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季語という俳句の魔力

歩道に寝転んだ猫の後ろ姿

猫が寝ている。数年前の写真でまるで死んだように見えるからサイトで公開するのは躊躇われたんだ。誤解されてはならない。

ガラケーで撮影したけれどもスマホで初めてエフェクトをかけてみるともう少し生きているように見えて来たかも知れない。

本当に可愛い。晩春にのらくら歩きながら僕が近付いては逃げることもなく、道端に寝転びながら柔らかく休んだりしていた。思い起こせば懐かしさに一句を詠みたくなる。

晩春や寝転ぶ猫の生き心地

どんな季節でも変わらない事象に季語を合わせるだけでも世界がパッと弾けるような感じがして来る。

就中、俳句の魔力だろう。季語に秘められた俳句ならではの詩観があると思う。

中句の「寝転ぶ猫」がまるで地蔵のように胸に響く。下句の「生き心地」が宇宙を掴ませる。俳句の宇宙は詩の一般的な宇宙とは違って内面性とは必ずしも結び付かない。内面性が言葉に表現されてなくても成り立つところが非常に特徴的だ。上句の「晩春」という季語が事象に心で迫るように宇宙を呼び寄せてしまう。いうと「寝転ぶ猫の生き心地」が「晩春」の宇宙として世界を途方もなく広げて示し出してしまう。

猫ならばのらくら過ごす五月かな

俳句の魔力を覚えるとよもやどんどん詠みたくなるけど、ありのままに表現してもインパクトが強い。本当に何も感じないくらい素晴らしくて余りに美し過ぎるはずの詩でも直ぐにできる。敢えて「五月」という面白味の少ない季語を入れながら風が透き通るようなイメージを出したかった。自分でも心から癒されずにいない。

些かも咲かぬ皐月のそばに猫

俳句で中句に季語を持って来るとイメージが上下にバラけるから比較的に難しいかも知れない。ただし焦点が結ぶと一句のスケールが大きくなる。事象よりも世界の手応えが増すので、超短詩なのに長編詩に匹敵する味わいの長さが掴み取られるというのも季語の魔力ではないか。一生をかけても解けない謎みたいなものがイメージに生み出され易いんだ。

哲学的に考えればなぜ僕は存在しているのかと同じように俳句の一句自体が根本的に問いかけられてしまう。この世界はどうしてあり得るのかしら。時空を伴って持続的に知覚される事象とは何なのか。本当に今此処で胸を締め付けるような経験を与えられるし、涙ながらにしてかけがけのないものと受け入れざるを得ない気持ちがする。

俳句の季語は宇宙を如実に受け取らせる。祈りの世界としての詩へ仕向けられる感じが平和だ。一つの魔力で否が応にも避けられないみたいな雰囲気が著しく増して来る。

日本ならではの作詩法とすると日本人にとって愛される所以とも認めたくなるんだ。

平和、祈りの世界、詩、宇宙と逆転的に捉え返して行くと内面性が重視されるべきだし、やはり個人は大事なので、俳句も言葉使いに内面性を持つほどに他の詩と同じように完成度は上がるだろう。

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