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小島一朗の新幹線殺傷事件の精神構造は表面的に受け取られた深沢七郎の楢山節考/姥捨て山の伝説だ

新幹線内で刃物を振り回して三人を死傷させた事件/東海道新幹線殺傷事件の犯人の小島一朗の部屋がテレビで放送されたのを目にして驚いた。動画で見付からなくて引用できないけど、読書家というか、幾つも本が置かれている中に新潮文庫の朱と黒と薄橙の表紙の深沢七郎楢山節考が含まれていたんだ。本格的な小説を好んでいたと不意に知らされてしまった。

僕も持っている、実は。かつて日本で流行ったらしくて前世紀の中頃の1956年に初めて発表されて人々に広まった。翌年の単行本が国内のベストセラーになったといわれる。独特の物語が人気を博して映画やテレビドラマや演劇などでも取り上げられたりしていた。昔の姥捨て山の伝説――作者は現在の山梨県笛吹市境川町大黒坂の年寄りから聞いたみたいだ――をモチーフにしていて貧しい家族の子供が生き延びるために食い扶持を減らす老いた母親を山へ捨てに行くという小説なんだ。

内容だけ聞くと如何にも野蛮らしい。子供の老いた母親に対する身勝手で恩知らずな行動が人道的に批判されて然るべきだと先ずは参らざるを得ない。

ところが現実は決してそうではなかった。なぜなら老いた母親が子供のために無償の愛から山で密かにも絶命するのを望んで止まなかったからだ。深沢七郎が小説家として凄いのは前者の思いを後者がしっかり噛み締めるように描き出したところだった。本当に言葉にならない世界を見詰めながら頑張って表現していたと感心する。

子供は自分の代わりに死ぬしかないのに何一つ厭わない老いた母親の無償の愛へ感謝に堪えないとしてもかりに貧しい家族でなければ山へ捨てに行く必要はなかったわけで、矛盾せずに認識されるかぎり、心から口に出してはならない親子の情そのもの、延いては人間の倫理とは何かを教えてくれる筆致が意義深くも個性的なんだ。

素晴らしい真実に触れると詩人の空みたいな経験が生じるし――自作で挙げるとThe blueに匹敵するかも知れない――社会的に非常に優れた可能性まで持ち合わせている。

深沢七郎の楢山節考を理解できれば無益な殺生は現世から除外されてしまうはずだ

深沢七郎

人々は我と我が身に誓って対他的な全てへの善意に則った生き方を実現できるに違いないと想像させられる。

小島一朗が読んでいたのと考え合わせると又驚くけれども新幹線内で刃物を振り回して三人を死傷させた事件の犯人だから凶暴な通り魔と呼ぶ他ない存在なのは深沢七郎の楢山節考の本格的な小説の趣きと余りにかけ離れ過ぎていて何がどうなって結び付くかの精神構造が問われずにいない。

理解できないといえば理解できなかったはずにせよ、素晴らしい真実からあり得ない無益な殺生を齎すのは言葉遣いを表面的に受け取ると納得できなくもなかったりするんだ。

つまり小説の中心の物語として姥捨て山の伝説それ自体は一人の人間の巫山戯た態度を示してないとは考えられないわけだ。

現代的にいって自分が生き延びるために母親でなくても他の誰かを犠牲にして良いと認識するかぎりの主人公は只の馬鹿か、飛んだ笑い種ならば人権以前の野放図の一員だったり、資本主義社会では欲望の塊みたいなキャラクターとして人々からいつも疎まれるだけの状態とも過言ではなさそうだ。

新幹線殺傷事件を起こした小島一朗は深沢七郎の楢山節考を読んでいたにせよ、親殺しが許される凄惨な事実こそ鵜呑みにしながら野蛮人としての生き方を自己肯定したのが不味かったと推測するしかない。

幼少期から発達障害と診断されたり、物事の認知能力が不足していたらしくて本を読んでも表面的に受け取ってしまう傾向が強かったと感じるし、普通に考えるよりは深沢七郎の楢山節考は理解するのが厳しい一冊だったかも知れない。

小島一朗は職場での人間関係に嫌気が差して祖母の家に引き篭っていたといわれる

月岡芳年の月百姿の姥捨月

母親と子供ではないけれども姥捨て山の伝説とイメージが重なる二人暮らしで、よもや祖母の思い遣りに触れるほどに孫の自分は逆に酷くて構わないと納得してしまったとしても不思議ではないんだ。

