ブログの以前の記事を見ると文章が長くても段落が少なかったりする。本当に昔から日記やエッセイで気付いてはいたものの段落分けを減らして打ち続けるみたいにやりたいとむしろ考えていたせいだった。
しかし文字数が数千とか達するほどの記事だと読むのには相当に厳しい
一息で数百字の感覚でずっと日記やエッセイをやっていたから文章量が増しても同じような形を取っていたと振り返るんだ。
千文字を越えるような長文だったら段落分けで息継ぎを増やさないとそれこそ論文調の雰囲気にもならざるを得ない。ブログの記事は論文調でも別に構わないし、内容が伴っていれば必要だから結局は文章のスタイルを多種多様に使い分けることが大事だと思うようになった。
かつて自分を出したくて作品で押し通そうとして日記やエッセイはこうなんだと一気に書き捲るばかりで段落分けを減らしながら密かに喜んでいたけど、作品そのものの性質が変わって来ているわけだから直すべきところは直さないと自己表現としての完成度が下がると自戒を込めていっておきたい。
もはや文章の内容に見合ったスタイルを創造しながら常に凝り固まらずに柔軟性を持って取り組んで行くことこそ要求されてしまうかぎりだ。
他の創作物ならばできていたとするとブロガーの域が思い返されてしまう
ブログの日記やエッセイでも詩や何かの作品に負けず、劣らず、仕上げて行きたい気持ちが芽生えたわけだけれども自己表現のスタイルにおいても同じような水準まで押し上げて行くべきだったというか、記事そのものが様変わりして来ている中では一つの典型的なパターンから完成度が追い付かなくては納得できない感じが増している。
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