グラディス・ナイト|ソウルシンガー 結城永人 - 2019年11月21日 (木) グラディス・ナイト/Gladys Knight。1944年5月28日生まれ。アメリカのジョージア州アトランタの出身。R&B、ソウル、ポップ、ゴスペルを歌う。 グラディス・ナイトの歌手人生 Gladys Knight and the Pips from Anefo / CC0 七歳で参加したテレビ番組のテッド・マックのオリジナルアマチュアアワーのタレントコンテスト(GLADYS KNIGHT, 7-YEAR OLD TED MACK AMATEUR OUR)に優勝した。 同年に兄のメラルド・ブッバ・ナイトと姉のブレンタ・ナイトと従兄弟のウィリアム・ゲストとエレノア・ゲストの五人で、ヴォーカルグループを結成してマネージャーを務める従兄弟のジェームズ・ピップ・ウッズに因んでピップスと名付けた。 終日と土曜日にサッパークラブ/高級ナイトクラブの出し物や日曜日は教会でゴスペルを歌っていたけれども1958年にブランズウィックレコードから初めてWhistle My Loveを発表した。 翌年、ブレンダ・ナイトとエレノア・ゲストか結婚を控えてピップスを脱退すると代わりに従兄弟のエドワード・パットンと友達のラングストン・ジョージが加入した。 新しいメンバーで発表したEvery Beat of My Heartが全国的にヒットしてヴォーカルのグラディス・ナイトの歌声が素晴らしいと著しく注目されるようになり、グループ名もピープルからグラディス・ナイト&ピップスに変更されたんだ。 人気のヴォーカルグループとして数々のヒット曲を生み出すようになる。 1962年にグラディス・ナイトに子供が生まれて養育のために音楽活動を休止してピップスも従ってメンバーは臨時の職に就いた。翌年にも二人目の子供が生まれたけれども家族の生計のためにピップスに戻って来てメンバーと共に音楽活動が再開された。 ラングストン・ジョージが脱退したためにグラディス・ナイト&ピップスは専ら四人体制で歌うように変わった。 十年以上、ヒット曲と共に人気のヴォーカルグループとして活躍し続けて行った。 しかし1977年には前所属のモータウンレコードや現所属のブッダレコードの双方と訴訟が生じた。モータウンレコードへは印税の未払い、ブッダレコードへは契約解除を望んだ。特に契約解除に関して訴訟の間はグラディス・ナイトはブッダレコード、ピップスは他のカサブランカレコードに所属して別々に活動せざるを得なくなった。1980年からは両方ともコロムビアレコードに所属して、またグラディス・ナイト&ピップスとして一緒に活動できるようになった。 グラディス・ナイト&ピップスは1980年代も大方は変わらず、ヒット曲を多く送り出したけれどもグラディス・ナイトのソロ活動が徐々に増えると共に1988年にファイナルツアーを敢行して1989年に解散するに至った。 以来、グラディス・ナイトはソロ活動に専念するようになり、歌手として同じように第一線で活躍した。 グラディス・ナイトの主要楽曲 Neither One Of Us Gladys Knight and the Pips|mixedgrill The Pips - Topic(YouTube)The Pips | Discography(Discogs)Gladys Knight & The Pips - Topic(YouTube)Gladys Knight & The Pips | Discography(Discogs) ピップス、またはグラディス・ナイト&ピップスの代表曲はEvery Beat of My Heart(ロイヤルズ:ミッドナイターズの前身の楽曲のカヴァー/1961)やNeither One of Us (Wants to Be the First to Say Goodbye)(1972)やMidnight Train to Georgia(1973)やSave The Overtime (For Me)(1983)やLove Overboard(1987)などがある。 Gladys Knight - Topic(YouTube)Gladys Knight | Discography(Discogs) ソロの代表曲はThat's What Friends Are For(ロッド・スチュワートの楽曲のディオンヌ・ワーウィックとエルトン・ジョンとスティーヴィー・ワンダーとのカルテットのカヴァー/1985)やLicence to Kill(映画のLicence to Kill/007 消されたライセンスの主題歌/1989)やSuperwoman(ディオンヌ・ワーウィックとパティ・ラベルとのトリオ/1991)やMissing You(映画のSet It Off/セットイットオフの挿入歌で、ブランディとタミアとチャカ・カーンとのカルテット/1996)やHeaven Help Us All(スティーヴィー・ワンダーの楽曲のレイ・チャールズとのデュエットのカヴァー/2004)などがある。 荒い声のソウルシンガーで、ピップスで強大なヒットを記録した後は1989年に必至のソロ活動を追求し始めた。 原文 Rough-voiced soul singer who after scoring massive hits with the Pips began pursuing the inevitable solo career in 1989. グラディス・ナイト|ALLMusic(訳出) グラディス・ナイトは「ソウルの女帝」と呼ばれる。音程も乗りも声量も非の打ち所がなく、しかも人間味の溢れる歌唱力が抜群に素晴らしい。聴き惚れ捲るし、音楽を通して絶品の世界観を味わわせてくれる。 GRAMMY Award Results for Gladys Knight 1974年の第十六回グラミー賞でグラディス・ナイト&ピップスの楽曲のNeither One Of Us (Wants To Be The First To Say Goodbye)が最優秀ポップパフォーマンス賞ヴォーカル入りデュオまたはグループ部門、同様の楽曲のMidnight Train To Georgiaが最優秀R&Bパフォーマンス賞ヴォーカル入りデュオまたはグループ部門、2005年の第四十七回グラミー賞でソロの楽曲のHeaven Help Us Allが最優秀ゴスペルパフォーマンス賞を受賞するなど、二十二回のノミネートと七回の受賞を数える。 1977年の第三十四回ゴールデングローブ賞で映画のPipe Dreams/パイプドリームスへの出演が新人女優賞にノミネートされた。 ジェームズタウンのShe Got Soulの二十二人の正真正銘の黒人女性ソウルシンガー コメント 新しい投稿 前の投稿
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