黙るつもりにはなれない。僕が歌うし、喜んで些細な日常を更新するべきだ。華やいだ心こそ真実でもないのに端からやるか。疑って萎れるカサブランカほどに恋しいのだから振り向かせる、君たちを。ほんの僅かでも待たせるのが嫌いで、悔やんでいるときに優しく吹いてくれた風の思いに報いるんだ。悩ましいままに和み切るな。

クリスマスプレゼントに一日千人とかなんて驚異的なアクセスが欲しいけれどもたぶん無理でも落ち込まず、そして好運ならば益々と入る気合いで燃え捲るように頑張り尽くすと神へ誓うしかない。

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