キャサリン・タイナン・ヒンクソンの一人者の日本語訳 結城永人 - 2020年11月28日 (土) 十九から二十世紀のアイルランドの作家、小説家で詩人のキャサリン・タイナン・ヒンクソンの小説の一人者(1896)の日本語訳を行った。一つの文学作品として人間の洞察力に富んだ優れた内容を持つだけではなく、表現も意義深いから外国語の英語の聞き取りと読み取りの教材としても最適だと感じる。 キャサリン・タイナン・ヒンクソンの一人者の英語の出典 Katharine Tynan Hinkson by Unknown / Public domain A Solitary by Katharine Tynan Hinkson/キャサリン・タイナン・ヒンクソンの一人者原文:Project Gutenberg(作品集)朗読:LibriVox(デイヴ・ガレスピー) 両方ともパブリックドメイン(著作権なし)だから無料で自由に使って構わない。 キャサリン・タイナン・ヒンクソンの一人者の日本語の訳文 The Liffey at dusk by seanegriffin / Pixabay 兄弟には二十歳の差があった、それでも見た目はもっと離れていたかも知れない。パトリック、弟は血色が良くて美しかった;兄、ジェイムズは不評だった――灰色の萎びて老いた労働者で、その人生の失敗の記録が顔に刻み込まれているのだった。彼の会話はどのような場合でも冷笑的だった。若い人たちがトランプで遊ぶか踊って楽しんでいる部屋に入って来ればその影が彼の前に現れて浮かれ騒ぐ人に重く伸しかかった。幸い、彼はしょっちゅうそんなに邪魔しなかった;立派な家の最上階の自室にいる方が幸せで、そこには本や大工道具があるのだった。もしも彼の冷笑主義が萎れたああした若い人たちの一人が大工仕事の彼を見たらどんなにか異なって彼は思われただろう! 彼らは寛いだ非情さを持つ彼を知っただろうし、彼の灰色の顔が興味を持って明るくなればその小さな上機嫌な口笛を十分に、鷽の鳴き声のように一面に聞いて驚嘆しただろう;夜、自分の望遠鏡で星を見渡して空想家と研究家の喜びに震え上がったとき、彼は新しい人だった。賢い人、本領から生まれた、つまり辛い生活の間に得ようと考え出したような教養だけを持っていた。自分に訪れるものに熱心に順応したし、戸棚のあれらの本の一冊ずつ、稀な旧友たちを百回と読み返すのだった。 彼は少年期にチャンスを得たに違いなかったが、彼の父親は常軌を逸した大望を自分の息子に世界で最も奨励しそうにない男性だった。父母は似ていた――厳しく、欲深く、品がない。父親は全体において長くて蒼白い馬面の首尾良く嘲笑う母親よりも愉快な人物だった;妥協なしに厳しくて全世界に無愛想なだけだった。 これらの二人に加えて他の子供たちがいた、大分、前に亡くなったか散らばって。二人の少年は逃げ出しながらアメリカへ向かったのだった;その最初の故郷への手紙が答えられずに残されており、一二回の試みの後、書かれなくなっていた。少女一人は修道院へ潜り込んだのだった、寄宿学校から戻ったときに己の両親の家庭生活を恐ろしく見遣った後。未だほんの子供のうちに遠い町の修道院へ送り出されたのだった。彼女は繰り返す休暇に行き来したのだった、未だ幼くて自分の家の魅力のない決まりに漠然と不快感を与えられることもなく。しかし十六歳で「この先ずっと」家に来た;大変な悪運のために哀れな小さなエイリーはいったのだった、その完全な浅ましさに自分のものであるべき人生の過酷な仕方を覚ったように。疑いなく、彼女は自分の枕を修道院の純粋で穏和な雰囲気へと優しい声と穏やかな目の尼僧たちや世の中のこんな身の毛も弥立つ生活のそばで清らかに理想的に輝く霊的な生活への涙で夜毎に濡らした。だから、少しの後、彼女は意志を持って修道院へ逃亡した。 ジェイムズは自分がなぜ境界を越えてトムとアリックと共に逃げ去らなかったかを決して理解できなかった。きっと彼らよりも忍耐強い性質なのだった。きっと人生に抑え込まれていた。それは、実際、自らの場所に死人みたいに落ちて行くことに満足を覚える夜の苦役と変わらないけれども過労と使い古された馬が尽きない緑の牧草の土地を夢見ながら人から悩まされずに眠るような睡眠との繰り返しなのだった。