BOØWYの解散宣言で認める日本的な格好良さ

自分の写真結城永人 -

1987年のクリスマスイヴ、12月24日の渋谷公会堂でのライヴの最後にBOØWYが解散宣言を行って活動を終了した。翌年の春に東京ドームで、もう一度、LAST GIGSというコンサートが、二回、開かれてメンバー四人が直ぐに集まったけれども本人たちによればお別れではなく、もう既に解散したための「少し早い同窓会」と呼ばれていて前年の冬の渋谷公会堂が最後の活動だったことは間違いない。以来、三十年以上が過ぎても再結成などは一度も行われないまま、圧倒的に博した人気から日本の音楽会で伝説のロックバンドとして語り継がれる存在になった。

格好良さの頂点を極めた氷室京介の言葉

ステージから背を向けて顔を手を当てた氷室京介

サンキュー。

えー、今日は、えー、皆にちょっといわなきゃ行けないことが一つあって、

六年間、

六年間、

六年間、BOØWYをやって来ました。

誰が何といおうと日本で、一番、格好良いバンドだったと思います。

高橋まことと、それから松井常松と、布袋寅泰と、氷室京介が、四人が、

……、

四人が、思いっきり、四人でできる音楽を、六年間、やって来ました。

……、

これから、一人一人が、一人一人のために、今まで四人でしかできなかった音楽をやって来たように、一人一人、これから、やって行こうと思います。

フォークのバンドじゃねえんだからジメッとするのは似合わねえと思うから、最後にビシッと贈るぜ。

ドリーミン。

ヴォーカルの氷室京介が代表してBOØWYの解散宣言を行ってバンドを結成した当初は碌に売れず、ひもじい生活を強いられる日々でも音楽を決して諦めなかった無名時代からの深い思いが込められたとても感動的な言葉ではないか。

聞くと人生を考えさせられてそれだけでも十分に凄いんだけれども個人的にもっと驚いたのが格好良さの本当の意味を知るというか、BOØWYが求めて来たアーティストとしてのロックなコンセプトにもあったような固有の格好良さが最後に凝縮されて伝わって来てはっきり分かると思ったことだった。

氷室京介の言葉の「フォークのバンドじゃねえんだからジメッとするのは似合わねえと思うから最後にビシッと贈るぜ」の部分なんだ。

最初、あれっと思ったし、フォークのバンドがいつも泣いてばかりいて格好悪いみたいな感じもしてしまうので、逆に酷いBOØWYと気持ちが引いてしまった。

僕が知るかぎり、ブログでも取り上げたかぐや姫の神田川などの飛んでもなく素晴らしいフォークソングが日本にはあったわけで、丁度、BOØWYが活躍する前の世代かも知れないけれども一つ社会現象として大きく取り沙汰される時代まで築いたのがフォークのバンドではなかったか、いみじくも音楽を志す日本人が馬鹿にして良いことにはならないだろう。

しかし良く考えてどんな言葉にも普通と特別の意味があると思うし、世の中で一般的に受け取るものだけが真実の言葉ではなくて人それぞれに固有のもので、特殊的にも受け取るとすると全く別の様相を呈する意味を途轍もなく素敵に掴んでしまった。

氷室京介とBOØWYはフォークのバンドをいつも泣いてばかりだから格好悪いと伝えたいのではなくてそれを個性としてしっかり認めながら自分たちは又別の個性をロックのバンドとして持つと伝えたかったのではないか。

すると本当に感動的な気持ちも爆発するほどの衝撃を「ビシッと贈るぜ」に心底と嬉しく認めないわけに行かなくなったんだ。

もしも自分と全く違う相手、何よりも個性の異なる他人を無闇に卑下しないどころか的確に称賛しさえもできれば人間として正しく尊敬に値するだろう。

BOØWYの解散宣言のフォークのバンドに対する気持ちは音楽を志す者として対等という尊敬に値するものとして捉えることもできるし、それまでの彼らの必死の音楽活動を振り返ると、余程、自分たちの個性を他のどんなバンドや何かとは切り離して唯一のものとして伝えかたかったと頷ける。

涙を見せずに格好を付ける日本人の美学

『Dreamin'』BOØWY 1988年4月5日|LIVE LOVERS

発言した氷室京介を含めてBOØWYのメンバー全員が自分たちのロックとは正反対のフォークのバンドの涙に咽ぶような人間味を湛える良さ、またはアメリカのフォーク/ロックのボブ・ディランがノーベル文学賞を貰っりもしたけど、一つの文学性が分かるとすると彼らが主張する格好良さはそれを否定するよりも肯定しながらやって行くことになるはずだ。

氷室京介は似合わないと捉えたので、表現上、自分たち、ロックのバンドはフォークのバンドのように涙を見せるスタイルではないのは直ぐに分かる。

そこで本当に凄いと感心するのが人間味や文学性を只単に退けるのではなく、大切な意味を理解しながらやる場合で、涙に象徴されるとすると敢えて隠すとか忍ぶなんて境地が新たに想像されるけど、とにかくこれが日本の侍魂/武士道に繋がるのが僕にとって驚くべき発見だった。

昔から「武士は食わねど高楊枝」という言葉があって日本の高度経済成長の時代を経て世間的に聞かれることは滅多になくなったかも知れないけれどもたとえ貧乏で飢えてどうしようもなくても武士は自身の立場を崩さず、すなわち矜持や気概こそ食って生きるみたいに人間としての尊厳や高潔をひもじい生活でも保つから非常に有り難い存在なのを示していた。

実際の辛い気持ちとは裏腹の素敵な生き様に触れると格好を付けると感じるし、侍/武士の己の道を極める哲学や物事に命懸けに励む優れた精神性が憧れられるくらい良い。

BOØWYにも共通点があると氷室京介の解散宣言の言葉から認めずにいられない。

古くからの侍/武士の格好良さは日本ならではの風土から生まれたものだろうけど、とにかくそれが新しい全く別の分野の人たちにあるのは面白くて素晴らしい。

BOØWYは実際に「武士は食わねど高楊枝」みたいな生き様をロックのバンドとしてやって来ているだけに半端なく胸打たれるんだ。

音楽の作品や演奏はもちろん、様々な言動、さらに人気の絶頂で辞めてしまう、以前から売り上げの一位を取ったら解散すると決めていたのをMarionetteで果たした1987年頃から大きく押し寄せる名誉や金銭などの欲望に目が眩まないまま、誠実に実行したらしいところにも良く出ている。

侍/武士は今では日本にかぎらず、世界で胸打たれる存在として取り上げられるけれども他でもない有り難みを感じさせてくれる音楽をやったのがBOØWYだと考えると人々からとことん愛されて日本の伝統のロックバンドの一つになるのは確かだと納得するし、日本人として嬉しい。

参考:「氷室京介は“解散”と決して言わなかった」BOØWYドラマー高橋まことが語る「一番悲しいクリスマスイブ」

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