昭和天皇の原爆投下についての記者会見の完璧な日本語 結城永人 - 2023年7月13日 (木) 昭和天皇がアメリカを初めて訪問した後、1975年10月31日にテレビで記者会見を行った。 アメリカ訪問を終えて(PDF) そのとき、原爆投下について訊かれて応えていた。非常に難しい場面だったと思うけど、聞きながら僕は納得して民主主義を良く理解している昭和天皇だけに素晴らしいし、尊敬に値するのはいうまでもないと甚く感心した。ところが巷では誤解されることが多くて、全然、反対の意味で、酷いと唾棄すべきみたいに最低の取られ方までしていることに気付いた。 考えると分かり辛いというか、微妙なニュアンスが込められているというには日本語として完璧な表現なので、むしろ慣れてない人にとっては真意がずれてしまいそうなところもある。 昭和天皇がいいたいこと、皆に伝えたい気持ちは何なのか、少なくとも僕が心から驚かされるくらい良い言葉だと喜ばされる所以を明らかにしたい。 参考サイト昭和天皇の戦争責任についての記者会見の完璧な日本語 昭和天皇の「やむを得ない」という原爆投下の意味 ドキュメンタリー「天皇と軍隊」をめぐって|TBS 昭和天皇は日本が原爆投下を受けたことを「やむを得ない」と捉えてさらに明らかにすることは何もなかった。 秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。 天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。 アメリカ訪問を終えて|日本記者クラブ 普通に考えると昭和天皇は人々はどうでも良くてしかも当時は現人神とされた自分のために万歳突撃や神風特攻のように死ぬのが当たり前だと考える阿呆だったし、今でも変わらないから唾棄すべきと取られても不思議ではない。 昭和天皇を日本の愚か者と捉えることが非常に難しい理由 完璧な日本語として特別に考えると「やむを得ない」はどうにも止められなかったという当時の日本の元首としての自分に対する無念さが表れている。市民を戦争の道具して扱うような非人間的な気持ちは微塵もないといえる。むしろ一緒に戦った仲間としての真に平等な立場からの人間的な思い遣りに満ちた印象を与えるのが凄い。 嫌う人は昭和天皇が責任者の立場から市民へ向けて戦争だからお前は死ぬのが仕事だと本当は思っていたし、それが余りに高圧的過ぎて人間の風上にも置けないみたいに呪ってしまいさえもするんだ。 原爆投下について「やむを得ない」という言葉を普通の意味で「仕様がない」(投げ槍、どうでも良い気持ち)と取るか特別な意味で「止められない」(無念さ、どうにもならない気持ち)と取るかで印象かがらりと変わって受け手に恐ろしいまでの違いを齎す。 原水爆禁止広島県協議会の抗議への宇佐美毅宮内庁長官の回答 巷で昭和天皇の「やむを得ない」は原爆投下を肯定するとして反感が増した中で、原水爆禁止広島県協議会の抗議に対して宮内庁の宇佐美毅宮内庁長官の回答というのが二つの取り方を良く表していた。 1975/12/26 天皇の原爆投下発言に抗議声明を出した広島県原水禁(森滝市郎代表委員)に、宇佐美毅宮内庁長官から天皇発言を補足する回答。「原爆投下を肯定する意味あいのご発言ではない。ご自身としてはそれを止めることが出来なかったことを遺憾に思われて、『やむを得なかった』のお言葉になったと思う。第二次大戦の犠牲となった人々、今なお原爆の災禍に苦しむ広島、長崎両市民に心を砕かれておられる両陛下のご真情を理解してほしい」 ヒストリー|ヒロシマの記録1975 12月|中国新聞 流石というか、宮内庁長官の宇佐美毅は昭和天皇の完璧な日本語の特別な意味が分かったといって良い。僕が考えたのと略一緒で、微妙に違うのは「ご真情」のところで、いい過ぎの怪しさを逆に残している。たとえ昭和天皇に成り代わるとしても不遜な表現(厚かましい言葉遣い)だし、終戦前の天皇の神格化された威厳を受けた名残かも知れないけど、この気持ちを分かれみたいに押し付けがましく、傲慢に聞こえもするので、そこまでいうならぱ昭和天皇が出て来て自分でいい直した方が良いだろう。 昭和天皇が記者会見の発言の前から広島へ戦後巡幸の一環として1947年12月5日ら8日まで訪れて広島市民を励ましたのは間違いないので、その点を踏まえても原爆投下において被害者を蔑ろにしていると捉えるのは無理がある。 さもなければ戦後巡幸そのものが見せかけであって昭和天皇は腹の底で原爆投下の広島市民にかぎらず、戦災を被った全ての日本人を馬鹿にしているだろうけど、他人からは確かめようがないからもはや真偽については何もいえない。 