アリックとトムは若かった。彼らには彼みたいに苦難に打ち拉がれている暇はなかったのだったし、パトリックはまだ赤子だった。友達か世の中の喜びは彼らの最も狂おしい夢に及ばなかった。その両親がその生活として考えるのは悪さをさせないはずの重労働が一つだった。ジェイムズは、当時、自分が爽快に起きた朝を決して思い起こせなかった;いつも耕馬を追うか牛に餌を与えるときに眠気に襲われていた。最も粗末な食べ物、最も貧弱な眠りが家の決まりだった。喜びも愛も優しさもそんな壁の中には決して息付いてなかった。 そうする内に父親は年を取ることになった、冬には暖炉のそばにもっともっと座る時が訪れ、そのグラスのグロッグをちびちび飲みながら地方紙を読むかその妻の刺々しいペチャクチャを聞いていた。ルーニー夫人は極端な憎しみによって全ての善良で気安い隣人たち、己の子供たちにとても寛大で、踊り、競馬通い、トランプ遊び――アイルランドの中流階級の娯楽を奨励する者たちを嫌っていた。毒舌を持ち、もはや、一度、向けられれば誰も安泰とは行かなかった――最も神聖な人も最も純粋な人もその汚辱を免れなかった。 労働者たちが若い主人を老いた方よりもむしろ重要だと考える時はもう直ぐだった;ただし彼らの都合によってジェイムズ・ルーニーがフェニアン主義に引き入れられることは決してなかった。その陰謀は正しく感じ易い少年の心を奪い取るものだった。詩、母国へ浪漫的に献身する魅力がその飢えた理想主義を食べさせた;真夜中の教練と危険が惹き付けられる要素だった。ジェイムズ・ルーニーはその他の者たちと教練し、ダークロザリーンへの忠義の誓いを彼らと立て、丘が雪で覆われたある冬の夜に彼らと出、辛うじて仲間の何人かが懲役に送り込まれた逮捕から歯の皮とも逃亡したのだった。 ルーニー夫人が「少年たち」の中の自分の長男が柄に合って見ものだと見出だしたときの侮蔑は驚異的だった。若人は公然と信用を落とされはしなかった;つまり警察はその容疑をかけたけれども決め手に欠けていた、そして問題はルーニー夫人をカンカンにさせる家宅捜査で終わった、というのも彼女は紳士階級に気に入られようとする奇妙で従順な大望を持っていたためだった。 しかしながらその後に直ぐ、彼女は養鶏場で、ある苦い日、のんびり過ごしていたとき――誰も決して当てにせずに自分だけが卵を施錠した鶏小屋から集めるのだった――風邪を引いてそれから間もなく亡くなった。かりに生きていたらきっとジェイムズは決して自分を主張する勇気を持たなかったし、経営をそうしたように掌握しなかっただろう。しかし彼女の死によって老人の鉄の強さは崩れ去ったようだった。彼は彼女の最後の依頼を遂行した、それは農場の働き手を一日も休ませないために自分の葬儀を日曜日に行うということだった;そうすると息子の新たな大した気迫に相当に驚かされつつは安居に身を任せるのだった。 ジェイムズ・ルーニーのこの独立はフェニアン主義の結果では、全然、なかった。実際のところ、恋に落ちたのだった、今まであらゆる寛大な感情を抑圧されて生きて来た一人の男の圧倒的な情熱によって。少女は陽気で、甘美で、しかも自身の家庭の光の情熱を有する人間だった。その家でジェイムズ・ルーニーは初めに何と楽園の家なのかと覚った;つまり自身の陰鬱で悍ましい環境から訪れたとき、彼女のところの陽射しには殆ど盲いられたのだった。小麦畑の中のその白い家には愛が行き渡っていた。または愛だけではなく、慈善、厚遇、愛国心、信仰も。粗雑な言葉がそこで聞かれることは決してなかった;一家の動物でさえも、南の窓のカナリア、気持ち良い猫、仲良しの犬、世間並みの陽射しの性質を帯びていた。 彼らは最も熱いタイプの反逆者だった。息子一人はフェニアンたちと出て今はアメリカにいたのだった。彼の国外放浪は苦くも父母への誇り高い悲嘆だった;しかし彼らの熱気は企てた反逆の転落に弱められるよりもむしろ磨がれていた。夜にカーテンが引かれてドアが「お巡り」への全ての恐怖に向けて閉じ切られてからダブリンの訴訟を報せる新聞紙が手から手へ渡されるか極度の静寂の只中で読み上げられた、紅潮した頬、握り締めた手、頻りに咽び泣きを伴っており、そのことが聞く者の情熱的な気持ちを物語った。 