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武田邦彦の暴利を貪らない経営という道徳心の経済学が格好良い

人間的に感心させられて最も気に入る世直しの道徳心をブログに取り上げた武田邦彦(工学博士)が同じようにも総額一億円のお年玉企画から注目せずにいられなくなった前澤友作(起業家)について多額の個人資産による民間人で初めての月旅行の計画を暴利をむさぼるのは経営ではないで問題視しているのが分かって戦かされた。

僕にとっては二人ともとても素晴らしいと認められる存在なので、ややも敵対する状態なのは寂しい気持ちを強いられるけれども先ず以て本当かどうか、武田邦彦が前澤友作の生き方をかりに部分的でも拒絶する真意を探ってみないわけには行かなくなってしまった。

武田邦彦は名指しで誰も非難するつもりはないらしくて、偶々、前澤友作が数千億円ともいわれる月旅行などで超大金持ちとして巷で取り沙汰されているから気がかりだったに過ぎない。他にもパソコンソフトのWindowsが企業でも家庭でも売れ捲りのマイクロソフトの経営から長年にわたって世界屈指の大富豪として知られるビル・ゲイツの名前を挙げているんだ。

何れも本人へどうのこうというよりも市民全体と余りにかけ離れ過ぎた経済力を持つ一部の資産家の是非が一般的に考えられている

そして前澤友作が超大金持ちとして問題視される射程には昨今の格差社会という人々のどうしようもないほどの貧富の差が大きく反映していてなぜなのかを武田邦彦は暴利をむさぼるのは経営ではないで解き明かそうと努めたんだ。

僕が知るかぎり、少なくとも前澤友作は今目立って叩かれるべき経営者ではない。昨今、例えばNISSANのカルロス・ゴーンが年収百億円以上の会長で逮捕されて失職した――次いで三菱自動車とルノーからも会長や社長という要職を追放された――ように本当に悪どい利益を不道徳に企てるずる賢い手段のもっと酷い経営者は他に幾らでもいるのではないか。表立って自分は大富豪だと月旅行の計画の他にも超高額の名画を幾つも購入したりしながら皆に見せびらかす前澤友作はそれ自体で性格が卑しいとか下品なんて嫌われるのは得てして仕様がない状況にせよ――言動を受け取る皆の気持ちそのものは千差万別だろう――現実には大した意味はなくて同業で親しい堀江貴文が納得しても真似できないくらい新しい経営を世の中に役立つと実感して誉め称えるように可愛いだけとも過言ではない。つまり本人に後ろめたい目標や不法な取り組みがないからこそ超大金持ちとして正々堂々と暮らせるし、人間的にも自分らしくて格好良いなんて可能性が反対に捨て切れないわけだ。

前澤友作の起業家としての理念を知ればZOZOTOWNの社長だから自分一人で密かにボロ儲けするだけではなくて社会貢献への意欲も同じくらいあるだろう。Twitterで放った「金持ち貧乏」の一言が人々へは最も分かり易いか。思想上、皆のために使うのが金だから会社経営が上手く行って起業家の自分は富裕になるほどに地位も名誉も上がるにせよ、そこからいつまでも一人勝ちで生意気に偉ぶるために私利私欲のがめつい生き方(金銭欲こそ全ての守銭奴)を選ぶよりはまっ逆さまに無一文を目指さなくては詰まらない気持ちを示している。世の中の他の経営者と比べて必ずしも下らないから前澤友作は早く消えて欲しいみたいに僕は仮初めにも断定できない。

本音を探ると武田邦彦が前澤友作を拒絶する必要は全くないというか、事実上、彼のような経営者が増えてこそ企業の社会貢献は今よりも加速して格差社会も是正されるはずだし、それでも尚生まれる人々に無益な富裕層に対しては正しく法律で桁違いの税金を課すなどして政治的に抑え込まなくてはならない。

武田邦彦が暴利をむさぼるのは経営ではないで前澤友作をビル・ゲイツと共に酷い経営者として否定するのは専ら世俗認識としてだ

皆に真似して欲しくない。超大金持ちはそれ自体で捉えた場合には異様なまでに自己満足を味わう鼻摘み者でしかないから衣食住に凄まじく余裕があって羨ましいと心引かれても英雄視するな。いい換えれば国も人々も駄目にするのが社会的に得られた資産なのに恩返しもしない贅沢三昧の富裕層なんだ。そのための見せしめとして武田邦彦は名前を挙げて前澤友作やビル・ゲイツと叩いているに過ぎないわけだ。他意はないにせよ、本人そのものは超大金持ちとは切り放して捉えないと間違えるから注意するべきだ。

表現上、誤解を恐れずに大口を叩くから武田邦彦の見識は不正確で不味いと責められなくはないけど、ただし世直しとして分からない人に真実を気付かせるには有効だから面白いと無批判に僕は受け入れるんだ。

