ラムセス二世は名前と個性と長寿が凄い 結城永人 - 2016年11月25日 (金) 如何にも豪奢な響きがあって威厳を与えるような名前を持つラムセス二世(エジプト新王国時代の第十九王朝のファラオ/王)の由来は太陽神のラーから生まれた気持ちを表しているんだ。 Stele of the Pharaoh Ramses II with a hieroglyphic inscription by Guillaume Piolle / CC BY エジプト神話ではラーの息子のシューとテヌフトが旅へ出て、中々、帰って来なくて心配していたら奇跡的に再会できて嬉し涙を流した中から人間が生み出されたと一般的には考えられていたらしい。 裏返すとラーは人間の情感の元になっているからラムセス二世がそこから生まれた名前を持つならば人間そのものを神話的に意味すると同時に社会そのものを現実的に価値しているわけだ。ラーの嬉し涙を越えた存在としてラムセス二世は明らかに認められるけれどもラーではない。つまりラーから生まれた名前は人間以上神未満(魂の崇高な化身)を表現していると捉えて良いのではないか。 古代エジプトの文明は太陽神のラーを巡って展開されていると聞かれたりする。ギザの三大ピラミッドもそのために建てられたのではないか。万物の輪廻転生の門戸みたいな認識、いい換えれば宗教上の理由で着想されている印象が非常に強い。 結局、ラムセス二世はラーの生き写し/アバターに他ならなかったはずだし、古代エジプトの文明がラーのために開発されるだけならばもはや正しく世界の偶像/アイコンとも呼ばれて然るべきだろう。 調べてみてラムセス二世は名前が凄いと思ったけれども神殿や記念碑を幾つも築いてしかも自分の絵や像を人々に見せ付けるほどに張り切って添えていたようだから個性が本当に凄い。 なぜかは神話だけではなくて社会でも通用する王でなければならなかったせいだ Großer Tempel (Abu Simbel) by Olaf Tausch / CC BY 分けても圧巻なのはアブシンベル神殿と四体の巨大なラムセス二世の像だろう。年代順(左が若くて右が老ける)に人生の栄光を指し示しているようだ。地震で二体目の上半身は倒壊したらしいけれどもラーの生まれ変わりとしての存在の大きさが余りに分かり易く表現されていて心から個性的だと称えたいし、芸術作品とすれば生きる喜びのかけがえのなさが見事なまでに溢れている。 ラムセス二世は決して人気者になりたくて世の中に自分の絵や像を増やして人々に固有の気持ちを伝えてはいなかったと思う。神殿や記念碑は富や名声を狙うよりも自分らしさを只単に解き明かしていたに過ぎない、太陽神のラーのつもりで。 政治家として考えても人々に構って貰えなければどこかで落ち込むような悲しみも知らなかったのではないか。生き方への内面的な崩れがやはり見当たらなくてプロファイルすると品行方正が性格には相応しい。念頭のラーが情感の源に位置付けられる世界観を有しているだけに優れた人間性が指摘されずにはいない。偉大な統治者だったに違いないだろう、ラムセス二世は国にとって。 ただし国以外では又別だし、他国との衝突が起きれば尻尾を巻いて直ちに逃げ去るわけではなくて武勇伝も多かったらしい。好運か、体格にも恵まれていて大柄で誰にも扱えない重量級の弓矢を易々と使い熟したり、戦闘能力が非常に高くてもはや百人力の活躍振りを見せたんだ。 ラムセス二世が面白いのは人類初の平和条約をエジプトとしてヒッタイトと結びもした 長期戦の苦痛から休戦が二国間で取り交わされてラムセス二世は性格の良さから物事に機転が利いて戦争に頭は切れども何が大事かの薬を反対の立場から適切に捉えられもするくらい生き方が美しかったと想像されてしまう。 社会において人殺しが当たり前の時代状況でそうした常識を完全に覆しているので、並大抵の能力では無理だったはずだし、目に見えない言葉(無意識の呼び声)を掴んだわけだから信じ難いほとに素晴らしい気持ちを受け取ったのではないか、もしもラムセス二世が生まれ付きの詩人だったならば。 寿命も長くて享年九十前後と推測される。驚かされるし、凄いとしかいえないけど、紀元前十四~十三世紀頃で、人々の平均寿命が四十歳くらいまでの社会だったから二倍以上も生き続けていた。 現代から捉えても日本人の八十歳くらいまでのそれをまだ少し上回っているんだ Rameses II is giving gifts to Horus by Dennis Jarvis / CC BY-SA 健康には生活様式が必ずしも大きな要因ではないとはっきり分かるし、最重要視される食生活ならば極めて質素でも果たし得る長寿というわけだろう。 個人的に是非とも注目したいのは詩情というか、平和条約と見做されるヒッタイトとの休戦での気持ちの変化だった。信じ難いほどに素晴らしいとラムセス二世は世の中の常識を完全に覆しながら感じたかも知れないので、精神的には《深い安らぎ》を覚え出して新しく生きられるように一つの認識として受け入れたために人生においては長寿を迎えられもしたのではないか。 何しろ、ストレスが健康には向かない。戦争が日常茶飯事の国ではそれこそ難しいと思うし、だからこそ皆は四十歳くらいまでに倒れてしまわざるを得ない。老人では戦えなくて生きていても仕様がないと感じれば気持ちからもう終わりなので、長生きには繋がらなくてストレスは増すばかりだったようだ。 ラムセス二世も国のために役立たない(かつての武勇伝から遠ざかるように)と気落ちすれば年老いて病気がちになるしかない 日々、穏やかな暮らしが確実に得られなくてもイメージを持っているかどうかで寿命は変わって来ると感じる。長生きに向けては素晴らしい気持ちが欠かせない。どんなに食事と睡眠と運動をしっかり整えても精神的な慌ただしさによって落ち着かなければストレスから人間は弱ってしまう。 心の癒しは健康に役立つと分かり切っているけれどもラムセス二世を考えると明らかに表現されていたので、本人はストレスを与える原因として戦争を止めたわけではなくて全く気付いてなかったにせよ、無意識に救われながら長生きしたようなので、非常に勉強になるし、望ましくて引き付けられた。 参考サイトラムセス2世エジプト第19王朝エジプト史上最も偉大な王〜ラメセス2世の生涯 コメント 新しい投稿 前の投稿
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