時々、エレンは彼らに歌うのだったが、彼らの仲間が監獄か被告席にいる今、小さく陽気な歌をさほど楽しく震え声で歌うのではなかった。悲しみを催させる、情熱を有する歌を持っており、豊かな声で歌われるのだった、感情に震え上がり、あるいは聴衆の心臓を高鳴らせては血を血管に駆け巡らせるが、再び戦闘と復讐の一節を。そんな瞬間にエレンは艶かしい金褐色の瞳と赤銅色の髪の毛で、『堅果の房』の詩人みたいだった。 我は乙女の歌う歌をリフィーの 波のそばで聞いた。 サクソンの奴隷がサクソンの言葉遣いで、 自らの土地を歌った。 おぅ、我にケルトを連れて来い、親愛な 敵手サクソンを呪った者を。 汝の我が歓喜した耳ぞ魅せしとき 〈我が堅果の房を!〉 その愛ある輪へ自由に入った者たちの中で、ジェイムズ・ルーニーは愛情深いと見做された一人だった。彼をそこに連れて来ることになった人、モーリス・オドンネルは彼のヨナタン、否、彼のヨナタン以上だった、というのも彼に若いルーニーは英雄崇拝を与えているためだった。彼は、実際、英雄的な人物で、その友人よりも年上で、勇敢で、聡明だった。 ジェイムズ・ルーニーは己の愛、または望みについて誰にも喋らなかった。というのも望みを持つためなのだった。エレンは誰にでも優しく、彼を特別な優しさで選り選った。彼は彼女の深い瞳の中に自分への内気で華奢な何かを見ていた。というのも時に謙遜して彼女の視線を正しく読み取ったとは定かではなくなったもののついには自分が選ばれた歓喜が凄まじく押し寄せるのを信じたためだった。 彼は喋らなかった、その喜びをぐずぐず扱うのが幸せ過ぎたし、日毎にぶらぶら待つのだった。ある夕べ、彼は彼女が歌うのを見守っていた、目に心の全てを込めたまま。こうした人たちが優れた正直さでそのときに掴まれたほどではなかった人々の間ならば彼の秘密は開かれた娯楽になっていただろう。しかし父母は涙で霞んだ目をして聞いた;妹たちは暖炉の周りで歌の感情と共に紅潮しては青褪めた;聴衆の心は歌手の唇に縋り付きながらその目はうっとりとしていた。 突然、ジェイムズ・ルーニーは輪を目覚めの人の気持ちで見回した。友人が向かい側にいた、やはり歌手を見詰めながら;彼の表情の意外な事実に若者の方は衝撃と共に寒気を感じた。歌が終えられたとき、彼は静かに「おやすみ」というと帰宅した;というのもこの一夜は連れを持たないのが嬉しかったためだった;何が為されたのかを考えるための静かな隔たりが欲しいのだった。 さて、モーリス・オドンネルが彼女を愛すると覚ったとき、彼は思い切って彼女を得たと考えた自身の愚かさを呪った。思った眼差しのどんな少女が灰色で鰓の張った彼を連れ出しただろう、理想の愛国者の雄々しく見える同輩の前に。またはエレン――エレンは生きる全ての女性の中でモーリス・オドンネルの質の良さが最高に分かるのだった。その夜、彼は己の城が荒廃した只中で自らの失望した思いを考えながら頭を手に下げたまま、ずっと座っていた。灰色の夜明けに戦きながら立ち上がったとき、己の人生のそんな頁を閉じたのだった。彼はまるで既に少女が彼らの間で選んだように感じた、もはや自分が求めていることは知られたと。 それで終わりではなかった、しかしながら。かりに打ち捨てられたならば彼は自分にとって楽園になっていた家へもはや行かないというその高貴で英雄的な決意を実行したかも知れなかった。ところが彼の友人は彼を追った、二人の間の知りたがりの思い遣りを持ちつつ、そして彼の肩に腕を掛けつつはその秘密を引き出した。彼はそれを話してしまったとき、自分の顔を彼らが立っていた炉棚のそばで下げた、同じ女性を愛したゆえにオドンネルの顔を見るのは恥ずかしかったので。一秒の沈黙があり、そうするとオドンネルは喋った、もはやその声は今までの冷たくて怒っていたのから思い遣りが前よりももっと増していた。 「だから君は引き下がって私に場所を明け渡すんだな、お仲間!」 「おぅ、いいえ」と謙遜していった相手、「僕にはチャンスが全くなかった。たとえ彼女以外の誰も目に入らなかったとしても貴方の秘密を知ってしまったし、思い切って彼女を愛するべきではなかったんだ」。 