ロボトミー殺人事件の悲劇性への人生学的な考察 結城永人 - 2016年10月25日 (火) かつて精神科の療法でロボトミー(精神外科)と称する脳外科手術が広く行われている時代があった。脳内の一部の繋がりを遮断すると気分が落ち着くとチンパンジーで試してから人間にも適用されるようになった。可哀想なのは人間だけではないし、動物実験の倫理的な問題(病気とは防ぐためにあり、治さざるを得ないなんて手遅れではないか、遺伝子を組み換えて病気を防ごうとすることもまだ治す他はなかった代わりに過ぎないのではないか)はあるけど、とにかく厳しい副作用を数多く伴っていたり、取り分け人格に異変を齎すという非人道的な結果を生み出していたらしい。 開発した医師のエガス・モニスはノーベル賞を貰ったものの施術した患者の一人に銃撃されもしていた。そしてロボトミーの手術を受けた患者や取り巻きの団体からノーベル賞の取り下げを求められてもいるようだ。ノーベルが開発したダイナマイトが戦争/紛争で人々を大量に殺戮しているのと似ていると思う。ただしロボトミーについては使い方が良くても駄目なのかも知れないし、現今では殆ど廃れているわけなんだ。 桜庭章司のロボトミー殺人事件の衝撃の悲劇性 Lobotomy drill for opening the scull of psychiatric patients by Bjoertvedt / CC BY-SA 日本でも取り入れられた歴史があってさらに施術した医師の殺害を企てた患者の桜庭章司もいたと知った。ロボトミー殺人事件を起こした。海外での開発した医師への銃撃の先例を踏まえれば本当に悲劇的だし、繰り返されるよりは避けられて然るべきだったのではないかと考えざるを得ない。ロボトミー殺人事件で狙われた医師は生き残ったものの家族が何人か亡くなった。犯人の患者は裁判で責任能力があると見做されて無期懲役の刑を被った。2016年10月時点、刑務所に存命しているようだから決して昔話ではなくてロボトミー殺人事件が身近にも受け留められてしまった。 僕が注目したのは事件の発端だった。というか、成り行きの切欠が非常に興味深く感じた。一人の男性が後々のロボトミー殺人事件の受刑者だけれども勤めていた会社の不正を内部的に告発したら金銭的に説得するように迫られた。貧乏だったし、仕様がないという感じで受け入れてしまった。つまり裏金を掴んだわけだ。暫くして会社にそれは恐喝だったと裁判所に告訴された。敗訴して刑務所へ送られる結果となる。 この段階では何事もないまま、出所したけれども他で又同じ不本意な形というか、想定外に近いような仕方で事件に巻き込まれて、家庭内で暴れたから家族に非難されながら警察を呼ばれたらしい。 桜庭章司は精神鑑定から精神科に入院すると初めてロボトミーの脳外科手術を受けることになった Prefrontal lobotomy in the treatment of mental disorders from NLM Digital Collections / Public domain 彼の生き方が超真面目な印象を与える。会社の不正を内部的に告発した気持ちは素晴らしいと思う。裏金を示されて受け取ってしまうのも本当は自分が貧乏なだけではなくて会社が浄化されれば良いとも睨んでいたのではないか。 世の中で悪い人はどこまでも悪いと僕は想定するし、本質的に地獄の手先ならば易々とは心を入れ換えさせることはできないので、どんな詩を生み出して支配者としての閻魔大王を押し退けよう、生きていて甘い汁みたいな申し出はレストランでも腕利きシェフのエビチリソース並みに珍し過ぎて手が届かないのではないかと高望みだけはしないで、なるべく警戒している。 やはりというか、巷で議員や役人/政党や官僚が良く取り沙汰されるけど、一つの集団における自浄作用(汚職等の撤廃)には可成の粘着的な柵が潜んでいて会社でも事情は決して変わらないわけだ。 彼には人情派の側面も性格には含まれていて誰かに騙されれば酷く騙されてしまい兼ねないし、それが精神科にも繋がるのかも知れなかった。正義感だけれども単刀直入の色合いが強くて超真面目の人情派というキャラクターがロボトミー殺人事件の悲劇性を象徴的に物語っているように認められてならない。 本当は精神を病んでなくて短気が普通よりも際立っていた、想像された通りの個性でしかなかったとすると精神科で誤診が絶えないという大問題に発展して来るし、ロボトミー殺人事件は文学的にも政治的にも凄いと思う。治すどころか、心理疾患を作り上げて自殺者も増やしているのではないか。調べていると昨今はデータが相当に揃っている。そもそも科学的に脳と精神の関係が解明されてないから精神科の医療には限界がある、どうしても。人類が治り得ると保証してないかぎり、気持ちとしてはやはり偶々の奇跡を望むしかないという。 ロボトミー殺人事件の動機としては入院によって精神科の惨状が知られたことを挙げておきたい Depression and mental health by HASTYWORDS / Pixabay これは宇都宮病院事件に日本では主に刻まれているようだけど、とにかく患者への待遇の悪さ(今風にいえば人々への処置の稚拙さかも知れない)が否定できなくて当時の名残ではないけれども現時点でも変わらないというか、社会的には精神科だけを考えたくないテーマなので、どこにでも起きている「虐待=人権蹂躙」としては悪魔が核爆弾を落とすべき状況を免れない。世界そのものが腐敗していて超真面目の人情派にとっては許し難い思いに精神科の惨状によって駆られたとしても全く不思議ではなかったと僕は頷いた。 日本の精神科は海外の専門機関から問題視されたりしながら何年もかけて改善されて来たみたいだけど、余談というか、ロボトミー殺人事件と少し離れて取り上げたいのは一つの煽りが今は喘がれているよね。