世の中で超大金持ちは悪いと一般的にいうよりも名指しで誰かを悪いと個別的にいって初めて分かる人こそ圧倒的に多いためだ。

五感に訴えるのは前者ではなくて後者だし、人間が最も身近に物事を捉えられる表現だから世直しには持って来いなんだ。表現自体が非妥当な認識に基づくならば叩かれる人たちにとっても的外れな主張なので、止めるべきだけれども武田邦彦にかぎっては大丈夫だろう。暴利をむさぼるのは経営ではないでも前澤友作やビル・ゲイツは超大金持ちだからこそ良いとはいえないだけだ。本人そのものが悪いと暗に想定するように最初から倒錯した独善的な誤りなどの自己欺瞞には些かも陥ってないと考える。

幾らか鳥がいる日没の海辺
The sunset seaside with birds by Elina Sazonova [CC0], via Pexels

さもなければ超大金持ちのレオナルド・ディカプリオ(俳優)が自然破壊を食い止めるために多額の金銭を投入するほどの驚くべき慈善活動を行うように博愛精神を持つのは二人とも変わらないのではないか。前澤友作もビル・ゲイツも同じくらい良いと幾らでも喜びを新しく見付け出して反論するのは決して難しくない。超大金持ちでも何でも人間はいつでもどこでも酷いばかりの悪魔とはかぎらないだろう。

武田邦彦が社会貢献を上回る企業経営を批判する経済学は合理的なだけではなくて満ち溢れる道徳心が人間的なのも感動させられる

日本を含めて世界の先進国と呼ばれる資本制経済の国々で貧富の差が余りに激し過ぎる格差社会が広がっている現今、どうしてかの要因として武田邦彦が独自の経済学の切り口から指摘するのが企業経営の暴利なんだ。必要以上に会社が金儲けを行ってさらに要職の社長や会長という役員などが多額の報酬を受け取っている。

暴利をむさぼるのは経営ではないではZOZOTOWNの前澤友作やマイクロソフトのビル・ゲイツという巷で話題になるほどの有名な超大金持ちの経営者が名指しで非難されもするわけだ。社内に偏って給料の貰い過ぎが起これば溢れた社員が夥しく反対に給料の貰えなさ過ぎを強いられる。すると実生活で消費活動が多方面で停滞するから商品やサービスが広範囲に売れない世の中になって国と人々が疲弊せざるを得ない不景気に包まれてしまう。

格差社会だと一部の富裕層が、沢山、買って経済の流れを捗らせるよりも大半の貧困層が、生憎、買えずに止める力が大きいんだ。最終的に途切れると色んな会社が潰れるので、もはや働けない皆が貧困生活の荒廃した資本制経済に全てが終わるように悲観されるしかない。

武田邦彦が暴利から格差社会を理解するのは現今のそうした悲劇の一因として決して誤りではないと考えては僕も頷くばかりなんだ。

もしも大富豪が全財産を貧乏人へ解放すれば世の中の数多くの生活苦が相当に改善されるのは想像しただけでも明らかではないだろうか。一人で莫大な資産を抱える必要はないし、そもそも社会の皆から受け入れられてこそ仕事も上手く行って得られたはずの金銭を社会の皆へちゃんと返さないのは経済の流れを損わせると同時に人間としても非常識なんだ。頑張ったのは自分だから喜ぶほどに自分以外は関係ないだろうと忘れられがちにせよ、本当は卑劣というか、国が民主主義ならばそれこそ得意な仕事を自由にやって良いと最初から容認した全ての主権者の国民という他人に対して根本的に恩知らずの悪党と変わらない様相を呈している。

分かって暴利を貪るのを許さない武田邦彦の姿勢は素晴らしいと感心するけれども皆への恩義を忘れない人間として美しくも優れた見方を備えた主張の根幹は道徳心の経済学といって良いと思う。

本人は道徳にはさほど留意してないみたいで、どんな経済が人間にとって最も有益なのかの根拠付けは生物全般の社会の仕組みから主に取り込んでいる。

本当の経営ですね。それはどうしてそれが本当の経営かというと、生物はですね、一番下位が、下位、下位に存在するのが自分なんですね。その上に子供がいるわけです。それは何で、そう自分の上に子供がいるかっていうと、えー、子供がいなきゃ次世代がいないわけですから、子供がいる。その上に群れがいるんですね。例えば日本国とか、えー、何とか県、とかいったそういうのがあるわけですね。ですから、えー、生物が群れを最高価値にしてるっていうことはもう前提なんですね。あの無限な高い利子が駄目だっていうのも社会秩序が一番重要で、そのお金持ちで、お金を貸せる人っていうのは群れの下の次世代の下の自分なんですよね。ですから、それはもう社会的にちゃんとした序列があるわけです。つまり、えー、どんな個人であってもどんな会社であっても、ま、学校であっても何であってもですね、天皇陛下であっても、社会への貢献が大事である、ということなんですね。ですから、社会への貢献というのは適正利益なんです、適正利子。例えば人にお金を貸すときは、ま、3%くらいが適当だとかですね。それから適正利益というのは私は8%っつってるんですけれども例えば百円でできたものは百八円で売っても良いけども、それ以上で売っては行けない、ということなんですね。それは八円自分が取れるんですからそれで良いんですよね、別段。これが適正利益、そういうことをするのが適正な経営者であり、本当の経営者なんですね。経営者というのは社会なくして経営が成り立つわけじゃないんですよ。