「良い奴!」といったオドンネル。「しかし今やチャンスを掴まなくてはならないよ。もしも彼女が君を私よりもむしろ選ぶならば――もはや神に懸けて! 私には彼女がそうでないだろうとは定かではない――それは私たちの間を断じて分け隔てはしないだろう。どちらが運を先に試すべきか?」。 彼らは籤引きをすることになり、かくてオドンネルが先に伝えることになった。一二晩の後、ジェイムズ・ルーニーがエレンの家へ向かった途上で、彼は追い付いた。その腕をルーニーのに組ませるといった、「まぁ、お仲間! 私は放棄してしまった。君に、今夜、同行するつもりはないが、君のチャンスは相当な価値があると信じるよ。現在は君の喜びを望まなくてはならない、ジム」。 彼らは喋って得られる以上に一杯になった気持ちで黙って一緒に歩き続けた。白い家まで曲がる田舎道で自分たちの愛は変わらず、どんなことが起きても問題ではないという握手と共に分かれるのだった。その夜、ジェイムズ・ルーニーは自らのチャンスを得ながら伝えた。少女は非常に嬉しがり、彼が続けるほどに興醒めさせられる上の空の様子で聞いた。終えられたとき、彼に答えるのだった:―― 「貴方の妻になることは決してできません、ジム。私は自分で選びました」 「しかし――――」と口篭った男。 「貴方のいうことは分かります」、彼女は静かに答えた。「モーリス・オドンネルに同じ答えをしました。なぜ貴方方のような御二人に私が好かれたのか? 私はそれに値せず、それに値する少女はいませんよ。いるべき、またはいるのは誇り高い女性ですが、私は貴方方の御二人と結婚することはできませんし、きっと選べません」。彼女は半ば悲しげに笑った。「考えるのは止めて下さい、ジム、そして許して下さい。私は修道院にお告げの祝日で離れます」。 もはやこの決断から彼女が動かされることはなかった。彼女が修道院生活の前に現実に決断していたかどうか、あるいは二人の友達を引き裂くことを恐れていたかどうか、誰にも分からなかった。その時からオドンネルもジム・ルーニーも白い家で見られなくなり、そして収穫期にエレンは自分でいったように聖マリア修道院に入った。ジム・ルーニーは他の女性を決して愛さず、そして翌年にモーリス・オドンネルが新聞の編集者の職に就くためにニューオーリンズへ行ったとき、ジム・ルーニーはさよならを愛さなくてはならないのと同じように末永く友情へ告げた。 老いた父親は亡くなって二人の息子に分け与えられるべき財産を残した。全くの吝嗇りによってそれは多くはなかった;農場についての不幸な、貧しい、沈鬱な、侘しいものがそのままにあるようだった。ジムは育ち盛りの若い男に良い兄弟だった。彼を少年期に良い学校に通わせてその遺産の取り分を自身へよりも大事に使った。彼らは当人らよりも遥かに裕福だと評判になり、すると多くの少女が大いに喜んでジム・ルーニーと縁談を持とうとした。しかし彼は全ての世の中の申し入れに背を向けた、そしてやがて気難しい老けた独身男性、その前の父親と同じ道を辿りながら「冷たい心の吝嗇ん坊」として有名になった。しかし農場の決まりは大変に異なっていた、誰もが認めていたけど;自分の使用人にジェイムズ・ルーニーは寛大なでしか全くなかった。 やがて弟は学校から帰宅した、陽気で、軽い心で。背の高い若大将で、やがて見事な赤い口髭を貯えると果敢な青い目に釣り合う駆け回る歩き振りを示した。彼は直ぐにジェイムズとは反対に同じくらい人気者になり、もはや「良いお相手」の評判から娘たちで一杯の多くの家で歓迎されるのだった。 ある日、若輩が自らの身を立てる計画をその兄弟に持って来た。農場からの取り分を引き出して直ぐ近くの田舎町で売りに出された雑貨店に使うことを望んだ。さて、ジム・ルーニーは商店をとても不味いと考える奇異な自尊心を持っていた。土地は全く別のものであって農業は彼の気持ちでは天下の何れの高尚な職業とも同じだった。しかし彼は自分が弟をその考え方に合わせることはできないと全く理解していた。穏和にいうのだった:「するとお前は農場を去って自らの身を立てようと、パトリック、なぜ決心したのか?」 