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ヴァレンティーナ・リシッツァのベートーヴェンのピアノソナタ第八番《悲愴》は斬新さに唸らされた


高校時代にクラシック音楽を聴き始めて三十年近く興味や関心を示し続けて来たけれども全く先例がないような印象を受けた。ピアノの指捌きが余りにも造作なくて楽譜の正確さが犇々と伝わって来た。音が十二分に弾けていてメロディーにリズムとテンポが乗り移っているので、何と呼ぶべきかと咄嗟に箸を落としてしまいそうになる、かりに食事中ならば。考えると単純明快ながら音楽と出会っていたわけだろう。


ベートーヴェンピアノソナタ第八番《悲愴》の演奏はテンポがちょっと早過ぎる。しかしリズムは生きていると思う。ヴァレンティーナ・リシッツァはリズムを適切に伝えるためにテンポを上げているのかも知れない。他の作品でもちょっと早過ぎるみたいな演奏ばかりだったけど、止まらない人生の流れの中で出会いとは何かという気持ちを表現したいのではないかと思わされるし、凄いと唸らされもするんだ。


ある意味、命の尊さが繰り広げられているピアノだから音楽のイメージは非常に詩的だったといって良いだろう。


ベートーヴェンは情熱的な作曲家だし、テンポがちょっと早過ぎても納得できた。まるで地が出ているかのような無二のリアリティーが震撼させられる。聴いていてヴァレンティーナ・リシッツァの奏でる世界にベートーヴェンが顔を覗かせて来ると想像するに難くない。


僕はピアノソナタ第八番《悲愴》の取り分け第二楽章のアダージョ・カンタービレがベートーヴェンの作品では一等に好きかも知れない。何しろ、癒しがある。他では得られないような素晴らしい気持ちを物の見事に与えてくれるせいだ。


ヴァレンティーナ・リシッツァは生まれたばかりの赤ちゃんをどう扱えば良いのかが分からないという感じのピアノだった。


ヨーゼフ・カール・シュティーラーのルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの肖像

分けてもベートーヴェンにとってピアノソナタ第八番《悲愴》は人々に作曲家としての知名度を広く知らしめた出世作だったらしいので、もしかすると第二楽章はヴァレンティーナ・リシッツァのピアノが正しい。聴けば優しさを覚え込ませるほどの癒しの音楽をベートーヴェンが自分らしさとして初めて打ち出して来た、第二楽章においては。触ることも壊してしまいそうで、無理だと躊躇われずにいない愛しさを芸術的に伴っているとすれば実際にもそんなふうに奏でられて然るべきではなかったか。


素晴らしい気持ちの先に天使を認める。ベートーヴェンならではの人間性を踏まえた優しさが音楽そのものこそ実現していて世界をダイナミックに受け取らせるためだ。どこかでそれは鳴り響いている対象ではない。内面から湧き上がって来る情感によって世界が逐一と変わって来るし、入り浸るまでに聴きながら革命的に味わわれるところが特筆に値する。優しさならば知るかぎり、よもや天使こそ覚えずにはいないんだ。


ヴァレンティーナ・リシッツァのベートーヴェンには斬新さがあるというのは音楽そのものの内面的な働きを示しているせいで、メロディーとリズムとテンポが纏まり捲っているというか、弾ける音が珍しかった。音楽そのものを構成する音そのものは心でしか経験されないゆえに滅多に知られなかったと思うしかないだろう、外界を介しては。


ベートーヴェンの良さから引き出されてヴァレンティーナ・リシッツァのピアノに心のままの世界がしっかり表現されていた。何もかも素晴らしいと感銘せざるを得ないし、音楽の聴き方も改めて問い直してみたくなるよ。


どんな真実が必要なのか。ベートーヴェンは耳が悪かったから全ての音に有り難みを知っていたに違いないし、三十歳頃には完全に厳しくてピアノソナタ第八番《悲愴》は難聴以降の作品なんだ、だからこそ命の尊さを作曲しながら譜面に吹き込むことが自然にできたはずだった。


大切にしたいと思う。人生の根源的な認識はやはり命の尊さしかないわけなので、真っ先にというか、絶えず、考えながら音楽も聴くべきだし、あらゆる物事を捉える基盤として捨て去ってはならないのは間違いないだろう。


ヴァレンティーナ・リシッツァのベートーヴェンは本当に素晴らしいかぎりで、共感するほどに類いも稀な魅力を思い知らされた。

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