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ルイス・キャロルの不思議の国のアリスがナンセンスに包まれた第六感

人生のこの上ない瞬間にアリスを見た、焼き芋のように気持ちも甘くさざめいて。


コーネリア・ギルマンの穴に落ちる/不思議の国のアリス
Falling Down The Hole - Alice in Wonderland by CorneliaGillmann via DeviantArt

何も起きることのない秋の昼下がりに一人だけ何かが起きているという風情が本当に不思議だ。


ナンセンス文学の代表とも見られるルイス・キャロル不思議の国のアリスだけれども知って僕が最も驚いたのは作者が実は数学者だった。


ルイス・キャロルの理知的な発想で表現された小説が不思議の国のアリスだとすればナンセンス文学は全くの外面的な評価でしかなかったのではないだろうか。


作品の内面は数学の理論のように精巧な仕方で捉えられて然るべきだとすれば《好奇心の流れ》が改めて注目されざるを得なくなって来るわけなんだ。


生活の珍妙さとも繋がる。どこで何が起きるかは分からなくて数多の因果関係によって人間性は形作られるまま、固有の存在が自然の一部として生み出されている。


かりに今此処で僕が歌うとしても予め仕向けられた如何なる決定的な要素も持たないようにすなわち趣味嗜好で片付けられるそれは行為ではない。外面上はナンセンス文学そのものの展開ながらただし内面的に流れている気持ちは好奇心に他ならないから第六感の動きといっても良いかも知れない。


アリスの世界が不思議に満ちているのは数学者が仮説と証明を繰り返しながら真偽を計ろうとする物事の未知数への思いと似ている。


一つの《好奇心の流れ》から後先には構わず、実験的に織り成された国が手に入った。


ルイス・キャロルの不思議の国のアリスにはそうした生活の珍妙さが横溢していて現実的に人生そのもの奥深さに触れられるかぎり、もはやナンセンスどころか極めてオーソドックスな文学のイメージを掴んで放さない小説だったと考えられてしまう。


次の瞬間に、アリスもそのあとを追っかけてとびこみました。いったいぜんたいどうやってそこから出ようか、なんてことはちっとも考えなかったのです。


ルイス・キャロルの不思議の国のアリス(山形浩夫訳)[CC BY-SA 2.1 JP]

アリスは兎の穴へ入って行った。そしてついに不思議の国が幕を開けた。


一体、どんな気持ちで兎を追いかけたのだろう。もしも好奇心から捉えられた世界が待っているとしたら全ては詩、またはダリが目を見開きながら望んだような超現実的な芸術に他ならなかったはずではないか。


素晴らしいと思うし、アリスという飛び抜けたキャラクター、その第六感に包まれたにも等しい世界の空気を味わわされては生き心地を取り戻さずにもいられない。

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