弟は頭をぎこちなく掻きながら一二の弁解を与えたが、最終的に真実は明かされなかった。可愛いジャニー・ハイランドに好意を抱いており、彼女は彼に好意を抱いていたが、ある金持ちが彼女を求めており、弟は「もしも父さんが如何に僕の取り分が少ないかを知ればドアを僕に指し示すことになるだろうと考えているんだ」と簡単に伝えた。 「ジャニーは知っているのか、パトリック?」と訊いた兄。 「おぅ、畜生め!」といった若い方、半ば照れ笑いで。「僕は女性を過度に信用しない;しかしグラディズを持てば直ぐに彼女たちが考える以上の金持ちになれるさ。老いたグラディは大金を残してくれる、もはや仕事には老い過ぎている。若者にとっては素晴らしいチャンスだ」。 「なぁ、パトリック」とついにいった相手、溜め息と共に「お前の取り分でグラディズは買えないよ、ただしお前のと私のと一緒で買えるだろう。私がお前に何とかする、つまりお前も自分の取り分を農場に置いて良い。お前のために農作するよ、店に関わり合う何も頼まれなければ。チッ、チッ、だろう!」、彼はいった、パトリックの内心は喜んだ抗議を押し退けながら、「私の持つ全てはいつの日かお前のものになるのさ、もはや今ではないか、お前が幸せになれると考えるときは?」。 そこでパトリックはグラディズを買うと家にジャニー・ハイランドを連れて来た。殊の外と成功したし、アイルランド人に特徴的な自分の富を惜し気もなく見せしめる。彼らは古い家を増築した、袖と別館を広げ、一面に低木を植え、車道を作って。若いパトリックは成長するに連れて大学と学問的な職業を目指す、そしてパトリック夫人はダブリンの時季を考えては城へ招待される。彼女の家はとても見事に備え付けられ、毛足の長い絨毯と多くの鏡と至る所にブール細工やオルモル装飾がある。 彼女は自分の義兄弟が全ての栄耀と良好の中の一つの汚点だと感じる。パトリックが初めて彼女を家に連れて来てから彼女はジェイムズ、可成、何年間も欠けるよりは満ちる物を激しく忌み嫌った。彼は彼女を少しくらいしか気にしない、昼間は農場で働いて夕べにはゆっくりと重い足取りで上の階の私室へ離れるが、そこには自分の本、大工道具、望遠鏡があった。だが、彼女の言葉には蚋が刺すみたいに悩まされるし、何年もの口喧しさには苦々しくさせられてしまう。 彼は彫刻や収納作りの喜ばしい欠片を、時折、清掃する、または家の中のあらゆる壊れ物を限りなく念入りに修理する。自分の屋根裏部屋に上がると厄介事は自分から消え失せてパトリック夫人の鞭打つ言葉遣いを忘れる。最も大変なのは彼女が子供たちの自分への友情を止めさせることで、彼は自分がそうするだけでも心から愛するのだった。 他の女性たちは可成と彼女をそれについて責めていた;実際、グリーソン夫人は、ある日、家について手際が良いためだけでも人間は生活費に値すると彼女に話した。パトリックは己の妻の愚弄と好き勝手に初めは赤く困ったものだったが、慣れて成長していた。半ば己の妻が古いジムの溜めているという秘密の貯蔵庫を信じるようになってしまう。 そうする内に土地は以前と同じくらい貧しくなった、というのもジェイムズにそれを乾かして調子を上げるべく必要な排水設備に費やすためのお金がないためだった。彼の取り分ではとても生活費を払えないし、衣服や本や道具のためのお金は実際に殆どない。彼のお粗末さにパトリック夫人は又別の不快感を受けた。彼女は自分が無理にジェイムズをこれから自宅には顔見せさせず、他のところで彼のお金で暮らして行かせるのだと親友たちに断じてしまう。侮蔑を農場の取り分を押さえる兄さんの利己心のために夫へ表すのだ、彼が既に、彼女が述べるように「お金に腐っている」に違いないとき。パトリックは己の妻を甚だ恐れ過ぎて今や非常に長く保っていた秘密も話せはしない。 しかしジェイムズは己の高い屋根裏で山々と空を見上げる、そして彼女の嘲りの記憶を素晴らしい仕草で自分から振り払う。 参考サイトAn Isle in the Water - Katherine Tynan 英語の小説の日本語訳 コメント 新しい投稿 前の投稿
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