日本の原爆被害が避けられなかった戦争終結の遅れ Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome) by Jakub Hałun / CC BY-SA 昭和天皇の「やむを得ない」は歴史的に何を指しているか。もちろん原爆投下を行ったのはアメリカだから日本はどうしようもないわけだけど、そこまで戦争終結が遅れたことが原爆被害を避けられなかった昭和天皇の元首としての責任に触れると考えられる。 政府と軍、そして昭和天皇が期待をかけたのが、日ソ中立条約を結んでいたソビエト連邦の仲介による終戦でした。ソビエト連邦は、日本が戦うアメリカ・イギリスと「連合国」を構成しドイツに勝利していましたが、米英とは必ずしも一枚岩ではないと見ていたのです。 しかし実際には、ソビエト連邦は秘密裡に米英と協定を結び、日本との戦争に参加することがすでに決まっていました。日露戦争で失った領土の回復や千島列島を獲得するという約束までしていたのです(1945年2月ヤルタ密約)。 日本からの打診に対して、ソビエト連邦は返事を引き延ばし、その間にも戦況は悪化していきました。 終戦はどのように決まった?|戦争を伝えるミュージアム|NHK 日本はアメリカとの二十対一とも予測された非常に大きな国力の差から短期決戦での勝利を望んだ。最初は良かったけれども長引くほどに戦況は入れ替わって行った。 無条件降伏よりも一撃講和を目指して原爆投下が招かれた 1941年12月の真珠湾攻撃による開戦から約半年後の1942年6月のミッドウェー海戦で大打撃を受けてからもう殆ど盛り返すことはできず、敗戦を想定して講和条約の締結を模索するようになった。 一撃講和という少しでも有利な条件で戦争を集結するための良い戦果を求めて交戦状態を続けることになった。 1943年11月に連合国側はカイロ宣言を出して日本に無条件降伏を迫った。しかし日本は一撃講和を望んでカイロ宣言を拒否した。戦況は悪化の一途を辿り、1945年2月の硫黄島の戦いに負けると翌月から民間人を多く巻き込んだ沖縄戦が始まり、これもどんどん押されて本土決戦が間近に迫った。 5月に日本はソビエト連邦に仲介を頼んで連合国との講和条約の締結に期待をかけた。ところがソビエト連邦は2月に英米とヤルタ会談で密約を交わしていてドイツの降伏後の数ヵ月以内に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本へ攻め込むことを決めていた。ドイツの降伏が5月だったけど、日本の仲介の申し入れはソビエト連邦から黙殺されてしまう。 7月に連合国軍側はポツダム宣言を出して最終勧告として日本に無条件降伏を迫った。しかし日本はソビエト連邦に仲介に無駄な時間だけが過ぎて行く中で、翌月の6日に広島への原爆投下が起きた。数日後の8日の夜にソビエト連邦の対日参戦が発表された。翌日の朝に日本の領土だった中国大陸の満州への侵攻が始まり、同日中に長崎への原爆投下も起きた。 日本はもはや万事休すとなり、暫く後の14日に無条件降伏を受け入れることを決めた。 関連ページ日本の第二次世界大戦のカイロ宣言からポツダム宣言までの終戦の流れ 昭和天皇の終戦直後の玉音放送の原爆投下への言葉 宮内庁:玉音放送の原盤を初公表 音声も公開|毎日新聞 1945年8月15日に昭和天皇が日本のポツダム宣言の受諾という降伏によって終戦を迎えたことをラジオの玉音放送(音源)を通じて人々へ伝えた。 加之敵ハ新ニ殘虐󠄁ナル爆彈ヲ使󠄁用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害󠄂ノ及󠄁フ所󠄁眞ニ測ルヘカラサルニ至ル 仮名と訳文 しかのみならずてきはあらたにざんぎゃくなるばくだんをしようしてしきりにむこをさっしょうしさんがいのおよぶところしんにはかるべからざるにいたる その上にも敵は残虐な爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶところは真に測ることもできないに至る 終戰の詔勅(大東亞戰爭終結ノ詔書)|官報号外・昭和20年8月14日(仮名と原文は筆者) 昭和天皇は玉音放送で原子爆弾に触れて人々の被害の大きさは本当に計り知れないものと捉えていた。 どうして原爆投下を招いたかは敗色が濃厚でも一撃講和のために戦争を続けていて最終的にソビエト連邦に連合国側への仲介を求めながら裏切られるとも知らずに待っていたせいだった。 昭和天皇の原爆投下についての「やむを得ない」という言葉は特別に考えて無念の思いと取るかぎり、もはや容易に語り尽くせないほどの極めて複雑なものになるに違いない。 参考サイト日本への原子爆弾投下涙とともに最後の決断昭和天皇 御生誕百年 コメント 新しい投稿 前の投稿
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