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些細な日常

ブロガーの域

十数年来、詩のホームページをやりながらブログはメインではないという気持ちがあってどこか力が抜けてしまっていたようなんだ。それはそれで一つの魅力かも知れないんだけれども詩や他の創作と比べても遜色がないくらいブログを徹底して載せても良いのではないかと考え出している。文字数も平気で千文字を越えていたりする最近、否、やろうと思えば僕には幾らでもできるし、二千、三千文字でも時間の許すかぎり、ちょっとした短編小説並みのブログ(四百字詰め原稿用紙十枚/四千文字) でも面白そうに感じる。二十代で小説ばかり書いていた頃は一日にそのくらいでやっていた。流石に五千文字以上は厳しかった。しかしブログならば必ずしもストーリーの展開みたいなものは気にならないので、疲れも来難いようだし、どんどん行けてしまうだろうとは思う。

だから本当に制限するべきではないのではないか。詩や他の創作がメインで、ブログがサブという位置付けを取り払って少なくとも同じくらい一生懸命に頑張りたくなった。毎回ではないけれども気が向いたら強いて字数を減らしてコンパクトに纏めなくてもというわけだ。文章を削るとすると意味合いが変わるし、短く切り詰めながら完全に表現できるかどうかは作詩のように楽しいはずにせよ、創作として捉えれば長くするべきところを長いままにして置いておくことは又別の趣きを与えるに違いないんだ。

ブロガーの域に達したかも知れないと専ら感じたりするけど、やはり長いところを長いままでの文章が特徴的だろう。喋りに近い。普段、僕は人と余り殆ど喋らない。ただし心で物凄く喋っていて独り言か、作家活動だと次から次へと浮かんで来る言葉を選んで詩でも小説でも流れを生み出して行くわけなんだ。本当、認識に即して一本調子で続けて行くだけではなくて壁に打ち当たると様々な可能性も考えなくては結論は導き出せなくなってしまう。況んや十数年の経験ですっかり身に付いていて極端な話ではなくて朝も昼も夜も考えているし、言葉は浮かぶのを止めない。良い加減に勘弁して休ませて欲しいくらいなんだ、神様には。いつもいつも作家活動というのに等しい。独り言もおよそ口には出さずに考えている状態と変わらない。

そうこうしているうちに千文字に差しかかった。二三時間くらいで、僕には丁度という具合か。長文のブログもやっていると気持ち良いものだ。充足感がある、仕上げては振り返ってみても。詩や他の創作に勝るとも劣らず、望んだように取り組まなくてはもはや詰まらない。大抵、短くするばかりの文章ではなくて長くするべきところを長いままにそして喋りに近くだ。すなわち自由に載せて行くべきだし、ブログでも自分らしさを存分に出して行くためには欠かせなくなって来た。

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