無差別の攻撃性に至るまでの精神構造を紐解くと姥捨て山の伝説の負の側面:子供が残虐な行動を免れない部分に存在が囚われたのではないか。深沢七郎の楢山節考の素晴らしい真実のイメージからすれば非常に勿体ない読み方にせよ、もはや小説に忌まわしく憑依されてなかったとはいえない。

本当は無慈悲に狙われるのは祖母なのが筋書き通りだったとしても物事の認知能力が不足していたために却って思い止まっていたようだ。生活はさほど貧しいわけではなくて衣食住を助けてくれていたから実情は姥捨て山の伝説とはちょっと違うけれども殺すわけには行かなかった。有り難みに免じて個人的に許すみたいな気持ちで接していたと察せられる。

小島一朗は引き篭りながら読書では深沢七郎の楢山節考を字面だけで理解せざるを得ないように主観的な言動を完全に身に付けると共に日々を不遜に過ごしていたのではないか。

仕事で失敗して人々への不信感や世の中への猜疑心が膨らんでいたせいか、絶望的に自殺すると祖母にも良く口走っていたらしい。しかし野蛮人としての生き方を自己肯定するならば怖いもの知らずの面も大きかったはずだろう。今直ぐ死ぬよりは生きる道を力尽くで探すべきだと心なしか悟るように自殺するのも控え得たと考える。

家出して祖母が銀行の通帳を預けていたみたいだから一人旅でどうするかの将来を掴むつもりだったのかも知れないけど、このままでは駄目だといつもいわれていたみたいで、本人も気落ちして悩んだ場面は少なくなかったらしい、ところが引き篭るのを終える代わりならば酷いかぎりのまさか新幹線内で刃物を振り回して三人を死傷させた事件を起こして犯罪者として刑務所に入るのを選んだ格好になっている。

前日まで野宿していたと聞くので、ひょっとすると夜中の寂しい暗闇に紛れて一人では生きて行けないと思ったせいだろう。概して悪くない経験だし、人間の弱さを知るにはむしろ良い機会かも知れないけど、発達障害の幼稚さや心細さから自分を置き去りにする社会への不快感が増大してしまったと感じなくはない。

警察の取り調べでは「誰でも良かった」と犯行の動機を小島一朗は述べているんだ

近年、無差別の殺傷事件ではありがちな言葉かも知れないけど、日常生活で本格的な小説という深沢七郎の楢山節考などの文学が好きならば――調べると聖書(宗教)や古事記(歴史書)やガイウス・ユリウス・カエサルガリア戦記(手記)やウィリアム・シェイクスピアマクベス(戯曲)やフョードル・ドストエフスキー罪と罰(小説)が出て来て何れも世紀の傑作と呼ぶべき作品に親しんでいた――自暴自棄よりも意志が働いているのを注意したいし、一般的にいってインターネットで情報の渦に巻き込まれて自分とは何かを見失わざるを得ない苦しみのせいではなさそうだ。

繰り返すと発達障害で物事の認知能力が不足しているゆえの幼稚さや心細さが不吉な結果を最終的に呼び寄せた。仕事で失敗して家に引き篭るのは社会的な居場所をなくしていたに等しいから一つの切欠になっている。どう生きるかを自力で模索しなくてはならない。誰にとっても厳しいはずだし、発達障害ならば気持ちはきっともっと苦しんでいる。奇しくも深沢七郎の楢山節考の姥捨て山の伝説を表面的に受け取って内面から嵌まるように凶悪な方向へ進んだ。

小島一朗の人間としての素養からもはや知覚の全てが同じだったと感じるし、かりに他の本を好きで読んでいたりしても趣向は変わらなかったはずならば起こした新幹線殺傷事件について本人の生い立ちも正しく悔やまれずにいない。

人々との触れ合いが厄介で、社会へ適応するのが大変でなければ職場の人間関係に過度に困らず、一人で引き篭る必要もなかったし、自分らしく暮らせたかも知れない。

深沢七郎の楢山節考を好きで読むならば素晴らしい真実のイメージこそ無益な殺生を遠ざけるに値するから誰もがモチーフの姥捨て山の伝説を表面的に受け取らずに尊んで追及された人間性のエッセンスからきっちり掴めるような状況が増えるのを願う。

参考:新幹線殺傷、逮捕の男「人を殺して刑務所に行く」 新幹線殺傷 親子の軋轢で孤立、仕事で挫折し引きこもり… 親族証言やメモから浮かぶ男の「暴力性」 《新幹線殺人》両親・祖母・伯父への徹底取材で見えた「小島一朗」ができるまで

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