カエサルの「ブルータス、お前もか」は美しい響きが英雄の本音でしかない 結城永人 - 2016年11月22日 (火) 古代ローマでユリウス・カエサルが独裁官だった頃に暗殺者の親愛だったユニウス・ブルトゥス(ブルータス)に「ブルータス、お前もか」といい放ったとされる。ただし事実かどうかは定かではないらしい。 The Death of Caesar by Jean-Léon Gérôme / Public domain 後世、シェイクスピアのジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサルの英語読み/戯曲)の台詞に出て来てから人々に広まったようだけれども世の中に信じられるものは何もない/愛に現を抜かすなみたいな人生訓を伴いながら現代にも語り継がれるようになったのではないかと考えられる。 シーザー ブルータス、お前もか! シーザー、落ちどきよ。 原文 CAESAR Et tu, Brute! Then fall, Caesar. ウィリアム・シェイクスピアのジュリアス・シーザーの第三幕第一場(訳出) 史実を調べてみるとカエサルはブルトゥスを幼少期から可愛がっていたらしい。しかしブルータスの父親のユニウス・ブルトゥス(同名)がカエサルの外伯父のガイウス・マリウスと対立していて最終的にはマリウスを信望する党派によって殺害される。ブルトゥスは身寄りがなくなり、カエサルを親代わりにして生き延びていた。というのも母親のセルウィリア・カエピオニスが未亡人としてカエサルと付き合うようになっていたせいで、彼女にとっては親類の一人/外甥だったんだ、生活そのものが近付いた。 シェイクスピアはちょっと薄いとはいえ、ブルトゥスのマリウスへの因縁をカエサルに重ね合わせてジュリアス・シーザーを着想したかも知れない。 古代ローマの出自の捉え方が独特で、氏族という観念が大きい。ユリウス氏族のカエサル(マリウス氏族と繋がりを持つ)とユニウス氏族のブルトゥス(父親がマリウス氏族に消された)という出自の相反する心の動きがジュリアス・シーザーでの「ブルータス、お前もか」の台詞には凝集的に感じ取られる。 文化の壁がそこにはある。カエサルはブルトゥスを可愛がって氏族は関係ないというふうに新しく接していたはずだけれどもブルトゥスには理解できなかったのではないか。氏族への旧来的よりも伝統的な重みを考えるとむしろ憎しみこそ増させなかったともかぎらない。 なのでシェイクスピアの言葉遣いは理知的に頷かれる ブルトゥスがカエサルを暗殺したならば当然だし、カエサルもブルトゥスに暗殺されるかぎりは予期されなくもなかった。古代ローマの氏族を重視する風習によって生じた出来事だとジュリアス・シーザーからは受け留められてしまうし、まるで人間には罪はないみたいなイメージは《魂の浄化的な趣き》を示していて彼特有の詩学を素晴らしく著してもいる。 現代ならば映画の少林寺木人拳が個人的に好きで、ブログで主題歌のミラクル・ガイを取り上げたくらいだけれども父親を殺害された悲しみから復讐が行われた。家族が主体ならば因縁も濃いだろう。 シェイクスピアもロミオとジュリエット(戯曲)では家柄によって引き裂かれる恋愛を取り上げていたし、家族が絶えないかぎり、一つの世界として分かり易いとも思う。家柄によって結ばれない二人、ロミオとジュリエットの付き合い振りは悲劇だった。 カエサルとブルトゥスもそうだ、シェイクスピアに耳を傾けると悲劇としか呼べなくてジュリアス・シーザーの因縁は薄くて分かり難いけど。 歴史上は本当に曖昧模糊として真っ暗闇に包まれている。カエサルが「ブルータス、お前もか」と暗殺者のブルトゥスにいい放ったかどうか。調べても記録が見付からなくて良く分からないんだ。 あり得るとするとカエサルは自分の過ち(人に恨まれ兼ねないキャラクター)を悔いなかったようだ。政治と殺戮が隣り合わせの時代の中で、余りに逞しく生きていたのではないか。野心家のイメージが物凄く伝わって来るので、カエサルにぴったりとも過言ではないだろう。 カエサルはユリウス氏族だけれども外伯父のマリウスのマリウス氏族は小さかった。頑張ってというか、日々、政治的な功績を幾つも積み重ねながら人々に優れた実力を認めさせた人物だった。なのでカエサルは出自を辿るとマリウス氏族との絡みでは《草の根のど根性》を良く体現しているし、かつて執政官だったマリウスも就かなかったような古代ローマの独裁官という国の特異な最高位(一人の緊急対応用の元首)にまで上り詰めてしまった(しかも終身に固執しながら次代のローマ帝国の治世方法を先取りするかのように)わけだ。 人生を独力で切り開くためには意志の強さが問われる カエサルには野心家として十二分に備わっていた。誰かに嫌われて命を経たれては身も蓋もない気持ちにせよ、意志の強さだけこそは英雄に匹敵すると考えると「ブルータス、お前もか」は如何にも美しい響きがして捨て難い。または見習うべき言葉かも知れない、人間として。 真っ暗闇の実情が悩ましいかぎりだけれども現代人と比べればきっと生き方は衒いなかったはずだし、演劇的な身振りでなく、または格好付けるよりも純真無垢に口にされた自己表現で、現実の何もかもが思うままの認識、すなわち本音の可能性は非常に高いと推測したくなる。 カエサルには「ブルータス、お前もか」がとても良く似合っているために否定するつもりにもなれないので、夢見ながら英雄としての気持ちの屈強な在り方を掴むのが好ましいし、人生訓にもやはり相応しい。 参考サイトブルータス、お前もか コメント 新しい投稿 前の投稿
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