昔は悪かったから今は良くしようと考えることは正しい。けども良くしようとする余りの多剤多量の薬物投与がやはり海外の専門機関から問題視されてしまっている。日本で精神科のベッド数が減らないのはなぜか。薬物の使用量が非常に高いのはなぜか。データを見ていると日本のサービス精神(おもてなし)が裏目に出ているという気持ちがしてならない。専門医が不足していて医者ならば誰でも開業できるみたいな法律のせいかも知れないし、国全体が生活において様々な方面で心理疾患を増やしているせいかも知れないし、追求すれば根深い悲しみが色々と見付かって来る。何れにしても多剤多量の薬物投与が過保護で不味いとした可能性がちょっと捨て切れないでいる、僕なんかブログのアクセスが伸びないから口に出すのも恥ずかしいけど。もしも大勢の人が訪れたら精神科の多剤多量の薬物投与の懸念は極めて難しくてビックリするくらい日本ならではの性質を帯びているとだけは覚えておいて欲しいと願う。煽りでも結果が適切に伴っていればアメリカから来た平和憲法と同じように愛国的に守って良いはずだし、その守り方まで自国流を気にかけると頭もごちゃごちゃになるから日本は大変な国なんだ。思い遣りがなければ好き勝手にやるだけなので、ナショナリズム(国家主義)で暴走しないことが大切ではないかな、日本人にとっては何よりも。 精神科への入院中に彼の怒りが爆発してロボトミーの脳外科手術が必要だと医師に診断されてしまった 実際に他の患者の可哀想な姿を目にしたせいだったとされる。心理的には錯綜していて考え込ませる。彼一人ではなくてかつての家族間の不和が気持ちに悲しみの尾を引いていたのではないかしら。 いうとチンパンジーが動物実験で殺されていれば僕は辛いけれども世の中への怒りが爆発しないのは皆のために生きたいと思うかぎりだろう。人間でもきっと変わらない。亡くなっているから常軌を逸するわけではなかった。無残でもそうではなかったか。直ぐ様と暴れ出すよりもむしろ祈りを捧げる、神へというか、救世主としての全知全能の存在へ静かに。 超真面目の人情派という彼にとって家族間の不和が裁判所へ起訴するまでには及ばなかったらしいけど、警察に現行犯で逮捕されて世間的に表面化したわけなので、やる瀬なさが込み上げて来てしまって真っ逆さまに自滅するような何かを精神科へ送られつつも無意識に探し求めたせいではないかと受け取るんだ。 僕は皆のために生きたいというけど、しかし人によって千差万別ではないか。只一人の教祖のために生きたいという宗教団体の信者も気持ちはそっくりだし、誰のためにも生きたくないという自分本意の生活目標を立てている人も気持ちはそっくりでもないわけではない。どこか似通いながら生き合っている人々の宇宙において超真面目の人情派のキャラクターならば最も身近な存在としての家族にこそ著しいまでの愛着を抱いていたように推測されもする。 ロボトミーの脳外科手術そのものが人体実験さながらの非人間的な様相を呈していたとも聞かれる A mirror above the operating table shows an actual operation from Saturday Evening Post / Public domain 果たしてどんな状態が招かれるかを医師が十分に予見できてなかった。だから成功した医師が患者に銃弾を食らうことも場合によっては出て来てしまうはずだし、殺さなかっただけで明らかに失敗しているという《名ばかりの治療》によって悲劇が世界各地に増やされてしまってもいたんだ。 私は手術のため、無気力になった上、八年間重いテンカン(発作性眩まい症)に苦しみました。自動車運転も自転車利用もできないのです。独りで入浴や水泳もできません。八年間毎月十回以上死に損っております。背中の骨折や動脈切断や海中転落、自動車衝突など数えたらきりがありません。しかし、私の母を説得した医学博士達は、「手術すると収入は半分くらいに減るかも知れないが、絶対に警察沙汰は起こさなくなる」とか、「非常に高価な手術だが、お宅の場合は特別扱い、無料にします。」とか色々説明しましたが、必ず起きるテンカンは一切隠しました。「手術すれば収入は半分云々」といった医師は今は国立大学の教授です。これがこの腐った社会の正体です。 桜庭章司/「ロボトミー徹底糾弾 第6号 ロボトミー糾弾全国共闘会議 1980/08/01」|arsvi.com 退院した彼は元気だったけれども様々な症状に悩まされ続けて全てはロボトミーの脳外科手術を受けたために生じていると人生はもう終わりだみたいに感じながら施術した医師への復讐と共に生涯の幕を下ろしたいと考えたんだろう。 ここでも誰かがそばに付いていて何とかならなかったか。疑問が残される。どうすれば人は犯罪者にならずに済ませられるだろう。 世の中で一人ぼっちに完全に追い込まれた状態でロボトミー殺人事件は実行されたと僕は思うしかない、人生学として。もしかしたら避けられたから悲劇的だったとすると他の様々な事件についても当て嵌まるようなところは少なくないはずだ。超真面目の人情派のキャラクターにかぎらず、一人ぼっちとは何かを改めて胸に深く突き付けられた。 情報によると彼の脳内には医療器具が残存していたらしい。可哀想ならば不運だろう。そのせいで、悩みが増えてロボトミー殺人事件の犯行に及んだかどうかまでは察しが付かないけど、ただし悪いことには悪いことが重なるものだ。殺人のような重大な事件は不運が不運を呼びながら起きるべくして起きてしまうのかも知れない。 参考サイトロボトミー殺人事件ロボトミー殺人事件(1979) コメント 新しい投稿 前の投稿
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