暴利をむさぼるのは経営ではない via 武田邦彦

割愛したけれども最初に社会とは何かが日本に特有の天皇から導かれている。諸外国のように国民を自分よりも低く見積もって差別する君主ではない。経済上も暴利を貪らず、自国民を奴隷のように痛め付ける暴君ではあり得なかったのはなぜか。元来、天皇は国民と共に存立していたせいだった。世の中の幸福を同じように味わう仲だし、断じて身分で差別しないから人間的に対等といっても良い。

高津宮の拝殿

武田邦彦は五世紀前半の第十六代天皇の仁徳天皇の「民のかまどは賑わいにけり」という言葉を象徴的に取り上げている。十三世紀の鎌倉時代に成立した古今和歌集の「たかきやにのほりて見れはけふりたつたみのかまとはにぎわいにけり」(巻第七の707:高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑わいにけり)の下の句だ。生前、仁徳天皇は日本の統治者の頃に国民の家の竃から飯炊きの煙が上がってないのを目にすると貧しさに飢え死にするから可哀想だと憐れんで租税を、三年間、免除した。国の収益が減る分は自分も倹約に努めながら住まう宮殿の茅葺き屋根を修繕しないなどの取り組みを行った。すると国も国民も貧しさを乗り越えて「民のかまどは賑わいにけり」の歌を残したと伝えられるわけだ。以前と打って変わって国民の家の竃から飯炊きの煙が上がって生活が新たに賑わっているのを喜んだ。

日本の天皇はかつて国の統治者として身分が高いという状態でも国民を差別しなくて本当に偉かった。現代の民主主義の日本国憲法で定められた国民の象徴としての天皇では制度的に不可能だけれども気持ちでも例えば水俣病の慰問などの真実に心温まる公務から受け取って変わらないのは明らかだろう。

なぜかを武田邦彦は生物全般の社会の仕組みへ結び付けて捉える。自然に理に適っているわけで、第一に「群れ」のために生活の全てがあると考えられる。日本の天皇は国民に対して少しも優越せずに配慮するけれども概して生物全般の社会の仕組みこそ一部が傲慢に特権階級を形成するものではない。どんな場合でも「群れ」を尊重して生活が営まれるのが極めて合理的だし、自然そのものなので、人間にとっても必要不可欠と武田邦彦は教えているんだ。

一言では「社会秩序」を守るために経済において暴利を貪る経営を行うのは不味いと分かる。

誰もが幸せを味わい得る可能性を好き勝手に遮って肝心要の「群れ」という生計の基盤を没落させるゆえに結局は世界の終わりが待つばかりの悲劇的な目論見でしかない。

暴利は正義ではない、経営ではない、日本人ではない。

暴利をむさぼるのは経営ではない via 武田邦彦

心理上、金銭欲に囚われているために暴利を貪る経営を行う人はそれこそが「最高価値」と錯覚している。贅沢三昧を個人的に望んだり、または不景気だと取り分け自分が生き残る/他人を葬り去る手段として納得するという本当に卑劣な場合さえも出て来てしまう。どちらでも武田邦彦の生物全般の社会の仕組みの理論からすると「最高価値」に反しているんだ。ボロ儲けの本人にとっても百害あって一理なしの行動に他ならないけど、ただし今直ぐ死にもしなければ別に構わないと金銭欲の快楽から抜け出せず、誰に何をいわれようと暴利を貪るのは止められないかも知れないから困るわけだ。

世直しのためには避けるべきで、暴利とは何かを正しく知るのが先決だ。どんな理由があっても皆の生活の全てを破壊する非人間的な事柄だから悪い。要するに将来性がないんだ、国と人々において。最後に不幸を呼ぶのでは根本的に間違っているかぎり、もはや生き方として何一つ推奨されないのが暴利だろう。逆らって道徳心の経済学から金儲けは分相応に捉えて必要以上に求めないのが格好良いと感じる。先々へ夢と希望に包まれるほどに人間的にも素晴らしい気持ちを得られるのではないか。武田邦彦を見習って優れた見方で社会貢献を的確に果たしたい。

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